企み
カウンターでは、やたら露出度の高い、スタイル抜群の中年の女が、アイシャドーで艶めく瞼を半分程瞳に被せながら、バドを見た。
大きくて真っ赤な唇が、女の魔性を剥き出しにして笑んでいる。
目を逸らして横を通り過ぎると、腿まで剝き出しのスリットから惜し気も無く出ている綺麗な足で、バシッと蹴られた。
「ちょ、やめてやめて!」と目で懇願して、もう一発今度は尻に喰らう。
この店の女主人を務める彼女は、バドを構いたくてしょうがないのだが、バドからしたらうるさくて仕方ない。加えて、何故かこの女はバドの癪に障るのだった。
きっと、子供の頃にたくさん甘えさせてもらった記憶があって、彼女を見る度、構われる度に、それを思い出して恥ずかしいのだ。
「オイ、止めろっ。大事な話があんだから、ババァはあっち行ってろ」
途端に後ろから大男の拳固が落ちて来て、バドは白い世界に煌めく星を見た。横に半回転しながら、よろめいて座り込む。
「母親に、ババァとは何だ」
「いってぇ……」
カウンターにかじりつく様にして起き上がると、ちょうど向かいに座っていたマントを被った人物と、目が合った。
つぶらな瞳が、驚いて見開かれている。
ラビリエ・イソプロパノール。やっぱり、来た……。
カッコよく再会したかったのに、これじゃあカッコ悪い。くっそ、ババァ、覚えてろ。
胸中で毒づきながら、とりあえず爽やかに「やあ」と微笑みかけてみる。
「あの……鼻血が……」
「え!マジ?いや、いい、いい、全然ヘーキ」
綺麗で真っ白な、レースのハンカチを差し出されて、バドは恐縮してゴシゴシと袖で鼻血を拭いた。中年の女は大男と二人して、声も無く腹を抱えて震えている。
クソババァ!
物凄い形相でそちらを睨みつけてから、マントの人物に向き直る。
「奥まった席があるから、そっちで話そう」
バドが案内した席は、彼らの間で『交渉席』と呼ばれている。店内の隅の、唐突に少し窪んだスペースに四人掛けの席があり、そこに座ればすべての視線を遮断出来た。小さな見張り窓から、古ぼけたテーブルに朝日が差している。
大抵裏取引や、自殺志願者への説得などが行われている席だ。
あと、カップルもよく使う。こんな店にカップルで来るのは、仲間内位だが。ご希望とあらば、カーテンで仕切る事も出来た。
バドは威圧しない様に、自分が奥の席に座った。
「マント取って大丈夫だぜ。暑いだろ」
相手はためらいがちに頷いて、ハラリと頭から被っていたマントを脱いだ。
暑かったのだろう、ふぅ、と息を付く。
赤茶色の髪をアップスタイルにまとめて、牢で会った時より大人びて見える。
うっすらと汗ばんだ額に、前髪が乱れて張り付いていた。
思い詰めたつぶらな瞳は、濃い紅茶の色だ。長い睫の影と、心労の為に出来た青いクマのせいで、色白の小さな顔がとても弱弱しく見えた。ぽってりと愛らしい唇も、色が無い。
それでも、稀に見る可愛らしい娘だった。
全体的に小さいが、ふんわりした体格なのは、衣食住を贅沢に与えられた結果だろう。しかし、彼女の名誉の為に明記しておくが、決して太ってはいない。
彼女の着ている半袖のワンピースは、見覚えがあった。
聞けば、一番下っ端の召使いの制服だと言う。
きっとバドは、何かの用事で、街に頻繁に出入りする娘達を見かけて覚えていたのだろう。何故なら、下っ端と言えど王宮務めの彼女達は、容姿端麗な者が多かったから。
きっと涎を垂らして、物欲しげに目で追っていたのだ。
それはさて置き、彼女を席に座らせると、手を差し出した。
「来てくれてありがとう。握手だ、ラビリエ」
「……」
「大丈夫。キスしないよ。あの時は、自分に酔っちゃったんだ」
おずおずと差し出された小さな白い手を、しっかり握って握手すると「さて」と、ズボンの尻ポケットから小さな地図を取り出して、テーブルに広げた。
「地図って読める?」
ラビリエは地図を覗き込んで、頷いた。
「……東のここが、イソプロパノール……。ノール草原とトスカノ峠を越えて、トスカノ王国……」
あら、と彼女が首を傾げる。バドは気づかれない程の鋭さで、彼女を盗み見た。
「ここより北の記してある地図は、珍しいわ。この断崖の壁……」
瑞々しく白い指が、そっと地図上の北部をなぞった。思わずその指の動きに見入ってしまったが、バドは頷いた。
「そう、この地図珍しいんだ。分かる?」
「ええ。地理は勉強しました。この断崖の壁に阻まれた先は、亡国マクサルト……」
ふと目を上げると、バドが真剣な目をして自分を見詰めているのに気が付いた。
「あら、間違ったかしら?ええと……」
この人、空色の瞳だったんだわ。しどろもどろになりながらも、そんな事を考える。
「イヤ、合ってる。歴史から消されかけてるから、同年代で知ってるのはビックリだよ」
「……ええ、マクサルトの廃墟を発見したトスカノから『呪いに滅んだ』と伝わっています。その為に、国民はその名を口にしなくなりました。……元々阻まれた地形の為に国交はどの国とも薄かった様ですが……」
うん。とバドは頷いた。
「トスカノはなんだかわかんねぇけど『呪い』を恐れて、マクサルトへの唯一の通り道を塞いだんだ」
地図上の断崖の崖に、細い隙間があるのを指差して、トントンと音を立てた。
頷いてラビリエが、そのすぐ近くに指で楕円を描く。
「ええ。この辺りに大きな門を作って、行き来を封じていると聞いています」
満足気にバドが頷く。
「で、この『呪い封じの門』なんだけど、地上から通るのは、ちょっと難しいんだ。ひょいっと空から飛び越えない限りね」
「あなたは、」
「バ、ド!」
「……バドは、マクサルトへ行きたいのですか?」
にひっと悪戯そうにバドが笑う。
「ちょっと宝探しにね。なんでも願いが叶う宝玉があるとか無いとか……。そこで、トスカノの開発したって噂の飛空船ってヤツ? ってワケだ。トスカノの連中は、空飛ぶ船で花嫁を迎えに来るんだろ?」
呆れた。
本当にそんな物があると信じているのかしら?そんな夢みたいな存在の為に、わざわざわたくしに会いに、牢に入ってすぐに脱獄したというの?
嘘だわ。とラビリエは油断なくバドを見た。
ゆったりと椅子に腰かけて、呑気な微笑を浮かべているが、只者じゃないのはもう判っている。
……でも、彼の目的がなんだと言うの?
「わたくしは、トスカノへ花嫁として飛空船に乗るのですね?」
「うん。今更だけど、決心は着いた?」
「……あな、バドはわたくしに何をさせたいの?」
「人質さ」
事もなげに言って、バドが椅子の上であぐらをかいた。
人質、と呟いて、ラビリエは唇を噛む。無意識に、椅子に座りながらも両足を地面につけて力を入れる。
騙された?逃げた方がいい?
でも、逃げる場所なんて無いのだ。暗い牢屋でラビリエとして一生を送るか、国を背負い、敬愛していたパルティエ皇女に成りすまし、恐ろしいトスカノ王の妻となるか。
どちらも嫌だから、ここに来た。
「一体、何がしたいのです」
「マクサルトへ行きたいって言っただろ?『呪い封じの門』を開きたいんだよ。その為にはトスカノに門を開けさせなくちゃいけない」
ラビリエは驚いて立ち上がった。涼しい顔で、バドがそれを見上げた。
「わたくしを人質に、国を脅迫するの?無理だわ」
バドはラビリエをひょいと見上げながら、事もなげに言った。
「無理じゃない。君はただの女の子じゃない。トスカノ王妃なんだぜ」




