第二百九十四話 黒崎麻里Ⅳ
麻里―マーリン―はエツェル・ハリファーに助けられ……
一先ず、食事と落ち着ける場所を与えられた。
そして三日後……エツェルの天幕を訪れた。
「……助けて頂き、ありがとうございます」
「いや、気にすることはない。当然のことをしたまでだ。さて……君の故郷を教えてくれ。もし我々の道中の途中か、その近くにあるのであれば、送っていこう」
「……実は」
「ふーん、異世界ね……正直、信じられないな」
「まあ……別に信じてもらう必要はないと思ってますけど……」
マーリンは身の上をエツェルに話した。
エツェルは半信半疑、といった様子だ。
「それよりも……愛梨や萌亜っていう名前には聞き覚えはないですか? 愛梨お姉ちゃんに関しては、黒崎愛梨じゃなくて、黒須愛梨って名乗ってるかもしれないけど……」
「クロサキ・アイリまたはクロス・アイリ、そしてクロサキ・メア……すまない。聞いたことないな」
エツェルは首を横に振った。
「……そうですか」
マーリンは溜息を吐いた。
そう簡単に都合よく見つかるとは思っていない。
そんなマーリンを励ますように……
エツェルはマーリンにあるモノを見せた。
「ああ、そうだ。このネックレス、君のだろう?」
「は、はい!! そうです!!!」
マーリンはエツェルから青色の石のネックレスを受け取った。
大切胸に抱きとめる。
「連中が持っていたよ。売られていなくて良かった」
「何から何まで、ありがとうございます」
「まあ、気にするな。困ったことがあったら、お互い様だ」
エツェルはニヤリと笑みを浮かべた。
そして……
「さて……帰る場所が無いというのであれば、君にはしばらくここで過ごしてもらうが……タダ飯ぐらいを養えるほど、俺たちの部族は裕福ではない。働いて貰う」
「……仕事、ですか」
マーリンは息を飲んだ。
自分にできることなんて……それこそ……
「え、えっと……その前に水浴びを……」
「水浴び? ……馬と羊の世話をこれからしてもらうわけだし、水浴びは後の方が都合が良いと思うけど?」
エツェルの言葉に自分がとんでもない勘違いをしたと気が付いたマーリンは顔を真っ赤に染めた。
それから五年の月日が流れた。
「はあ……今は俺より狩りが上手いとは、悔しいなあ……」
「弓の技量はあなたの方が上でしょ。私は呪術を使っているから」
エツェルとマーリンは並んで馬を走らせる。
二人の馬には矢で射貫いた野鳥が吊るされていた。
「ずるいな、呪術ってのは。俺も使えたらいいんだが……」
「男性はその分、身体能力で優っているでしょ」
「ま、まあ……その通りだけどさ」
この世界には呪術という技術があった。
より正確に言えば……マーリンが呪術と命名した、技術である。
現地人の女性はそれを日常的に使用し、見てきているので……それが特別な技術であるという意識はない。
だが……マーリンからすれば魔法みたいなものだ。
とはいえ、魔法とか魔術とかと比べるとやっていることは地味なので……
マーリンはそれを呪術と命名した。
そしてそれを習い……
今ではハリファー族でも有数の使い手になっていた。
すでに習う側ではなく教える側であり、そして習得するのではなく新たに考案し、呪術の開発に努めている身だ。
どうやら呪術方面の才能はある、みたいだ。
「……いろいろあったけど、私ね」
マーリンはエツェルに微笑み掛けた。
「何だ?」
「……あなたに会えて、良かったと思っている。ここに来なければあなたに会えなかったから……例えあの時のことをなかったことにしてくれると神様が言ってくれても……私はあなたに会えないなら、それは選ばない」
「き、君は……」
エツェルはマーリンの言葉に顔を真っ赤にさせて……
俯きながら言った。
「俺も……君に会えて良かったと思っているよ」
「そう……例え神が全てを戻してくれるとしても、私はそれを選ばない。それはこの地で起きた全ての不幸と同時に……幸福も否定することだから。神なんかには頼らない。私は私の手で全てを取り戻して見せる」
―そうそう……その意気だよ、麻里―
妖精は嬉しそうに笑った。
ここは……
ロゼル王国にある麻里の研究室。
クリュウ派が戦争に勝利したことで、麻里は再びロゼル王国に戻って来たのだ。
もっとも……今は戦争に参加する気など無いのだが。
「やるべきことは決まっている。手に入れなくてはならないのは魔法の力。まずは魔法で私から死の概念を消し、次にエツェルを生き返らせて……」
―時空間を旅行して姉妹を見つける、だね? まあ現実的に考えて君たち姉妹が巡り合うにはそれしかないからね。時間軸が数百年どころか数千年離れている可能性があるわけだし―
現実的に考えた結果、『魔法』などという不確定なモノを使わなくてはいけないというのは皮肉なことだが。
「さあ、クソ妖精。早く世界記憶まで案内しなさい」
―おや、面白いことを言うね。僕がそれを知っているはず―
「それに寄生している寄生虫が何を言っているのよ。知らないなどと嘘は言わせないわよ」
麻里は苛立ち声を上げた。
そして溜息を吐き……
「せっかくだし、私が考えた仮説を聞いて貰って良いかしら?」
―何かな?―
妖精はクスクスと笑い声を立てながら答えた。
麻里は不愉快そうに眉を顰めつつも……淡々と語りだした。
「魔法は法則の範囲外のモノ、呪術は法則の内部のモノ。まあそれがあなたたち、そしてこの世界に人間の共通見解みたいだけどね、異世界人である私から言わせて貰えば呪術も魔法も同様に出鱈目なのよ。人呪って人が死ぬのは明らかにおかしい。さらに言うのであればあなたたち妖精共も、そしてグリフォンだとか竜だとか、神と呼ばれている存在も十分出鱈目よ」
自分から見ればどちらも違いはない、と麻里は語る。
―君からすればそうかもしれないけど、この世界では少なくともそういう法則が……―
「つまりさ、この世界……既に何度か法則が書き換えられているんじゃない? 魔法で。元々呪術は魔法だった。だけど魔法によって不可能が可能になるように書き返られて、魔法でなくなった。そういうことでしょ?」
麻里の言葉に……
妖精はクスクスと笑うだけで答えなかった。
「元々この世界は地球みたいにちゃんと物理法則に従って動いていた。だけどどこからかネジが狂い始めた。具体的な証拠をあげろと言われても上げられないけどさ……この世界を狂わしてるのはあなたたちでしょ? 妖精やグリフォン、そして神の域に達した竜共……あなたたちは外、つまり異世界から来たウィルスや細菌、寄生虫のようなもの。つまり私と本質的には同質なのよ」
―面白い、面白いね……まあ正直なところ僕らはいつからこの世界にいるか覚えていない。だから君の仮説を肯定することはできないが、否定することはできないね―
ケラケラと妖精は笑い声を立てる。
麻里は肩を竦めた。妖精の言葉が真実であるか否かは分からない以上、麻里の説を裏付けることはできない。
「あなたたちはこの世界から力を吸い上げて使っている。グリフォンたちがあれだけ力を持ちながらその力の行使を戸惑うのは、それが理由。使い過ぎると世界が枯れ果てるから。まあでも……多分世界にはある程度力を回復させる手段か、または多少使っても大丈夫な程度のストックがあるんでしょうけどね。少なくとも五百年間私が生きてきた中で……世界のエネルギーの総量が目に見えて減った、ようには見えない。まあ……私が観測し切れていないだけかもしれないけど」
とはいえ……
もし仮に世界のエネルギー総量が著しく減っていれば、グリフォンを含めた良識ある『寄生虫』が慌て始める。
少なくとも当分は世界は安泰なのだろう、と麻里は考えていた。
―ふむふむ……まあある程度は真実だよ。確かに僕らは世界記憶からエネルギーを吸い上げて生きている。寄生虫というのは言い得て妙だね―
「私が不死になりたいのは、私自身『寄生虫』だからよ。『世界』さんに意思があるかどうかわからないけどね、もしあるとするならば……死人を生き返らせようとしたり、時間旅行をしようとしたら、『世界』さんはさすがに怒るでしょ。だから先手打って死なないようにしたいのよ。事実……歴史上、魔法使った連中は尽く死んでるわ」
麻里が語っているのは所謂『ガイア理論』と呼ばれるモノ。
つまりこの世界を一つの生命体に見立てた上で、外から来た自分を寄生虫に例えているのだ。
世界には自己調節機能がある……とするならば、麻里や妖精は排除されなくてはならない存在だろう。
―ふむ、面白いね。では一つ聞かせて欲しい。僕らやグリフォンは確かに力を持っているから異空間を移動しても死なないかもしれない。異世界転生のように魂だけならまだ分かる。でも君は生身の肉体でこの世界に来た。君の姉妹も同様さ。ハッキリ言って幸運だったからでは説明し切れない。これも『世界』さんとやらの意思なのかい? 寄生虫を好き好んで体に入れるような変態さんなのかね?―
妖精の言葉に……麻里は肩を竦めた。
「あくまで仮説……というか、想像の範疇よ。ただ……私の元の世界にはね、『サナダムシダイエット』っていうのがあったのよ。それに薬ってのは毒の一種。毒を持って毒を制しようとしたのならば、有り得なくはないんじゃない? まあ……もしそうだとしたら、私を食べちゃった『世界』さんは相当なドジっ子属性持ちだけどね」
などとは言いつつも……
(エツェルを生き返らせて、あの二人を見つけたら……私はこのクソ妖精を殺すつもりだから……それを考慮に入れると、私をこの世界に招いたのは間違いなく正解なのよね)
麻里と妖精との関係は……
あくまで一時的な利害の一致、というよりは妖精が一方的に麻里に憑りついて冷やかしているだけに過ぎない。
少なくとも麻里は妖精のことを仲間だと思ったことはない。
麻里がエツェルを殺す理由を作ったのが妖精だからだ。
妖精がエツェルに『大王の加護』を与え……『大王の加護』のデメリットである、思考を塗り潰す作用を過剰に煽った。
最終的にエツェルは大王であることよりもエツェルであることを望み……
麻里に自分を殺すように頼んだ。
(まあ……妖精違いだけどね)
妖精にもいくつか派閥、種類がある。
エツェルを殺す要因を作った妖精は少なくとも麻里に憑りついている妖精や、アルムスという青年に憑りついている妖精ではない。
妖精によって、加護の使い方は違う。
面白半分に人を殺すために加護を使う妖精もいれば、麻里やアルムスに憑りついている妖精のようにある程度打算があって、加護を使う妖精もいる。
おそらく後者ならば……それなりにデメリットは抑えられるのだろう。
『大王の加護』に従い、国民の求めに応じて「妖精は殺さなければならない」という結論に達したら、困るのは妖精なのだから。
(だけど……妖精違いだとしても、このクソ妖精共が害悪なのは変わらない。だから殺す……だからさ、『世界』さん、少しは甘く見てね? 全部終わったら帰るからさ)
麻里は内心でそう思ってから……
再び妖精に言葉を投げかけるのだ。
「で、早く世界記憶へのアクセス方法を教えなさい。もしくは……案内しなさい」
―鍵はあるのかい?―
「何のためにクソ毒トカゲを起こしに行ったと思っているの? あれを参考にして……鍵は自力で作ったわ。でも扉まではあんたらの力が必要不可欠。そうでしょ?」
―素晴らしい!!! そこまで一人で辿り着いたのは多分、君が初めてだよ。あの毒トカゲを封印した女性は僕らが何から何までサポートしたけど……君は僕からの助言無しにここまで一人で辿り着いた。誇って良いよ―
ケラケラと笑う妖精に……
麻里は酷く不愉快そうに眉を顰めた。
この妖精は麻里が五百年間、一人で足掻いていたのを眺めて楽しんでいたのだ。
おそらく……最初から妖精の手助けさえあれば、ここまで苦労はしなかったのだろう。
数十年……いや、数年で完成したかもしれない。
「……死ね」
―ふふ……まあそう言うだろうと思っていたよ。では、行こうか。世界の法則を書き換えに……ね―
そして……
「ふむ……あの小娘……」
グリフォンが北の方角を振りむいて……
呟いた。
「ついに本望をやり遂げたか。はぁ……おめでとうと言うべきか、何をやっているのだと叱るべきか……」
そして溜息を吐いた。
「できればどちらも死なないで欲しいのだが……そういうわけにはいかぬであろうな」
まあこの作品の根本はグリフォン様や妖精(芽殖孤虫)を追い出そうと、世界さんがひたすらサナダムシを食い続ける話でしてね
アルムスもマリリンも世界さんが食べたサナダムシ
今のところはどう見ても失敗しているが……
どんな治療法にも副作用はある
マリリンが体系化した呪術、アルムスが建国したロマリア
どちらも今後数千年の歴史に大きく影響するものだから……
後に二人の生み出したものの中から、妖精やグリフォンを根絶できる存在が生まれるかもしれない
まあ世界さんが食べたサナダムシはマリリンとアルムスだけでなく、マリリンの姉妹や某石鹸の人とか他にも大勢いるのだが
ちなみにこの世界の呪術は、キリシア型ガリア型ペルシス型極東型の四種類だが
その全ての源流はマリリン
テトラが生み出した魔術、そしてユリアの指導の下に改良され続ける呪術もまた遡ればマリリン
数千年後に使われるあらゆる魔導的な技術も遡れば源流は当然マリリン
さすマリリン
もっとも遥か未来の世界で「もしアルムス帝が実在したと仮定すると、この国のあらゆる政治家軍人はその血を遡れば必ずアルムス帝に辿れる」とまで言われるアルムスさんもアルムスさんだが




