第二百八十三話 第一次ポフェニア戦争 自然休戦Ⅳ
アルムスから二万ターラントの資金を借りたいから力を貸してほしい。
という趣旨の書簡を受け取った段階でエインズは二つのことを悟った。
一つ、王国の財政が相当悪化していること。
エインズの知る限り、ロマリア王国はもう最大限の努力をしている。
それでもなお、二万ターラントも必要というのは……つまり国庫がすっからかんということだ。
そしてもう一つ。
このままでは負ける。
二万ターラントなんて、外国の商人が貸してくれるはずがない。
利益を度外視した国内の商人たちですらも、一万ターラントが限界なのだ。
ましてや外国の商人がそれだけの金を貸してくれるはずがない。
精々三千。
上手く行って五千が限界である。
このままではロマリア王国は沈没する。
泥船には乗らないでさっさと逃げるのが、キリシア人商人の流儀である。
だが……
(すでに私の体は船の一部、か)
エインズはすでにユリウス家と婚姻関係を結んでしまっているし、ロマリア王国とペルシス帝国と交渉を受け持つという要職を得ている。
途中で降りることはできない。
となれば……
エインズ自身が動くしかない。
一つだけ、エインズには妙案があったのだ。
しかし……
それは少し考えれば誰でも思いつくこと。
だがアルムスを含めてロマリア王国の家臣たちはそれを提案しない。
意識的に考えないようにしているのか……
それとも思いついたが、絶対に嫌なのか。
どちらかだ。
どちらにせよ、提案したエインズは嫌われる危険性がある。
下手をすれば、解任されるかもしれない。
だが……
「やるしかない、か」
善は急げ。
アルムスへの書簡を書いた後、エインズはペルシス帝国の宮殿に向かった。
「来るとは思っていたよ、エインズ君」
「はは!! 陛下のご慧眼には恐れ入ります」
「まあ、追い詰められたロマリア王国にはこれ以外方法はないからね。……さて、一つ確認しよう。君はアルムス王の代理として来ている? それとも一人の外交官、エインズとして来ている?」
エインズはクセルクセス帝に尋ねられる。
クセルクセス帝が面白可笑しそうにエインズを見つめる中、エインズはハキハキと答える。
「私の独断です。つまり、一人の外交官エインズとして来ております」
「良いのかな? それは、臣下として」
「私をこの地に派遣したのは国王陛下です。その意図は……つまりペルシス帝国との迅速なやり取り、外交交渉の円滑化のため。ですから、私がこのように動くのは国王陛下のご意志に沿う事です」
するとクセルクセス帝は目を細める。
「すると……今の君には何の決定権も無いと?」
「今はありません。ですが、たった今陛下に書簡を送りました。すぐに私に全権が委ねられるでしょう。……それまで外交交渉に当てた方が効率的であるとは思いませんか?」
「……ふむ、まあ君たちも時間的余裕が無いのは理解している。良いだろう。一応、交渉には応じてあげよう」
クセルクセス帝は意地悪そうに笑みを浮かべて……
「では、君の要求は?」
「一万五千ターラントの融資、もしくは援助して頂きたい」
商人と国同士では借金は難しい。
国の方が圧倒的に強く、踏み倒すことが出来てしまうからだ。
だが……
国と国同士ならば容易に踏み倒せない。
それが小国と大国の間ならば尚更だ。
だから……
ある意味、もっとも容易に借りることができる。
もっとも、弱みを握られることにもなるのだが。
今はそんな贅沢を言っている暇はないだろう。
「なるほど、なるほど……まあ援助はともかく融資……つまり返してくれるというのであれば、私も吝かではない。それにロマリア王国には是非ともポフェニア共和国に勝って頂きたいからね。良いだろう、貸してあげようじゃないか。それくらいは端金だ。だが……」
クセルクセス帝はニヤリと笑みを浮かべた。
「条件がいくつかある」
やはり、そうだろうな。
エインズは身構えた。
ここからが本番だ。
要求は何となく予想はできるが……
「私が欲しいのは、アルムス王とユリア殿の可愛い可愛い子供……マルクス殿下だ。私がもう少し若かったら、娘の方も要求したのだが……まあ、それは体力が厳しいから良しとしよう」
予想通りの要求にエインズは胸を撫で下ろした。
借金の肩に息子を、大切な跡取りを要求する。
まあ、良くある話だ。
エインズも、何人もの息子を借金の肩として貰い受けて商人見習いとして働かせたりしている。
それが国家規模になっただけの話である。
「まあ、私としては今すぐと言いたいのだが。マルクス殿下は病弱だと聞いた。それにまだ五歳……さすがにこの段階で親元から引き離して、死なれたら困る。ようやく生まれた待望の男児だと、聞いているしね」
(よく調べているな……)
マルクスが病弱だとか、産まれる前にひと悶着あったとか……
それらはロマリア王国のごく僅かな重臣だけが、断片を知っているだけの情報だ。
それを正確に捉えている。
「というわけで、十歳だ。五年後、十歳になったらマルクス殿下には我が国に、最短七年間、最長十年間留学して頂く。どうかね? 悪い話ではないと思うぞ? 我がペルシス帝国はロマリア王国に比べてはるかに進んでいるし、世界中の国とも外交・交易関係がある。我が国の首都にはマルクス殿下以外にも、ポフェニアやガリア、ゲルマニス、キリシア、そして遊牧民やさらに東方の国々……様々な地域の有力者、王族・貴族の子弟が留学してきているし、書物もたくさんある。良い刺激にもなるだろう」
それに……
クセルクセス帝は付け加える。
「仮にも人様の子を預かるのだ。ちゃんと王族としての教育はする。我が国の王子と同等の家庭教師も付けよう。生活資金は我が国が当然用意するし、遊ぶための小遣いもくれてやる。望むなら、剣術でも馬術でも軍事学でも哲学でも音楽でも教えてやれる。それだけの教師が我が国には揃っている」
人質……
というと悪いイメージがあるが、実はそうではない。
何しろ国家間の人質である。
当然、大切に扱われるものだ。
クセルクセス帝にとって、マルクスはロマリア王国の、同盟国の次期国王。
当然、ボンクラに育ってしまったら困る。
「ああ、そうそう。今なら我が娘、シェヘラザードも付いてくる。私の側室が最近産んだ、三歳の女の子だ。シェヘラザードとの婚姻、そしてシェヘラザードの子をロマリア王国の国王に就けるというのも条件の一つだな。……能力は三歳だから分からないが、容姿に関しては安心して欲しい。可愛いぞ」
一度しか顔を合わせていないが。
と、クセルクセス帝は心の中で付け加えた。
「ああ、安心してくれ。側室、と言っても家柄は非常に良い家の子だ。ペルシス帝国でも十本の指に入るほどのね」
むしろ、ド田舎のロマリア王国には勿体無い。
と、クセルクセス帝は心の中で付け加えた。
クセルクセス帝からすれば、これらの条件は非常に寛大だ。
これ以上寛大にしようがないくらいには。
「御一つだけ、私から条件を加えさせて頂いても?」
「言ってみろ」
「婚姻を結ばれる、ということはロマリア王国とペルシス帝国は親戚になるということ。親戚が困っているのに、金を貸すだけというのはあまりにも酷ではありませんか?」
「何が言いたい?」
「一万五千ターラントのうち、五千ターラントは融資ではなく援助……無償で頂きたい」
クセルクセス帝は少し考えてから……
「良いだろう、認めてやる。だがこれ以上の譲歩は無しだ。早くアルムス王の承諾を取って来い」
「上手く行ったな」
クセルクセス帝はほくそ笑む。
すべて、狙い通りに進んだ。
「アルムス王は御し難い、優秀な王だ。だが一万ターラントの借款を首輪として付ければ、私に噛み付けない。暫くテーチス海を守る番犬として使える」
これでアルムス王が在位中は安泰だ。
少なくとも……あと二十年、三十年前後は。
「次にマルクス王太子。人格は分からん。だが……多感な時期をペルシスで過ごせば自然と親ペルシスになるだろう。そういう風に教育すればいい」
これでマルクスの在位中は安泰だ。
そして……
「最短でも七年、十七歳までこの国にいて貰う。健全な男子なら……まあ十五歳で子供もできるだろう。ペルシスの姫とロマリアの王太子の息子、つまり三代目ロマリア王はペルシスで産まれてもらう。……産まれるまでは返さない。その子供はアルムス王にとって孫だが、私にとっても孫になる」
これで三代目国王の在位中も安泰だ。
少なくとも……
百年間、ロマリア王国はペルシス帝国の影響下に置くことが出来る。
テーチス海の安定は確約される。
第一次ポフェニア戦争。
その最大の勝者はロマリア王国でもポフェニア共和国でもなかった。
真の勝者はクセルクセス帝であった。
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『この世界に於いて、皇帝を、帝国を自称しても良い存在は二つ。
一つは天華を支配する、天子。
もう一つは東方と西方の両方を支配し、そしてかのペルシス帝国の血を受け継ぐ……正統なる『諸王の王』。ロマリア帝国、即ち我が国の君主であるロマリア皇帝である』
―ベニート・ユリウス・クロス・シナエクス―
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第百三十六話に書いた、クセルクセス帝のプロフィールの続き
東西の統一と道路建設、そして同時期に極東の天華地方を緋帝国が統一したことにより、大陸を横断する大交易路が形成。
そしてキリシアの建築技術や自然哲学がペルシス帝国に流入。
ペルシス帝国は文化、経済、領土、軍事の面で最盛期を迎えた。
しかし……
彼の統治の晩年から、帝国の支配は綻び始める。
そして死後に発生した内乱より、帝国は分裂し……諸民族の反乱によって崩壊を迎えた。
その後継国家は急速に勢力を拡大したロマリア帝国、及び独立したパルトディアによって滅亡した。
結果、東方と西方は諸王の王としてペルシスの後継国家を自称する、パルトディアとロマリア帝国の二つに二分されることとなった。
東方と西方の再統一はロマリア帝国皇帝『賢帝』ウェストリア一世によるパルトディア征服まで待たなくてはならなくなった。
何度か王朝交代が発生するロマリアだけど
基本的にアルムスやマルクスの二人を除けば
その全ての皇帝は『アルムス』『クセルクセス』『ユリア』の三つの血を引いています。
もうお分かりかと思いますが、ロマリア王国がロマリア『帝国』を名乗るのは
まあ、そういう経緯です。
この時期に勝ったのは間違いなくクセルクセス帝ですが
長期的な視野で見れば、ロマリアの一人勝ちになります。
ちなみにマルクスの人質時代を書くかどうかは分かりませんが、人質生活はどうだったかと尋ねれば、「めちゃめちゃ楽しかった」と答えてくれるでしょう。
この時期にマルクスは恩人と恩師と親友を得ますし、その恩師と親友の子孫(と一部本人)は数百年後にマルクスの子孫を助けてくれたりする。
と、いうわけなので
この話はかなり大きな歴史的ターニングポイントだったり。
マルクスがペルシス行かなかったら、ロマリアの寿命は精々二百年ですね。




