第八十一話 治水Ⅱ
「アルムス様。一先ず、大まかな概要が出来ましたのでお読みください」
イスメアは俺に計画書を差し出した。
それは非常に大まかで、とてもじゃないが計画書と言えるほどのものでは無い。
だが三日、見てきただけで書いたにしては良く出来ている。
「川の水量や、首都建設予定地の地質調査に関してはテトラ様と変態……ニコラオスの報告待ちです。ですから調査結果次第で細かい修正を加えるつもりではあります」
「ふむ……」
イスメアが建設地として指定したのは三つの川の合流地から少し東側の土地だ。
この計画書によると、この辺の土地は若干西に傾いている為、川が氾濫した時、水は西に向かうとか。
だから東側に建物を建てればまず安心。
その場所にはなだらかな丘が七つあるらしく、重要施設は丘の上に建てればまず浸水する危険性は無いとのことだ。
だが十年に一度規模の氾濫が起これば、丘の上は大丈夫にしても丘の下の低地は水に浸かる恐れがある。
丘の下の低地には庶民の家々が建てられることが予想されるので、治水は必須。
以上が首都に関する報告書である。
「治水はどうする?」
「治水は報告を聞いてから具体的な計画を立てるつもりではありますが……取り敢えず分水と堤防の二つで対応しようと思っています。面倒な場所ではありますが、暴れ川というほどでもありませんし」
「分水と堤防か」
分水は良いな。灌漑設備にも成るし、治水の被害も減る。
一石二鳥だ。
「ああ、そうだ。実はお前に見せたい物がある」
俺が手を叩くと、奴隷が二人係で例の物を持ってきた。
ドロドロとした灰色の液体と、灰色の石だ。
「これは?」
「コンクリートっていう代物だ。普段はドロドロだけど、時間が経つと固まってこれくらい固くなる」
俺は固まったコンクリートをイスメアに手渡す。イスメアは興味深そうにコンクリートを眺める。
「火山灰と石灰を混ぜて作る。材料はいくらでもあるから好きに利用してくれ」
「こ、これは……こんなに便利なモノがあるならもっと早く教えてください!」
イスメアは興奮しきった顔で俺に詰め寄った。
開発するのに時間が掛かったから、教えられなかったんだよ。ぬか喜びさせるのは良くないし。
「それでどれくらいの人員を費やして、どれくらいの期間を掛けるつもりだ? 俺はあまり待ちたくないんだが……」
「まずは治水ですが……取り敢えず分水工事と堤防造りで一年です。そしてさらに四年掛けて堤防と分水を強化し、灌漑を施します。これだけ入念に工事をすれば天変地異でも起こらない限り、決壊することは無いかと」
五年か……
これは長い方なのか? 短い方なのか……イマイチ分からんな。
「都造りですが……先ほどご説明した通り、丘の上から作ります。始めるのは治水工事を始めてから一年が過ぎてからが宜しいかと。一先ず落ち着くので。城壁造りに一年、宮殿やその他官営施設の造営で三年といったところでしょう。少なくとも首都機能だけは四年もあれば遷せるようになりますよ」
ほう……さっきから聞いていると随分と短い見積りだが……
「何人必要だ? その計画通りに行くためには」
「二千人です。この国の国力から考えて、常時四千人の人夫を養うのが精一杯。とはいえ少なすぎると時間が掛かり過ぎて、逆に費用が掛かります。最大効率で工事を行うならば二千人が最適です」
二千人か……
我が国の常備軍は千。だから三千人の人間を農業から切り離して、軍事や工事に駆り出していることに成る。
約人口の一・二%。まあ何とかなるレベルだな。五年間維持することを考えると少し頭痛がするが、倒れるほどでもない。
「それとイスメア。実は道路も敷設したいんだが……出来るか?」
「道路ですか? 今でもあるじゃないですか」
そう。簡単な道路ならある。
というか人が歩く場所は地面が踏み固まれて、自然に道路になるものだ。
大体幅は四メートルほどで、そこそこ広い。晴れた日ならば不便は無い。
だが雨の日に成ると話は別になる。
土で出来ているから、雨が降ると水浸しになって泥だらけになるのだ。
足は取られる。馬車はめり込む。馬は転ぶ……
良いインフラ……とはとてもじゃないが言えない。
俺としては商業活動を活発にして更なる税収増加を望みたいし。
「馬車が全速力で走っても問題ないくらいの道路を敷いて欲しいんだ。まず今の宮殿からドモルガル王の国、エビル王の国、ベルベディル王の国へ続くルート。こっちはそこまで重点的に足らなくても良い。そして新首都からドモルガル王の国、エビル王の国、ベルベディル王の国へのルート。こちらはしっかりとした物を作って欲しい」
今の宮殿は計画通りに行けば五年後には使われなくなる。
まあ宮殿が置かれていただけあって、人口も多いし、土地も豊かなのは事実なので無駄にはならないが……新首都の方を優先して、重点的にやった方が効率が良い。
「具体的には?」
「今の宮殿から伸びる道路は砕石舗装を施してくれ。取り敢えず道がぬかるんで使えないということには成らないはずだ。新首都から伸びる道路は石畳舗装を施してくれ。俺はレザドに行ったことがあるが……あれと同等以上の道路を敷設したい」
「なるほど……ではこんな形でどうですか?」
イスメアは道路の設計を紙に書いて見せる。
地面を深く掘り、最下層には砂利を、第二層には粘土質の土と砂利を混ぜたものを敷き詰める。
第三層には拳よりも大きいくらいの大きさの石を緩やかな弓型の形に詰め込む。
そして最上層に接面が合うように切りだされた正方形の大石を敷き詰める。
弓型になっているのは雨が降った時に水が溜まらないようにするためだろう。
「一応、これがキリシアで最先端の道路構造です。クラリスやアルトの重要地点はこんな感じの道路です。間違いなく完成すればレザド以上の道路には成るかと思います」
「我が国の技術力で出来るか?」
「……おそらく可能ではないでしょうか? そこまで難しい作業ではないはずです。心配なのは最上層に敷き詰める石ですが……まあ何とかなると思います」
へえ、良いじゃないか。我が国の技術力もそこまで劣っているわけでは無いようだな。
まあ考えてみれば宮殿とか首都周辺の家はしっかりとした作りになっているし。
ド田舎は竪穴住居が一般的だが、それは家に金を掛けてられない平民が手作りしたものだしな。
「付け足したいことが有る」
「これ以上に何か?」
「道路の脇に排水路を設けてくれ。それと歩道も作って欲しい。馬車が通る道と人が通る道が同じじゃあ馬車を飛ばせないだろ」
ちゃんと人と車は住み分けしないとな。不幸な事故が起きる。
あと広さも確保しないと。
馬車が通る道は四メートル以上。歩道は左右三メートル以上は欲しい。合計十メートル。
交通量にも依るけどね。
少なくとも主要道路はこれが最低基準だ。
「どれくらいの人員が必要だ?」
「どれくらいの期間で敷設すれば良いですか?」
「砕石舗装は一年で素早く済ませて欲しい。石畳舗装は……四年以内には欲しいところだな」
少し要求が厳しいだろうか?
俺の計算が正しければ、両方ともそれぞれ百十キロ程度の長さに成ると思うのだが。
「千人……といったところですね」
「よし、じゃあ千人追加動員しようか」
つまり我が国が維持する人間の数は合計四千人になる。
人口の一・六%。少し不味いが……税収の伸びしろを考えれば何とかなるか。
「では地質調査の報告が来たら、また練り直して正式に提出させて頂きます」
「ああ。よろしく頼むよ。土地の権利だとか、そういう面倒なことはすべて俺が処理しておく。お前は目の前の川と土地にだけ集中してくれ」
イスメアとアルムスが話し合っている頃、アルムスの命令でテトラとニコラオスは測量に勤しんでいた。
首都建設予定地の地質を調べ、川の水量と流速、形を調べる。
全て治水には欠かせない。
周辺の住民の話をまとめて整理する。
実に面倒な作業である。
二人は黙々と作業をする。
「テトラ様、実は私はあなたの魔術というものに興味がありまして。それ、私も設計出来ませんか?」
「理論上は可能。線を引くだけだから。でも呪術が使えない人間からすると感覚が難しいかも」
そう言いながらテトラはニコラオスに魔術の理論について軽く説明をする。
ニコラオスは首を傾げた。
「ゼロって何ですか?」
「何も無い」
「何も無いに数字を付けるんですか? 可笑しくないですかね?」
ニコラオスは眉を顰めた。
「あった方が便利」
ニコラオスは少し不満げな表情をする。イマイチ、ゼロを受け入れきれないのだ。
「ところで気になったんですが、その変な道具何ですか?」
ニコラオスはテトラが右手に握っている道具を指さす。
「そろばん。アルムスが最近作った。これがあると計算が楽」
「へえ……」
ニコラオスは手渡されたそろばんを興味深そうに見る。
「使い方は……」
テトラに使い方を教えて貰いながらニコラオスはそろばんを使ってみる。
「おお! これは凄い……」
ニコラオスは少しだけ世界が広がるのを感じた。
「やっぱり数学は良い」
「分かります! 数学は素晴らしいですよね」
二人は数学の素晴らしさで暫く意気投合する。
だが急に話しの雲行きが怪しくなる。
「数学はどんな数でも表せますから。素晴らしいですよね」
「それは無理。無理数が存在する」
「無理数?」
「二の平方根とか。有理数では表しきれない」
ニコラオスとテトラの間で若干怪しい空気が流れる。
「いやいや、表せますよ」
「表せない」
テトラはまず三平方の定理の説明をした後に、二の平方根についての説明を地面に書いてじっくりと説明をする。
その上で背理法で二の平方根が無理数であることを説明した。
「な、なるほど……私は数字は点の集まりだと思ってたんですけどね……そうか、こんなことが有り得るのか」
「数字は人が勝手に作りだした概念。よって無理が生じる。致し方がないこと」
二人は暫く仕事を放りだして、自分の知っている知識を披露し合う。
テトラは数学や物理学、呪術の考察。
ニコラオスは自分の専門である天文学や哲学について。
「万物の根源は何だと思います? やっぱり数ですか?」
「……分からない。数式のような設計図が存在すると思うけど。でも数字では表しきれない。おそらく別の物。あなたは?」
「原子というモノがあるそうです。この世は小さな目に見えない粒で出来ているとか。でもその粒は何で出来てるんだよと思いません?」
二人は、おそらく数千年掛けても解決不可能な問題について不毛な議論を始める。
周りは仕事をさぼって、無駄話をする二人を白い目で遠巻きに見る。
何言ってんだ、こいつらという目だ。
「私が地動説を唱えているのは知ってますよね? どう思います?」
「私は普通に考えて天動説が正しいと考える。観測的にも天動説が正しい。数式でも複雑な計算が必要になるけど、十分表せると思う。だけど……」
テトラは一度言葉を切る。
「結局、観測してみなければ分からない。地球が球体であることのように確固たる証拠がどちらにも無い以上、不毛」
どんなに議論を重ねたところで立証できなくては何の意味も無い。
無駄と言ってしまえばそれまでだ。
「そうですか……」
ニコラオスは不満げな表情で引く。
空気を読まないことに定評があるニコラオスも、流石に王妃であるテトラには遠慮する。
テトラが結論の出ない争いはやめようと提案しているのに、それに逆らってまで主張するのは躊躇した。
「そろそろ仕事に戻ろう。アルムスに怒られる」
「そうですね。早く調査を済ませましょう」
二人はようやく仕事に移った。
「まずは首都の建設。そのためには治水が必要。ついでに灌漑設備も充実させれば一石二鳥だが……新都周辺の治水が終わったら一先ず切り上げて道路の建設をしないとな……」
道路は経済でも軍事でも、どちらの面でも重要だ。
整備された道が出来れば商人の動きも活発になるし、軍も素早く移動できる。
場所にもよるが治水よりも優先しないとな。
財源は十分に確保できる。
問題はやはり人材。
領土が数倍に増えたことで、まともに処理出来ない。
現在、検地と徴税を行ってるのは旧アス領と宮殿周辺の土地だけだ。直轄地全土にはとてもじゃないがカバー仕切れない。
孤児ばかり優遇して教育を施すのもそんなに長い間続けられない。
子供を捨てる罪の意識が軽くなってしまう。
どうせ国が育ててくれるというような意識で、少し貧しくなった程度でポイポイ捨てられるのは困る。
科挙のような制度の導入が必要だが……
あれは最終的に破綻したからな。俺は自分の国の官僚に詩文の才能を求める気はさらさら無い。
それに難しい試験に合格するためにはそれだけの教材と教師を用意しなければいけない。つまり金持ち……豪族や有力者しか官僚に成れないと。
官僚制度にする意味が無いな。
それに官僚ばかり権力を集中すれば歴史上の国の二の舞いになる。
官僚制度が肥大化するのは王や皇帝に権力を集中させすぎるからだ。
結局のところ、権力を集中させてもその王や皇帝が優秀でないと政治は出来ない。
だから政治が完全に官僚頼りになる。
そうなると官僚という職の人気が高まり、試験の競争率は上がるが、問題は上がり過ぎること。
詩を丸暗記でもしないと合格出来ないレベルの難問にしないと選定が出来なくなる。
最終的に試験内容が官僚としての能力とは全くかけ離れたものになるのだ。
つまり中央集権化を進めるのは良いが、権力を俺一人に集中させてはいけない。
だからと言って豪族の存在は捨てて置けない。
どうすれば良いんだよ。
まあ試験についてはゆくゆく考えるとして、早急に人材を調達せねばならない。
大事なのは官僚だけではない。
例えば工事を指揮できる現場指揮官。こういった人材も少ない。
トップ層はそろってるが、中間層が居ないのだ。
「はあ、問題が山済みだな」
見ない振りをしたい。
「王様」
急に声を掛けられた。
前を見るとユリアとテトラが居た。
「お前らいつの間に?」
「何言ってるの。あなたが入室を許可したじゃない」
「考え込み過ぎ」
二人は唇を尖らせた。
悪い、悪い。
「どうした?」
「実は人材について、一つ早急に解決して欲しい事案がある」
ユリアとテトラは俺に紙を突き出した。
そこには……
「偽呪術師の取り締まりと、全国の呪術師の統制に関する法案を提案します。どうかお願いします」
二人は微笑んだ。
三時から不自然にアクセスが増えているのは何故だ?(なお、ブクマは増えていない模様)




