070 幼女を怖がらせてはいけません
海猫ちゃんのナデナデを守る為に一度旅館に帰って来た私達は、そこでアマンダさんとナオちゃんと合流した。
どうやら、アマンダさんとナオちゃんは本当に町の様子を見に行っていただけの様で、直ぐに戻って来たらしいのだ。
「私達の方も色々あったし、お互いの情報を交換しましょう?」
リリィの提案で情報交換が始まった。
アマンダさんとナオちゃんは、町の様子を見に行って、ついでに残っていた町の人達から情報を集めていたらしい。
龍族のお姉さんメールが私達の前に現れた時、アマンダさんは既にそれがただの敵情視察だと察していた様なのだ。
だからこそ、その場を私達に任せて情報収集に出かけたようだ。
て言うか、あれ敵情視察だったんだねって感じだよね。
それから、アマンダさんから得た情報なのだけど……。
「ブレードシャーク?」
「そうにゃ。太ももを理想の形にするのを拒否した町の人を、ブレードシャークを使って襲ってるみたいだにゃ」
思ったより大事件になってるかも……。
ブレードシャークは、この世界の海で漁師から恐れられている鮫だ。
もの凄く切れ味の良い剣の様な形の角が頭に生えていて、獲物をその角で突き刺して殺して食べる恐ろしい鮫なのだ。
油断すると、漁師の乗る船の底にその角で穴を空けられて、船が沈んだ所を襲われるなんて事もある。
「ブレードシャークに人を襲わせてるって事は、何人か被害が出てるんスか?」
「はい。既に被害者は出ています。そして、異を唱えた者はブレードシャークの脅威になす術無く――」
アマンダさんの言葉に、ごくり。と、私は唾を飲み込む。
「髪の毛を切られ、スキンヘッドにされてしまったのです」
そんな……って、え?
アマンダさん今何て言った?
聞き間違いかな?
スキンヘッドにされたって言わなかった?
「なんてむごい事を!」
「鬼畜の所業なのよ!」
リリィとスミレちゃんが悲痛に声を上げた。
「ご主人、もう放っておいて良んじゃないッスか?」
「が、がお」
う、うーん。
でも、考え方によっては結構悲惨だし……って言うかだよ。
男性はともかく? 女性にはきついよね。
そう考えたら、ただ事ではないのかも?
でもなぁ……。
私、もっとグロイの想像してたよぉ。
お腹引き裂かれる的な、聞くだけで恐ろしいやつ。
髪の毛、髪の毛かぁ……。
まあでも、なんだかホッとしたなぁ。
ホッとしたその時、私の体に異変が起こる。
こ、この感じは!
私は控えめに手を上げてボソボソと呟く。
「あのね、おトイレは何処かな?」
そう。
海に入ってから何時間くらい経ったかは分からないけど、ついに尿意を催してしまったのだ。
と言うか、今までよくもったなぁと、自分を褒めてあげたい。
「仕方が無いわね。私が飲んであげるわよ」
リリィ、ちょっと何言ってるかわかんない。
「その辺ですればいんじゃないッスか?」
男の子じゃないから無理だよ。
「リリィ、大変なのよ! コップを持って来ていないなのよ!」
スミレちゃんまで何言ってるの?
「大丈夫よ。直で飲めば良いじゃない」
やめて?
「部屋の中は空気があって、トイレもついてるにゃ。さっきニャーもそこでトイレを済ませたにゃ」
「ありがとー! ナオちゃん!」
私はナオちゃんにお礼を言って、トイレへと急いだ。
トイレの中にトンちゃんとラヴちゃんを連れて行くわけにはいかないので、勿論ポーチは外していく。
そして、適当に近くの部屋の扉を急いで開け――開け――開けーっ!?
なんで全部鍵が締まってるの!?
って、そんなの旅館なんだから当たり前か!
うううっ、やばいー!
ナオちゃんが使った開いてるお部屋は何所なのー!?
私は何度目かのかつてないピンチに襲われてしまった。
どこもかしこも扉は鍵が閉まっていて、入ろうにも入れないのだ。
扉を壊して入ろうかと一瞬考えたりもしたけど、それによって部屋の中に海水が入って、トイレの中が海水に浸かってしまう可能性を考えてやめる。
どうしよう!?
このままじゃ、このままじゃ本当にもれちゃうよ!
私は焦り涙目になる。
正直な所、さっきまで全然そんな事なかったのが嘘のように結構ヤバい。
本当に我慢の限界なのだ。
「ジャスミン」
リリィ?
名前を呼ばれて振り向く。
リリィが鍵を持ってやって来てくれた様で、私に近づくと鍵を渡してくれた。
「マスターキーよ」
「ありが――」
私が鍵を受け取ってから、お礼を言おうとしたその時だ。
突然近くの扉の向こうから、ドンドンと、何かを叩くような音が聞こえてきた。
「誰かいるのかしら?」
リリィが顔を顰めて音の聞こえた扉に近づく。
私もリリィに続いて扉に近づいて、耳を扉に寄せて物音を確認した。
すると、扉の向こうから、激しく何かを叩く音が聞こえた。
「リリィ……」
「ええ」
私とリリィは顔を見合わせて頷いた。
そして、私は鍵を開けて扉を開く。
「おじゃましぁす……」
小声で喋り、部屋の中に入って行く。
部屋の中は不思議な事に聞いていた通り空気があって、どういう仕組みかは分からないけれど、扉を開けた状態でも海水が入ってくる事は無かった。
私はそれを不思議に思いながらも、慎重に部屋の中を確認する。
「誰も……いないわね」
「……うん」
リリィの言う通り、部屋の中には誰もいなかった。
この旅館の部屋にはベッドと机と椅子位しかなくて、他に変わった物は無い。
リリィがユニットバスの扉を開けて中を確認したみたいだけど、そっちも特に変わった物は無いようだった。
部屋の窓から外を見ても、特に変わった物は無い。
うーん……。
さっきの音はなんだったんだろう?
ちょっと不気味だけど……うん。
おトイレが先だよね!
私が回れ右してトイレに向かおうとしたその時、轟音が響くとともに天井が崩壊した。
そして、私の目の前に体長5メートルはありそうなブレードシャークが降って来た。
剣の様な角が私を捉え、私とブレードシャークの目がかち合う。
ブレードシャークが咆哮して、肌にびりびりとその振動が伝わり、私は恐ろしさで震えあがる。
「ひっ……!」
私が小さな悲鳴を上げながら腰を抜かして尻餅をついたその直後だ。
リリィが物凄い速度でブレードシャークを蹴り上げて、そのまま空中で回し蹴りを食らわせる。
ブレードシャークは白目をむいて壁に激突し、重い音をたてて床に落ちた。
怖かったよぅ。
鮫なんて間近で見たのは初めてで、しかも、ついさっき話していたブレードシャークが出てきたせいで本気で怖かった。
龍族のお姉さんメールの命令では髪の毛を切るなんて変な事をしているブレードシャークだけど、本来は人であっても襲って食べる様な凶暴な海の生物なのだ。
そんなのが目の前に現れて、しかもまさかの恐ろしい咆哮で、怖がるなと言う方が無理なのである。
「ジャスミン、大丈――夫じゃないわね」
「わああん。リリィ、ありがとおー!」
腰を抜かして立てない私は、その場で泣きながらお礼を言った。
リリィは眉根を下げて苦笑しながら、私が尻餅をついて座り込んでしまった床を見て、ユニットバスに備えてあったタオルを取って来た。
「ごめんね、ありがとぉ……」
「いいのよ。ジャスミンが無事で良かったわ」
「うん」
私は頷いて、リリィが持って来たタオルに手を伸ばす。
「自分でやるよ」
「ええ。わかったわ」
リリィは私に優しく微笑んで、タオルを渡してくれた。
私はリリィからタオルを受け取ると、自分の足や床を拭く。
そう。
私は失禁してしまったのだ。
ブレードシャークが咆哮した時に、あまりの怖さにビックリしてしまい失禁してしまったのだ。
うぅ……。
もうやだお家帰りたい。
私は涙目になりながらも、自分が汚してしまった床を一生懸命掃除したのだった……。




