第四話
私がひっそりと覚悟を決めていると、私たちがやって来た方向から何やら音が聞こえてきた。甲冑のガチャガチャと、馬のパカパカ。
あ、ブラッドさんだ。おお、他にも数人いる。何だなんだ。何が始まるんだ? いやマティアス迎えに来たのか。そういや遅かったら迎えに行くって言ってたもんな。
「マティアス!」
「ブラッド……」
マティアスに駆け寄ったブラッドさんは、さらにはっきりとした形を取りつつある邪竜に気づき目を大きく見開いた。
もう結構でっかくなってるよね。見た感じの体積はゾウを軽く超えたね。丈はキリンくらいかな? でもまだまだどんどん大きくなりそう。
「遅いから来てみれば、何だあれは……!」
邪竜です。私もはじめて見ました。
「《古の災厄》だって。ちょうど良かった、ブラッド。そこの二人連れて逃げて。あと民の避難と騎士団の出動。城にいる魔術師に出来るだけ広範囲に結界張らせて。そんで俺が失敗した時に備えて近隣国への警告と魔術師の要請もしといて」
マティアスはそう言いながらも剣の柄から手を離さない。さっきからずっと同じ姿勢だけれど、きっと剣に魔力を込めているのだろう。剣が薄っすらと光っているし、なんとなくマティアスの方から圧を感じるし。
……それにしても、マティアスさん? 騎士様を顎で使って敬礼されるブラッドさんに命令ですか? あれ? マティアス新兵だよね? 何なのその上に立つ者っぽい台詞。
「は……《古の災厄》⁉」
「だってさ。まあ、あの魔力は疑いようもないよね」
そうなんだよね。私も魔力はないけれど、あれの禍々しさは十分に伝わって来る。
この世界の人間は皆魔力を感じることができるし、見ることもできるのだ。微かな変化やごく微量の力は魔力がなければわからないけれど、大きな魔力などは誰にでもわかるし、目で確認することが出来る。それは誰でも身体に魔素を持っているからだ。
だから、目の前のあれがとんでもない力を持ったものだということは、ここにいる誰もが実感していることだろう。
でも魔力を感じられることと魔力があることはイコールじゃない。魔力とは、魔素の性質を変化させた力のことを言い、その魔素を魔力に変化させるには生まれ持った才能が必要。だから魔素はすべての人間が持っているけれど、魔力がある人間はそれほど多くない。
そして魔力を持つ者がその魔力を様々な用途に使う技術を魔術と呼び、その魔術を駆使できる者のことを魔術師と呼ぶのだ。
まあ、一般的に言うところの魔術師って主に役職名になるんだけどね。だからマティアスは魔力があるし多分色々なことに使えるだろうけど魔術師とは呼ばれない。別に呼んでもいいんだけど。
ちなみに小説の中でマティアスが邪竜と戦った際に魔力が尽きたって話は、それも結構よくある話。仕組みはまだわかっていないけど、多分一旦身体の中にある魔力を使いきっちゃうと、魔素を魔力に変換する回路が閉じちゃうんじゃないかって言われている。
そして魔力を通り越して魔素まで使い切ると、待っているのは死だ。
「ブラッド。いつまでこの場が持つかわからない。さっさとその二人を連れて行ってくれ」
邪竜は今はまだ、周囲の魔素を集めるのに集中している状態だ。
小説の中では邪竜が復活した時にはその場に生きている者は誰もいなかった。だから十分力をつけるまで成長することができた。
そもそも一旦邪竜が蘇ってしまえば、完全に消滅させるにはそれこそ膨大な魔力が必要になる。それに邪竜の実体は魔素の塊でその攻撃も魔力に寄るものがほとんどだけれど、魔力によって具現化された血の通う仮初の肉体も持っているのだ。
それは魔力だけではなく邪竜からの物理的な攻撃も可能なのだということ。小説の中では巨大化した邪竜が暴れ回るだけで、多くの物や人が薙ぎ払われていた。
邪竜が一度暴れ出したら、ここら一帯はきっとすぐに地獄に変貌してしまう。
「――駄目だ! 俺が残る。お前が逃げろ!」
「ブラッド魔力ないでしょ」
マティアスにすげなくそう言われたブラッドさんは、一瞬ぐっと言葉に詰まったあとに――吼えた。
「――王子を残して逃げるなんて、出来るか!!」
――驚いたぁ……。
ブラッドさんのあまりの声の大きさに、私の鼓膜がビリビリと震えた。脳天まで突き抜けた。耳通り越して頭痛いわ。でも言葉の内容にはもっと驚いた。
……王子? マティアス王子様なの?
えっ、じゃあ曰く付きの今何しているかわからない第三王子様ってマティアスのこと? 王子様が騎士団で新兵やってんの? マジか。そりゃ過保護になるわけだ。
となると、私王子様を《古の災厄》にけしかけたことになるの? あ、でも姓がある。この国の王家って姓がなくて名前だけだったはず。
それにマティアスが王子なんてそんな記述小説にあったっけ……いや私が覚えていなかっただけか……(二回目)。
レドフォードはもしや偽名か? ペンネームか? あれえ? これ助かっても私の立場ヤバくない?
「世界の破滅を前にして、王子とか関係ないでしょ」
だよね! 良いこと言うね、君。めっちゃ同感! 生き残ってもどうかその台詞覚えてて!
「だが……!」
「ブラッド! ……時間がない」
ブラッドさんは一度唇を噛み、目に映るすべての生物を殺しかねないような恐ろしい形相でマティアスを一睨みしてから、そのままつかつかと私とベルタへと近寄って来た。
え……もしや私に怒ってるの? 私殺される? 身体がガクガクと震えてきちゃうよ?
「大丈夫か? 怪我はないか?」
……気のせいだった。ごめんブラッドさん。顔怖いけどやっぱ優しい人だ。
「だ、大丈夫です。でもベルタが……」
私が言うや否や、ブラッドさんはベルタをひょいと持ち上げお姫様抱っこをした。格好いいな、おい。そして私に「歩けるな」と確認を取って来たので、私はそれにこくこくと頷く。正直二股野郎の最期を見て腰が抜け気味だったけど、もう大丈夫だ。
「魔力のある奴は残ってマティアスに加勢しろ!」
ブラッドさんからの命令に、数人の内の二人が「はい!」と威勢よく声を上げた。……少ない。でも連れて来た人数が人数だ。いるだけマシか。
――いやいや、こんな絶望的な場所に残ってくれるんだ、敬意を込めて騎士A様と騎士B様と呼ばせていただこう。
ブラッドさんとは別の騎士様の馬の背に乗せて貰った私は、どんどんと膨らんでいく赤黒く大きな邪竜の影を見つめた。
身体の陰影が濃くなったり薄くなったりしているところを見ると、まだ魔素が安定していないのかもしれない。
青い月の光に照らされた邪竜の姿は、とても禍々しい。だんだんとはっきりとしてきた艶のある黒い鱗がいかにも不気味だ。
私ドラゴンって結構憧れてたのに、さすがにこの姿を見てミーハーに騒ぐことはできない。ま、邪竜だからしょうがないか。
邪竜が魔素を取り込み大きく膨れる度に、圧倒的な力の奔流が鼓動のように押し寄せて来て、今にも吹き飛ばされそうだった。
そんな中マティアスは一人邪竜と対峙している。いや、一人じゃない。マティアスの両脇には残った二人の騎士AB様もいる。二人ともマティアスの邪魔をしないように、けれどきっと何かあったらすぐにでも手助けできるように構えている。
そんな三人の姿を見ていると、ふいに胸に何だか重いものが落ちてきた。これは、不安、焦燥、そして後悔という名のものたちだ。
そして私に問うている。三人を置いて逃げる。その選択は本当に正解なのかと。
私がここに残っても、多分、いや確実に何の手助けにもならない。
けれどマティアスをここに連れて来たのは私だ。知っていたのは私だ。これはもっと早くに私が思い出していれば、防げたかもしれない事態なのだ。
「……ッ」
覚悟を決めた私は、走り出したばかりの馬の背から飛び降りた。本当は危険だからしちゃいけないけどね。
そして見事着地失敗。膝めっちゃ痛い。一人だったら絶対、地面を転げ回ってた自信がある。でも骨折しなかっただけマシか。本当、あまりスピードが出ていなかった時だから出来たことだよね。
後ろで「お嬢さん!」という騎士様の慌てた声が聞こえたけれど、気にしてはいられない。
ちょっとだけふらふらしながらも、私はマティアスたちの少し後ろ、大きな木の幹に辿り着き、そこに蝉のようにしがみついた。意地でもここから離れないぞ、と態度で示したわけだが、けれど馬を降りて追って来た騎士様もそんな私を幹から剥がそうと必死だ。
何で来たんだよ、もう。あなたも手遅れになるよ?
「何で逃げなかった」
邪竜に集中しているかに見えたマティアスだったけど、私が戻って来たことに気付いていたらしい。私に背中を見せたまま、こちらを振り返らずにそう聞いてきた。
その声を聞いた私と騎士様はピタリと動きを止めた。やっぱこうやって聞くと声に威厳があるよね。
それで? 何で逃げなかったかって? 騎士様は知らないけど、私の場合はそりゃもちろん、
「私には見届ける義務がある」
からですよ。
……いや、あるかな? 無いような気もするけれど、まあいいや。気分の問題だ。どのみちマティアスが失敗すれば死ぬんだし。それに連れて来た私が先に逃げるって、どうにも気分が悪い。
「……そうか」
意外にもマティアスはそれ以上逃げろとは言ってこなかった。もしかしたらマティアスにもわかっているのかもしれない。自分が失敗したらこの国はもう終わりだってこと。私もそう言ったもんね。
「その子と彼に結界を張ってくれ」
マティアスに頼まれた騎士A様が私たちに結界を張ってくれた。一瞬ほわっと周囲の空気が暖かくなってから、ぴんと張りつめたような感覚があった。結界を張ってもらったのは初めてだったけど意外とわかるものなんだな。
そして――多分、私たちに結界が張られたことを確認した次の瞬間、離れている私にもマティアスが大きく息を吐いたのがわかった。
そしてマティアスの持つ剣に強い光が宿る。
黄金色の眩い光。
青い空まで届くような膨大な魔力による光だ。そしてその光がさらに周囲に漂う魔素を練り込み、渦を巻くようにどんどんと大きくなっていく。
その光に反応した邪竜が、地鳴りのような咆哮をあげた。
邪竜を中心に波のように広がっていくその轟音に、大地が、空気が、震えている。
きっとこの咆哮は大気中に存在する魔素を伝わり、遥か遠くの国々にまで響いたに違いない。
正に世界の終焉の音だ。
その邪竜が咆哮を終える前に、マティアスが邪竜に向けて黄金の光を纏う剣を振り下ろした。
その瞬間――私の目の前で、光が弾けた。
勝敗は多分、一瞬で決した。
二つの大きな力が真正面からぶつかり、まるでビックバンのような眩さに世界が包まれた……ように私の目には見えた。
――というか、本当は眩しくて何が何だかわからなかったんだけどさ。気付いたら勝負が終わっていた感じ。
ただ、マティアスが振るった剣から放たれた魔力と邪竜の魔力がぶつかった衝撃で、周囲の木々がなぎ倒されてしまった。
……私? もちろん私のせいで残らざるを得なかった不運な騎士様ともども吹っ飛ばされましたけど、先ほど騎士A様の張ってくれた結界と身をもって私を庇ってくれた不運な騎士様のおかげでたいした怪我はありませんでした。お二人ともありがとうございました。
残ったのは半径約百メートルがクレーターみたくなった地面と、すっかり開けて随分と見通しが良くなってしまった森。あとは、剣を振り切ったままの恰好で微動だにしないマティアスがそこにいた。あ、あと助太刀に残ったお二人の騎士AB様も。
騎士様お二人は地面にへたり込んでいるけれど、あれは多分魔力をマティアスに吸われたからだと思う。二人の身体からもマティアスに向かって光が飛んでたもんね。
三人とも身に着けていたはずの甲冑なんて、ほぼ金属の残骸と化しているんだけど……死んでないよね? お二人の騎士様は動いているから心配ないけど、さっきからマティアスがピクリとも動かないんだよ。
……生きてる? ねえ、生きてる⁉
「マティアス……」
私が声をかけた瞬間、マティアスの身体がぐらりと前方に傾いだ。私があっと思った時には両脇にいた騎士AB様がそれぞれ両手を差し出して、マティアスが地面に倒れ伏すのを直前で防いでいた。自分達もボロボロなのに、あっぱれな忠誠心だ。
私は不運な騎士様の手を借りてよろよろとマティアスに近づき、その顔を覗き込んだ。甲冑がほぼなくなっているから顔が丸見えだ。
今は閉じられていて見えないけれど、その瞼の下には青い瞳がある。神々しいダークブロンドに、寝ていてもそれとわかるほどに整った顔。
実はマティアスの苗字は確認していなかったんだけど、多分、というか絶対、この人はあのマティアス・レドフォードだ。
竜倒したしな。
そう思った瞬間、私の身体の内側から例えようもない何かが衝き上がって来た。熱い。とても熱い。きっと心の状態が身体にまで作用しているのだろう。
――うん。何ていうか……そう。私は今猛烈に感動しているのだ。
「あなたのおかげで世界は救われた。……竜殺しの英雄、マティアス・レドフォード」
歓喜と感動のあまりポツリと落としてしまった私の言葉に、三人の騎士様が息を飲む音が聞こえた。
――いかん、また王子様を呼び捨てにしてしまった。怒られるかな?
でも何故か誰からもお叱りの言葉はかからなかった。皆心が広すぎない? 逆に怖いんだけど。それともマティアスが起きてから事情聴取とかするのかな。王子様を邪竜の前に連れてきちゃったしな。
頼むから私に唆されたとか言わないでくれよ? 感謝はしているけれど、私付いてきて欲しいとか一言も言ってないからね?
でも、ま。これで世界の危機は救われたわけだし、この国も滅びずに済んだ。その慶事に免じて子どもの不敬くらい許されるだろう、多分。……許してくれるよね?
うん。そう思っておこう。それがいい、それがいい。考えるの怖い……。
あるいは私と同じように感動に身を浸している騎士様たちにはそれどころじゃなかったのかもね。なんか騎士AB様なんて泣いてるし、後ろからも鼻をすする音が聞こえるよ。皆このまま忘れてくれるといいなあ。
とにかく、これでようやく終わったよ。めでたしめでたし。
いやー、私めっちゃ働いた。
事態が収拾したことに安堵した私は、ほうっと息を吐きだした。はずみで上向いた私の視界に、青い空に浮かぶ銀青の月が映り込む。
――ああ、綺麗だなあ。
……やばい。私の中の詩人が目を覚ましちゃったよ。
よし。いっちょこの物語に相応しく締めくくるか!
銀青の月の輝く美しい夜。
かつて聖女と英雄が邪竜を封印した夜と同じ、青い夜。
一人の英雄によって再び世界は救われた。
竜殺しの英雄、マティアス・レドフォード。
《古の災厄》を葬った彼の名は、きっとこれから世界中に轟くことになるだろう。
――終わり! ちゃんちゃん。
本編はこれで終了です。あとは蛇足と、この夜の出来事を別視点から見たお話。




