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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第七章
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まどろみ

 バド達はレディ・トスカノの出してくれた『道』で、マクサルト国跡へ足を踏み入れた。


 船に保護されたというアスランをしつこく心配するロゼをうるさがって、彼女は船ごとその場に現して見せて、クリス皇子が有難がった。


 バドは月明かりに浮かび上がる廃墟を見て、足が竦んで動けなかった。

 想像以上に寂しく、悲しい光景だった。


「なんかもう、気が済んじゃったかも」


 へら、と弱音を吐いて笑うバドに、クリス皇子が厳しい顔を向けた。


「まだだろう。日の光を浴びる国を見るがいい。私もマクサルトを見たい。夜が明けたら、お前は覚えている限りの案内をしろ。その為に船で休ませてやる」


 へへ、とバドが笑った。


「ひでぇな。あんた、意地悪だ」

「お前は二国を揺るがした割に、意気地が無いな。想像はしていただろう」


 うん、と萎れきってバドが頷いた。

 ラヴィが何か言おうと彼の傍へ寄ると、クリス皇子がそれを遮った。


「私はこやつを見逃すが、これが野盗なのには変わりない。もう声を掛けたり傍に寄ったりするのは避けて下さい」

「彼は何度もわたくしを助けてくれました」


 気丈な性格の様だ、とクリス皇子はラヴィを見て満足気に微笑んだ。伴侶は気丈な方が良い。


「今後は私がそうしましょう。さぁ、船でお休み下さい」


 

        -----------------------------



 天の恵みの様な結婚話は、他人事の様に思えた。

 ラヴィは叫び出したかった。


 クリス皇子と結婚?


 ラヴィにはこの求婚がイソプロパノールの秘密との引き換えの様に思えてならない。


 でも、おかしいわ。わたくしにそれ程の価値は無い・・・。

 クリス皇子は何を考えているのかしら?


 イソプロパノールの真珠と謳われた美しい皇女の傍にずっと控えていた彼女は、自分の魅力に気付いていない。

 たっぷりとした紅茶色の柔らかく滑らかな髪や、色白で柔らかそうな肌、大きな黒目がちの瞳や愛らしいぽってりした唇―――それら全てに何の自覚も無かった。

 そして、自分の魅力に気付いていないから、求められると戸惑ってしまう。


 彼女はベッドの脇にぺたりと座り込み、白いシーツの上に頭だけを預けた。

 いろいろな事が起こって疲れていたのだろう、すぐにストンと浅い眠りに落ちてしまい、ドッと溢れる様な濃い夢を見た。


         ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 海。イソプロパノールの海。

 うみねこが鳴いて、わたくしを背に乗せる。

 すぅ、と飛んで、たどりついた先は、あの夜の記憶。


 一等星が輝いていた。

 大きな港ごと、とっぷりと夜の闇に包まれて、海の波だけが静かにさざめいている。

 こんな夜更けだというのに、もしくはそれだからかなのか、月明かりに照らされた珊瑚の群集を思わせる優美な城の東側、筒形の塔の三階のバルコニーで、パール様は、柔らかなつる草に覆われた柵にしなだれかかっていた。

 

 あの日、あの悪夢の朝が空ける前夜、パール様の部屋に明かりが点いていたのを、わたくしは不思議に思った。そうしてそっとお部屋を訪れて、わたくしはバルコニーで月光に照らされているパール様を見、『ああ、なんてお綺麗なのかしら』と思いお声掛けするのを躊躇っていた。

 わたくしは、敬愛するお美しいパール様をずっと眺めていたかった。 


 パール様の白く細い指が、そっとつる草に咲いた青白い夜花を撫で、摘み取ろうとして名残惜しそうに手を止めた。

 もう片方の手には一通の手紙。

 それを震える手で破り、バルコニーから一望出来る大海原の方へサッと散らした。海へ流れて行く風がそれを引き取り、遠くへ運んで行く。


 あの月明かりにキラキラと風で海に飛んで行ったものが、なんなのか、その時わたくしは分からなかった。


 お声を掛けた時、パール様はサッと何かを隠される様な仕草をして、わたくしの方へ振り返った。


 ……でも、わたくしは一部始終を見ていた。


 そうよ。

 わたくしは、もうわかっている。

 あれはクリス皇子の手紙。


 どうして。

 どうして?



 パール様は何かに酷く怯え、少し興奮もされている様子だった。

 それから、お酒を欲しがられて……葡萄酒? ……いいえ。

 パール様は、寝台の下にウォッカを隠し持っていらっしゃった。

 ほんの少しとお約束して、パール様は小さなグラス一杯を一気にあおられた。

 それから、狂気じみてこんな事を仰った……。


『トスカノ王は、私を杖にしようとしている』


 ―――杖?

 一体何の事だったのかしら。

 わたくしは、今もそれを考えては、分からないでいる。

 

『夢よ。いつもの予知夢』


 ああ、尊い皇女様。


 ……わたくしも、パール様に止められて凪いだ海の日に船に乗るのを止めた事がある……その日は、激しい嵐が唐突に訪れて、強い風や大粒の霙で地上は滅茶苦茶になった……。


 貴女が『予知夢』と仰るのなら、それは真実。

 貴女を通し、夢で伝える神のお言葉に、わたくし如きが疑う事なんて許されない。

 パール様の予知夢は絶対。

 なのに、わたくしは平凡な気休めくらいしか言えなかった。

 パール様は、わたくしを不安にさせない様に、最後にこう言った。


『ごめんなさい。ラビリエ。夢よね。……ただの、夢』 


 パール様……。

 どうして。



 涙が零れて瞬きをすると、バルコニーのパール様が消えてしまった。


 くぐもった笑い声がして、ふと見ると皇女のベッドでバドが、誰か知らない娘と絡み合っている。

 楽しそうにケケケ、と笑っているのを見て、わたくしは初めて沸き起こる抑えがたい感情に支配され、ナイフを探す。


 あのナイフ。


 気付かなかった。どこに隠していたのだろう?


 わたくしが気付いていれば。


 あのナイフに……。


          ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 荒い息をして目を覚ました。

 その途端、あんなに濃い夢だったのに、色も輪郭も散り散りになって内容を忘れてしまった。


「……なんだか、余計疲れてしまったわ」


 部屋の澄まし返った置時計が、深夜と明朝の間を差してコチコチ音を立てている。

 ラヴィはその音が耳障りに思えて、部屋のドアを空けた。そのまま、外の空気を吸おうとデッキへ出ると、満点の星空の下、荒廃した街が目の前に広がっていた。風の音以外は不気味なほどシンとして、亡霊めいたゾッとするものがあった。

 デッキに出て来たのを後悔して、ラヴィは両腕を抱いた。


 もしも、イソプロパノールがこんな風になったら。もしも、一人だけ生き残っていたら。


 バドの気持ちを思うと、ラヴィは切なくなった。

 バド……どうしているかしら?


 彼は念の為にどこかに拘束されている。ラヴィは反対したが、クリス皇子はこれ以上トラブルを起こされては困ると言って許してくれなかった。意外にも、バドは大して抵抗しなかった。


 これから、バドはどうなるのだろう?和解などと言っていたが、信じられない。クリス皇子は何を考えているのだろう?


 重い溜息を吐いたその時、廃墟の方へサッと動く人影を見つけて、ラヴィはデッキの手すりに身を乗り出した。


「バド?」


 ハッと口を押えて、辺りを見回す。船の中は、静まり返っている。もう一度廃墟へ目を移すと、もう何の気配も無かった。


 ……でも。


 ラヴィはそっと身をひるがえし、部屋に戻ると小さなランプを持って、火を灯さずに再び静かに部屋を出た。

 二階の船室層から出口へ向かう真っ暗な階段を、音を立てない様にそっと降りる。

 突き当りは壁で、回れ右をして廊下を行けば出入り口なのだが、そこにはロゼが窓から差す月明かりに照らされて、あぐらをかいて眠っていた。

 ラヴィは息を殺し、再び階段を上ると、バドが拘束され押し込められた部屋へ向かった。


 部屋のドアの鍵は開いていた。

 ラヴィは確信してドアを開ける。

 案の定、部屋は空っぽで、窓が開いていた。

 ラヴィは呆れて、ベッドの足から窓の外へ続くロープを手繰った。

 窓の外から地上までは二階建ての建物位の高さがある。ロープは彼を縛っていた物だろう。下の方では白いシーツが風にたなびいていたので、それでロープの不足分を補ったのだろう、とラヴィは予測した。


「本当に、もう」


 呼び戻さなくては、という気持ちと、純粋に彼を追いかけたい気持ちに押されて、ラヴィはロープに手を掛ける。


 ……怖くないわ。

 牢に入れられ、人質になって、空を飛んで、激流に流されて、人外の者に名前まで貰ったのだから。


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