表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青い夜に竜を殺す  作者: 星河雷雨
騎士Aこと、エイベル・フィンドレイから見たその夜の出来事

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/8

第八話



 確かにこの邪竜を前にしては、王子や平民などといった括りは関係ないのかもしれない。下手をすれば国どころか世界ですら崩壊しかねないのだ。


 しかもこの場に魔力の無い者、そして騎士とはいえたった数人が残ったとしても、あの《古の災厄》相手には何の効力も持たないだろう。どれほど悔しくとも大人しく引き下がるしかない。

 

 それに、あれほどの膨大な二つの魔力がぶつかれば、恐らくこの場は無事では済まない。だが今から逃げれば、少なくともあの二人の女性だけは救うことが出来るかもしれないのだ。


 少しでも多くの魔力が必要だと判断したのだろうブラッド隊長は撤退することを決めたあと、「魔力のある奴は残ってマティアスに加勢しろ!」と俺たちに命令を下した。


 返事をしたのは俺と、リンツだった。リンツは同じ一番隊の仲間だ。そこまで仲が良いわけではなかったが、平民にしては貴族に対して屈折した思いを抱いていない、気のいい奴だということは知っていた。


 リンツと一瞬だけ視線が絡み、そして互いに頷き合った。


 ブラッド隊長の命令に、恐怖に震えながらも、俺は奮起してもいた。それは恐らく、己は今《古の災厄》と対峙しているのだと、伝説に語られるような存在を相手に、騎士として立ちはだかっているのだという矜持からくるものだ。


 俺たちが残ることがマティアス殿下にとって如何ほどの助けにもならないのだとしても、最後までお供することだけは出来る。

 そして――結界が張れる俺たちがいれば、殿下の命だけはお護りすることが出来るかもしれないのだ。


 俺とリンツはそれぞれマティアス殿下の両脇に移動した。邪魔にならぬよう、それでも、いざという時には己の身を投げ出すことが出来るよう、適切な距離と位置を探った。


 目の前で膨大な魔力を練り続けているマティアス殿下には、きっと魔術師として生きる道もあったはずだ。


 マティアス殿下が魔術師ではなく騎士として生きる道を選んだのは、きっとブラッド隊長の存在があったからだろう。二人は幼い頃から兄弟のように仲が良かったと、二人の幼い頃を知る者たちから聞いたことがある。


『竜殺し』という宿命を背負わされ、周囲から腫れものとして扱かわれて来たマティアス殿下に、ブラッド隊長は容赦なく剣と体術を教えていたのだという。


 考えたくもないことだったが、マティアス殿下には常に暗殺の危険性も付いて回っていた。将来の憂いを消すため、マティアス殿下を亡き者にしようという浅はかな考えを持つ輩によって。

 だからブラッド隊長は殿下に身を護る術を教え込んだのだろう。


 護るべき主君であり、部下でもあり、弟のように想うマティアス殿下を置いて去らなければならないブラッド隊長の心情を考えると、他人の俺でさえも心に苦いものがこみ上げてくるというのに。


 今隊長が味わっているであろうそれは、一体どれほどの辛苦であるのか。


 マティアス殿下にしても、珍しくも王子としてブラッド隊長に命令を下していた。そうでなければブラッド隊長が動かないと知っていたからだ。




 意識のない女性を乗せたブラッド隊長を先頭に、騎士たちが順次去っていく。もしかしたらそれは俺が最後に見る仲間たちの姿かもしれない。ふいに浮かんで来たそんな考えを振り切って、俺は目の前の脅威に集中した。


 いっそ殿下より先に攻撃をするべきか悩んだが、悩んだのはほんの一瞬だった。まだマティアス殿下の準備が終わらないうちに、俺の攻撃に邪竜が反応しては困る。

 それにささいな擦り傷をつけるために魔力を失うくらいなら、殿下へと魔力を注ぎ、致命傷を負わせるほうが、俺たちが生き残る確率が高くなるような気がした。


 周囲の魔素が殿下の剣に集まっていく。俺もほとんどの魔力を殿下の剣へと注いだ。けれども足りない。


 邪竜はすでに森の樹々を越すほどに大きくなっている。生まれて初めて見る竜は、忌まわしく禍々しい姿をしていた。


 魔術師さえいないこの状況でどこまで通用するのかはわからない。けれど逃げるという選択肢は俺たちには与えられていない。そしてその気もない。それに――ここで逃げてもこの邪竜がいる限り、世界のどこにも安寧の地は見つからないだろう。


 俺はこの時、死を覚悟していた。それでもせめて俺たちの命と引き換えに、この国の者たちを護れるように。逃げる時間を稼げるように。それだけを願っていた。


 今にも邪竜が攻撃を仕掛けてくるのではないか。


 そう恐れていると、あの少女が走っていた馬から転げ落ち、こちらに向かって走って来た。そして大きな木にしがみ付き、追って来た騎士が引きはがそうとしても、離れようとしない。マティアス殿下はあの少女を逃がそうとしていたというのに、何故戻ってきてしまったのか。


「何で逃げなかった」


 マティアス殿下にそう問われた少女は、唇を引き結び、眉を僅かに顰め、しかし凛とした声で答えたのだ。


「私には見届ける義務がある」と。


 その様子はとてもただの少女には思えなかった。表情にも、声にも、意思の強さと決しの覚悟が見て取れた。


 そして不思議なことが起った。少女がそう言った途端、周囲の魔素が急激に増えたのだ。そして眩い黄金の光を放ちながら、殿下の元へと集まっていった。


 今や殿下の元に集まった魔力は、目の前に立ちはだかる邪竜と同等とも言えるほどに膨れ上がっていた。


 とてもあり得ない光景だった。たった一人が、そして魔術師でもない者がここまでの魔力を扱えるとは、到底思えなかった。けれど黄金の光はすでに青い空まで届くかの如くに膨れ上がっている。


 なんという美しい光景――。青と黄金がせめぎ合い、赤黒い淀んだ魔力を包み込もうとしている。


 そしてマティアス殿下が大きく息を吐きだした、次の瞬間。暴発寸前だったその魔力の塊が邪竜へと向かい解き放たれた。と同時に、邪竜の魔力もまるで爆ぜるように周囲に向かい放出された。


 俺は咄嗟にマティアス殿下に結界を張った。自分に結界は張っていない。けれどマティアス殿下に結界を張った瞬間、何か暖かなものが俺の身体を包み込んだのがわかった。一瞬リンツかと思ったが、これは人が創る結界ではないように感じた。


 何が何だかわからなかったが、それを考えている時間も余裕もなく、その場に踏み止まるだけで精一杯だった。







 永遠かに思えた時間は、しかし、おそらくは一瞬のことだったのだろう。


 衝撃は凄まじいものだった。大地は抉れ、森は薙ぎ払われた。


 近くで邪竜の魔力を浴びたため、俺の着ていた甲冑は、腐食したかのようにボロボロに崩れていた。甲冑と結界がなかったらと思い、一瞬で全身が総毛だった。


 すでに邪竜の姿はそこにはない。邪竜のいた場所には、ひと際大きな抉れが存在していた。


 よろよろと視線を動かせば、まずはリンツの姿が目に入った。何故か茫然としたように俺を見つめている。そして次に剣を振り切ったままの姿で立ち尽くすマティアス殿下が。けれどその身体には少しの動きも見られない。息をしているかどうかすら、わからなかった。

 

 俺は殿下の身体の内にあるはずの魔力を――いや、魔素を探った。わずかでも残っていれば殿下の命は救われるはずだ。


 深く意識を集中し――安堵した。


 俯いているため意識があるのかどうかまではわからなかったが、死んではいない。一歩間違えば魔力とともにその命は失われていただろうが、生命の鼓動は絶たれていない。微かだけれど殿下の身体の内側に魔素を感じることが出来た。


 だが、何がかおかしいとも感じた。殿下の身体の中にある魔素が、せわしなく流動しているのだ。


 ――いや、違う。


 魔素は今まさに殿下の身体の中へと入りこんでいる。さらに意識を集中すると、殿下を取り囲むように浮遊する、淡く弱く輝く魔素の姿を辛うじて見ることができた。

 殿下の周囲に残った魔素が、次々に殿下の身体の中へと入っていく。まるで必死に殿下の命を繋ごうとでもしているかのように――。


 またもやあり得ない光景に茫然としていると、マティアス殿下の名を呼ぶ少女の声が耳に届いた。


 その瞬間、それが合図であったかのように殿下の身体が前に傾いた。俺が己の身体に喝を入れ倒れていく殿下の前へと両腕を差し出すと、同じように反対側からも両腕が伸びてきて、何とか殿下の身体が地面に着く前に支えることが出来た。


 俺たちがお互いの顔を見合わせてほっと息をついていると、カシャカシャという聞きなれた音と、小さな足音が同時に近づいて来た。あの少女が俺たちの仲間に支えられ、こちらにやって来た。


 少女の様子を窺ってみたが、俺が結界を施したからか、背後の騎士が護ったからか、小さな擦り傷は所々に見受けられたが、大きな怪我はないようだった。その少女の様子を見て、俺は胸を撫でおろした。


 少女はマティアス殿下の傍まで来ると、その場で膝を突いた。


 美しい黒髪は乱れているが、少女の纏う凛とした空気は、些かも乱れてはいない。


 少女はマティアス殿下の顔を覗き込むと、見る見るうちにその瞳に涙を溜め、そして言ったのだ。



「あなたのおかげで世界は救われた。……竜殺しの英雄、マティアス・レドフォード」



 その言葉を聞いた瞬間、俺の肌が粟立った。俺以外の二人も、同時に息を飲んだ。



『竜殺し』



 それはマティアス殿下の人生に付きまとっていた、唾棄すべき呪いの言葉だったはずだ。


 だが、違った。そうではなかったのだ。


 マティアス殿下は《古の災厄》を葬った。かつて世界の半分を壊滅させたという、あの伝説の邪竜を。


 ――マティアス殿下は竜を殺したのだ。


 そして俺たちはその場に居合わせた。新たな伝説が生まれた、その場所に。




 俺はその言葉を放った少女を見つめた。


 マティアス殿下を慈愛の籠った眼差しで見つめる美しい少女。その姿は、かつて邪竜を封じるために命を捧げたという聖女の姿を彷彿とさせた。


 それは誰でも知っている物語だ。


 膨大な魔力をその身に宿した聖女は、持てる力のすべてを邪竜を打ち倒す役目を負った当時の英雄に与えた。身体の奥深くに満ちた魔素まですべて失えば、同時に命を失うことになる。それでも聖女は躊躇うことなく、己に宿るすべての力を英雄へと与えたという。


 彼女に魔力はない。魔力がある者ならばすぐにそれとわかることだ。けれど、この場に残ることを選んだ彼女は、確かに「私には見届ける義務がある」と言った。そして、それに呼応するかのように、量と輝きを増した魔素。


 この世界を護るため、魔力のすべてを枯渇した聖女。


 その聖女と目の前の、魔力を持たない少女の姿が重なった。


 何故、マティアス殿下は彼女に付いてきたのか。何故、二人が揃うこの場で《古の災厄》が復活したのか。何故、殿下はたった一人でそれを打ち破ることが出来たのか――。


 馬鹿げた考えだと思う。生まれ変わりなど、そんなことは子どもでも信じないようなおとぎ話だ。けれど眠るマティアス殿下を静かに見つめる少女の姿は、まるで伝説に語られる聖女と英雄の姿そのものではないか。


 俺の頬には、いつしか涙が伝っていた。正面を見れば、俺と一緒にマティアス殿下を支えているリンツの頬も涙で濡れている。きっと彼も俺と同じものを感じたのだろう。少女を支える騎士からも、鼻を啜る音が聞こえてきた。俺たち三人の気持ちは一緒だ。


 今日、この時に新たな伝説が生まれ、俺たち三人はその幸運な目撃者となったのだ。





 とめどなく流れる涙で霞む目を瞬かせ、俺は月の輝く青い空を見上げた。


 夜空は恐ろしいほどに澄んでいる。まるで邪竜とともに周囲の穢れがすべて消滅したかのようだ。


 たった一夜で、俺の人生のすべてが変わった。青い月の夜。かつての聖女と英雄が邪竜を封印した、伝説の夜――。


 俺は――そしてこの国は、新たな英雄を得たのだ。










 すべてが終わったあと、ブラッド隊長が仲間を連れて戻って来た。台車に仰向けに寝かされた俺は、運ばれていく途中、同じように俺の隣に横たわっているリンツに顔を向け、聞いてみた。


「なあ」


 俺が呼びかけると、リンツもゆっくりと顔をこちらに向けた。


「お前俺に結界を張ったか?」


 するとリンツは大きく目を見開き、「エイベルさんが張ったと思っていました」と言った。


 俺はそんなことをしていない。残った魔力はすべて殿下の結界を張るために使うつもりだったし、そうしたはずだった。それでも何者かが俺と、そしてリンツに結界を張ってくれたことは確かだ。そしてその結界が通常の結界とは異なっていたのも事実。


「俺じゃない」


 殿下であるはずもないし、少女とともに残ったあの騎士でもないだろう。そもそもあの騎士に魔力はない。


「……聖女」


 ぽつりと零されたリンツの言葉に、俺は息を飲んだ。


「あの少女は、マティアス殿下を《竜殺しの英雄》と呼びました」

「……ああ」


 ずっと『竜殺し』と恐れられ、遠巻きにされてきた原因である殿下の二つ名が、その瞬間別の意味を持った。


「あのお二人は……千年前の聖女と英雄の、生まれ変わりではないでしょうか」


 俺とまったく同じことを考えたらしい、そしてそれを恐れることなく口にしたリンツに、俺の口から笑い声があふれてきた。


 満身創痍で大笑いをはじめた俺に、リンツと、そして台車の横に付いて歩いている騎士たちからもギョッとしたような気配が伝わって来た。


「……どうしました?」


 恐る恐るといった感じで聞いてきたリンツに、俺は正直に打ち明けた。


「……俺も同じことを思っていた。俺たちを護った結界だが……あの時はわからなかったが、あれは多分殿下を護ったものと同じだ」

「殿下を護ったもの?」


 リンツが訳が分からないとでもいうように眉を顰めた。


「俺は目がいいんだ。邪竜を倒したあと、マティアス殿下の身体には周囲の魔素が入り込んでいた。しかも自らの意思でな」


 俺の言葉を聞いたリンツが目を丸くした。


「自らの意思って……そんなことあるんですか?」

「……そうとしか言いようがない」


 リンツの疑問はもっともだ。俺だっていまだに自分の見た光景が信じられない。けれどそうでも考えないとあの現象は説明できないのだ。


「あの魔素は、何故自ら動いたんだろうか」

「……エイベルさん?」

「多分、あんなことは魔術師にだって出来ない。そもそも、殿下があれほどの魔力を集められたことにも、俺はあの少女が関わっている気がしてならない」


 リンツは何も言わない代わりに、小さく頷いた。


「あの魔素が自ら動いてくれなければ、きっと殿下は死んでいた」


 俺の言葉に、リンツだけではない、周囲の騎士たちからも息を飲む気配があった。


「俺たちもだ。何者かが結界を張ってくれなければ、俺たち全員、死んでいた」


 あの邪竜を前にして、わずかでも己の魔力を残しておこうなどという考えは思い浮かばなかった。あの時のマティアス殿下は、己の身体に宿る魔力はおろか、魔素まですべて出し尽くしていたのだ。


 そして俺もリンツも、すべての魔力を出し尽くす気でいたはず――いや、実際にそうしたはずだった。だからリンツは、邪竜を倒したあと、あれほど驚いた表情を見せたのだ。きっと魔素は俺たちにもその力を与えてくれたのだろう。


 誰も何も言わなかった。けれどきっと今の俺の言葉を聞いていた全員が考えたはずだ。


 殿下のことを。そして殿下を導くようにあの場へと連れて行った、あの少女のことを。






 そして後日、あの少女がかつての聖女を輩出した家の出身であることと、新たな聖女であることが公式に発表されることになる。そして同時にマティアス殿下との婚約も。


 英雄と聖女の婚約に、国中が、いや、世界中が歓喜に満たされた。




 そうして――図らずも俺は、竜殺しの英雄であるマティアス殿下に従い共に邪竜を打ち破った騎士として名を知られることになるのだが、それはまた別の話だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
面白かったです!^_^
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ