命名式
奪った船が炎に飲まれながら落ちて行くのを、ラビリエは直視出来なかった。
徹底的に撃ち落すつもりなのだろうか、更に容赦なく砲弾が打たれ続ける音が追ってくる様で、たまらず手で顔を覆って狭いボートの座席にうずくまった。
爆風がボートを揺らして、すぐ足元にロープで縛られて狭い船底へ押し込められているロゼットの頭が彼女の足にぶつかった。
彼の意識は戻らず、薄く口を開いている。
心なしか苦痛の表情に見えて、それからも目を逸らす。
遠雷の様にくぐもって響く地鳴りの音が、後ろで空しく響いた。
「落ちた」
後ろで舵を取るバドが呟いて、ラビリエは手で顔を覆って泣き出した。
こちらの勝手な成り行きで操縦を任せてしまったあの男に、なんと言って謝ればいいのだろう?
「出来るだけ伏せてな。門を通るぜ」
ボートはあまりにも巨大な建造物の間を通り抜ける。
門はかなり狭まっていて、おそらく奪った船ではもう通り抜けられなかっただろう。
不幸中の幸いだった。
すれすれの幅を高速で通り過ぎる恐ろしさに、ラビリエは歯を食いしばって耐えた。
吹き飛ばされてしまいそうな程風が荒れ狂って、バドが後ろにいてくれて良かったとラビリエは思った。 彼にほとんどもたれ掛かり捕まえてもらっていなければ、きっと吹き飛んでいる。
彼は片方の手で舵を取り、船のアクセルを右足、左足でロゼットを踏み付けて彼が飛ばされない様にしている。
門の奥行きは三メートル程だ。抜けるギリギリの所で閉まる門とボートの側面が擦れて火花を飛ばし、嫌な臭いや音を立てながら、あっと言う間に通過した。
「抜けたぞ!」
バドが歓声を上げて、ラビリエは顔を上げた。
明るさを想像していたけれど、そこは両側に天までそびえる崖の為薄暗かった。
意外な事に、門の裏側には何も無く、誰もいなかった。
……呪いを恐れているのかしら?
「ラビリエ、門が閉まるぜ」
身体ごと後ろを向いて、バドの肩越しにラビリエは閉門を見守った。
先程までいたあちら側が、とても明るい。
縦に伸びる光の筋を狭めながら、ゴゴゴウゥゥ……と音を立てて、門が完全に閉まった。
ラビリエは消えた光の余韻を探して瞬きをした。
もう、わたくしは自由なのかしら?
崖の狭間は長く、バドは少しだけスピードを落として進んだ。
門をくぐる時は顔の皮が飛ばされそうな速さだったので、ラビリエはホッとして顔を撫でた。
そうしながら前を向こうと身体を動かして、バドと至近距離で目が合った。
空色の瞳が悪戯そうに微笑えんで、戸惑う自分を映している。
戸惑う資格なんて無いのに。
自分で決めて起こした事なのに。
「あの操縦士は、逃げたよ」
「え」
「ブリッジに置いてあったデカい箱に、スゲェデカい布傘みたいなのがあったんだよ。アイツ、それ奪って飛んだ」
「それって……。脱出用の物なのでしょうか? 爆風もあったし、大丈夫でしょうか?」
「自分だけ助かろうとした奴なんか知らん」
男が無事な確証は無いけれど、ラビリエは少しだけホッとしてぎこちなく微笑んだ。
とにかく、あの小型船と一緒に地面に落ちてはいない様だ。
「……そう。無事だといいですけど」
「うぅん……。巻き込んじゃったからな」
「悪い事をしました。……この方にも」
そう言ってラビリエは気を失っているロゼットを見た。
「この方をどうしますか?」
出来れば手荒な事はして欲しくない。
「そうだなぁ、コイツ、ムカつくんだよなぁ」
「でも!」
「や、や、大丈夫だって。でもなぁ、君の事、感づいちゃったぜ?」
でも、でも、と首を振るラビリエに、バドがジトッとした声を出した。
「なに? こんなのがタイプなワケ?」
「……タイプ?」
ラビリエは眉を寄せてロゼットを見る。
それから、トスカノ船の客室での無礼な態度を思い出して、心の底から「いいえ」と答えた。
「この方は好きじゃ無いです」
「あらら、結構ハッキリ言うんだ。じゃ、今後の参考にどんな男がタイプか教えてよ」
まぁ、呆れた。
ラビリエは目を細めて前を見、聞こえない振りをした。
わざとおどけてくれているのかもしれないけれど、異性の話なんてする気分じゃないし、こういう話は同性としかしたくないわ。
ラビリエがツンとして黙っていると、「ひひ」と笑い声が聞こえた。
「トスカノ皇子は?」
「……」
なんとか黙っていたけれど、頬が熱い。
風がこんなに冷たいのに。
「残念だったな」
しつこい人ね、と思いながらラビリエはずっと前を見ている。
崖の狭間の終わりはまだかしら?
ここを抜けたら、明るいのかしら?
どんな景色が呪いは……これから、わたくしは……。
パルティエ皇女に尽くし続ける事が、ラビリエの輝く未来だった。
けれど、もう一つ漠然とその未来に寄り添う想いがあった。
娘らしい、平凡な夢。
いつか、誰かの花嫁に。
トスカノ第五皇子の笑顔が浮かんで消えた。
ラビリエは湿り出した目尻をさりげなく指で拭うと、バドの方へ振り向いた。
「……バド、貴方以前わたくしを『ラヴィ』と呼びましたね」
ちょっと眉を上げて、「そうだっけ?」とバド。本人は忘れているらしかった。
「今からわたくしは『ラヴィ』です。もうすぐお別れですが、それまでラヴィと呼んでください」
おお、と声を上げて、バドはラビリエをしげしげと見た。
「呼んでみてください」
「アハ、命名式ってやつ?」
バドは口の片方だけ釣り上げて笑うと、緊張するな、とかなんとか言いながらラビリエの新しい名前を芝居っ気たっぷりに呼んでくれた。
それも、飛び切り大声で。
「君の名はラヴィだ!」
「はい」
「なんだよ、固てぇな。『笑顔』って意味なんだぜ」
「そうなのですか?」
『笑顔』なんて、自分にあまり相応しく無い様に感じて、俯く。早まってしまった気分だ。
「そうなの……」
「うん。ラヴィにピッタリだ」
「……そう?」
「ラヴィは笑うとスゲェ良いよ」
惜し気も無く微笑まれて、ラヴィは困ってしまう。
なんて答えればいいの……。
「これからたくさん笑いなよ。落っことした未来分より多くサ」
「……ええ……ええ、そうね」
ぼんやりした心地で頷いて、再び前を向く。
吹き付ける風に「わたくしはラヴィ、ラヴィです」と命名を認めてもらうかの様に心を飛ばした。
答える様に、崖の狭間の終わりが見えて来る。
ああ、良かった。明るい……。
後ろで「ラヴィ♪ラヴィ♪ラヴィちゃん」とふざけているバドを自然に無視して、(彼女の今のドラマチックに彼のテンションは邪魔なのだ)ラヴィは微笑んでみた。
報われない未来を案じて自害したパルティエ皇女に、こっそりと遠慮しながら。




