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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第二章
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雛鳥は飛び立って1

 伸びた衛兵の制服を着込み、自分の持って来た持ち物を制服のあらゆるポケットに、不自然に膨らまない程度にしまった。

 愛用している巻尺ワイヤーを最後にしまうと、満足気に頷く。


「そんなグリグリ巻き、使う時にモタモタするぞ」


 大男が「いるのか? それ」と言う表情で言った。


「うん、ワイヤーって結構万能だし」


 大男は荷物の多いのを嫌うが、バドは色々持ち歩きたいタイプなのだ。


「まぁいいんじゃね」


 したい様にすればいい。手助けは必要な分だけ。

 そうやって、バドを育てて来た。


 大男は物凄く久しぶりに我が子の頭を撫でようと、無意識に小さかった子供の頃の位置に手をやりかけた。

 それよりずっと高い位置で、小憎らしい顔が「なんだよ」と言っていて、微かに戸惑う。

 

 時は流れて、子供は大きくなっていた。

 そんな事は、わざわざ自覚する程の事ではないのに、どうして今になってこんなに寂しいのだろう。

 自分の人生は、こんな甘い寂しさとは無縁だった。

 荒れて、荒れて、荒れ狂っていた。


 それなのに、10年前の珍しくピンチだったあの日。


 大きな事件を巻き起こし、不覚にも大けがをして死にかけていた彼は、自分の巻き起こした事件で大切な仲間を全て失って、自棄になっていた。

 痛え、どこもかしこもクソ痛え……。

 こうなったら自分で死んでやるぜ。と捨て鉢になって、自分の住みか「イブフェンの崖」から飛び降りたが、運が良く(悪く?)頑丈な彼は死ねずに大渦に洗われ、死んだ方がマシな目に合いながら、なかなか死ねず、でもここまで来たら絶対死んでやる、と頑固に目を閉じかけたその時、大波が彼を海面まで持ち上げた。大きな両手にすくわれる錯覚におちいって、驚いて目を見開くと、自分と同じように荒海に揉まれる小舟が、目と鼻の先にあった。


 訝しむよりも先に、うねる波の勢いに押され、思わずしがみ付いた。


 奇妙な事に、その頼りない小舟には一羽の大鷲がとまっていた。

 見た事も無い立派な大鷲だった。小舟の中には、男の子が気を失って倒れていた。


 この鷲め、子供を喰う気だな。


 大男が悪党に落ちる前、子供を持った事もあった。

 けれど、流行病と貧しさに負けて、楽しい思い出をわずかに残して天国へ逝ってしまった。

 ずっと胸から締め出していたすべすべした柔らかい頬の感触や、小さな足でヨチヨチ歩くシルエットが突然思い出されて、大男に大声を出させた。


「俺の前で子供を殺すんじゃねぇ!」


 大鷲は、誰もが震え上がる彼の覇気を受けても身じろぎ一つせずに、彼を見据えた。


 なんだよ、俺も喰おうってか?


 腹が立って、死のうとしていた事などすっかり忘れて吠えながら小舟に乗り込むと、倒れ込むように大鷲に飛び掛かる。

 大鷲はひらりと空中に飛び上がり、大男の頭上をクルリと旋回し、ひゅうと飛んだ。

 目で追うと、ピタリと止まって身体ごと振り返った。そのままそこで飛んでいる。


 こっちへ来い


 荒れ狂う波の音にかき消されながらも、その声を大男は聞いた。


 こっちだ


 大鷲がまた、飛んで行っては振り返る。


「……なんだぁ?」


 不思議な気持ちで、操られる様にオールを漕いだ。

 荒れ狂う大波に、小舟がひっくり返らなかったのも奇跡的だったが、それを見つけたのが大男だったのもまた奇跡だった。

 彼でなければ、荒れる海の中オールを漕いでも無意味に水を掻くだけで終わっていただろうから。

 大鷲に導かれて、小舟はイソプロパノールの、嘘の様に穏やかな海に出た。

 大男が呆然としていると、大鷲がスッと小船に降りて来た。

 それから、何度思い出しても信じがたいのだが、大鷲が大男にお辞儀をしたのだった。


「な、なんだよ」


 驚いて目を見開く大男に構わず、大鷲はのしのしと歩いて男の子の傍まで来ると、男の子の首にかけられた木彫りの鳥のペンダントを獰猛そうな嘴で持ち上げて見せた。

 見ろ、と言うのか?

 恐る恐るそのペンダントに手を触れると、嘴がサッと離れた。

 木彫りの鳥に、何か書いてある。大男は無学だったが字は読めた。しかし、それは見た事の無い文字だった。


「わりぃ、読めねぇよ」


 鷲はもどかしげに翼を広げた。声がまたした。

バド。


「バ、ド?」


 声に出すと、大鷲が「そうだ」と言わんばかりにギャ、と鳴いた。


「こいつの名前か?」


 大鷲がひたと大男と目を合わす。


 頼みます。


 そう言った様に見えた。

 

 冗談じゃねぇぞ、と思ったが、大鷲は大きく羽ばたくと、あっという間に空の彼方に消えて行ってしまったのだった……。


 あん時は、コウノトリじゃねぇのかよ、って突っ込みたくなったもんだ。


 不思議な、昔の話だ。



 急にドッと歓声が上がった。イソプロパノールの美姫がいよいよ現れたのだろうか?

 二人は無言でサッと二手に分かれた。

 船に乗るバドと、船に乗らない大男。


「バドォ、俺は楽しかったぞ」


 利発で愛嬌満点の子供の面影を探りながら、彼から飛び立とうとしているバドに、大男はそう言った。


 光の様に過ぎて行った十年。本当に楽しかった。

 赤ん坊を無くしてから亡霊の様になっていた女房の瞳に、再び現実で生きる光を取り戻させたのも、彼女と復縁したのもバドのおかげだ。

 バドが口の片方だけを上げて、照れくさそうにニヤリとした。


「オレも。オレもだよ! オヤジ!」


 頷いて、大男は背を向けて走り出す。

 飛空船が浮き上がる前に。群衆が輿入れの行進に夢中になっている内に。彼は出来るだけ早く船から離れなくてはいけない。



大きな背中が去って行くのを、バドは飛空船の裏口から身を乗り出して見ていた。

あんなに大きいのに、上手に人ごみに紛れて、すぐに見えなくなる。


始め、言葉が通じなくて苦労したが、そこは子供の適応力ですぐに言葉を覚えた。

そうすると、大男が語学や数式など学術の面でバドの方がマシな程、学が無いのが判明した。  

だが、大男は生きる事に巧みだった。言葉を巧みに操って誰かを説得したり駆け引きしたりするのが上手かったし、複雑な金勘定も間違えた事は無かった。 


そんな彼に、生き方を全て教わった。

教えて貰った生き方は、大男がバドに出会ってからの彼の生き方だったのを、バドは知らないけれど。

大好きだった。いつも大親友だった。

でも、振り返って見れば、彼は紛れも無く父親だった。

 

大声は出さない方がいい。

でも、出したって、この大歓声の中、誰に聞こえると言うのだろう?


そうさ、オヤジにだって、聞こえないさ。でも、だったら余計に。


「ありがとうございました!」


 バドの叫びは、大男に届いただろうか。



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