第二百八十一話 第一次ポフェニア戦争 二年目Ⅵ
レザドを出航して、アレクシオスの率いる艦隊はトリシケリア島の沿岸を周回していた。
西周りでロズワードへの合流を目指すのと同時に、沿岸地域のキリシア諸都市にロマリア王国の艦隊を見せつけ、すでにトリシケリア島周辺の海域がポフェニアの海ではないことを知らしめるためである。
「……嵐が来そうだな」
アレクシオスは急に変わった空模様を睨みつける。
先ほどまで、太陽が照っていた青空には黒い雲が渦巻いていた。
「地図を持ってきてくれ、メリア」
「はい、どうぞ」
アレクシオスは妻のメリアが持ってきた地図を広げる。
近くに逃げ込めるだけの港は……
無い。
「……困ったな。しばらく持てば良いんだが」
艦隊が停泊できるだけの大きな港へは、まだまだ時間が掛かる。
それまで、そうか天気よ持ち堪えてくれ……
とアレクシオスは天に祈るが……
「こりゃあ、ダメだね」
アレクシオスは肩を竦めた。
稲光が空を走り、雨が降り注ぎ、風は吹き荒れ、波が大きく膨らんで船を揺らす。
『カラス装置』のせいでバランスが悪い船は増々揺れる。
「全艦隊に告げてくれ。これより沖に出る」
「はい、分かりました」
兵士は旗を振り、アレクシオスの意図を全艦隊に伝える。
嵐の海で沖に出る。
一見自殺行為に見えるが……この判断は正しい。
というのも……
沿岸部だと、岸が岩礁に叩きつけられて沈没する恐れがあるからである。
また、波が岸で跳ね返るため……
沖以上に荒れる。
沖だろうと沿岸だろうと、嵐の中の海に落ちれば死ぬ。
ならば波が比較的穏やかな沖に出るのが賢い選択だ。
しかし……
「おい、待て!! あの船はどうして岸に向かう!! 戻らせろ!!」
アレクシオスの命令を無視して、一部の船が岸辺に向かってしまう。
その数は……
合計百隻。
三分の一に及んだ。
「も、申し訳ありません……連邦の兵士たちが……」
「クソ……」
船に乗っている重装歩兵のうち、半分程度はロマリア王国以外……連邦の兵士である。
王国出身の兵士たちはアレクシオスの命令に従うが……
連邦の兵士の一部はアレクシオスにそれほど信用していない。
無論、船にはキリシア人の船乗りたちが同伴しているが……
彼らを脅して、岸辺に向かっているのである。
明らかな命令違反。
しかし……彼らを責めることはできない。
少し前まで海すらも見たことが無い者達ばかりなのだ。
アレクシオスの判断……
岸から離れ、沖に出る。
というのがあまりにも恐ろしかったのだ。
「……不味いな」
アレクシオスは顔を顰める。
しかし……
もう遅かった。
「ようやく止んだか」
数時間後、嵐は止んだ。
アレクシオスは兵士たちに命じて、船の損失を調べさせる。
沈んだのは……
合計二十隻。
百六十隻中、二十隻。残存は百四十隻。
つまり損失は一割と少し。
十分に防いだ方だ。
アレクシオスは一先ず、胸を撫でおろす。
が、まだ安心するのは早い。
命令違反をして、途中で岸に向かってしまった百隻の安否をまだ確認していない。
「……せめて三分の一くらいは生き残って欲しいんだけどな」
その後、沿岸部で十隻の船がなんとか浮かんでいるのが確認されたが……
残りの九十隻は見つからなかった。
この嵐でロマリア王国は百十隻の船と一万人以上の兵士、水夫を失った。
残る船は百五十隻。
戦争での損害も合わせて……
約半数の船が失われたのである。
「……そうか、報告ご苦労だった」
一時帰国したアレクシオスからの報告を聞き、俺は肩を落とした。
元老院の議員たちも、顔が暗い。
国費を掛けた三百隻。
そのうちの半数がすでに失われ、海の藻屑となったのである。
俺は頭を抱えた。
だが……
「アレクシオスのおかげで、半分はある。と、考えるのが良いか」
「……やっぱり断った方が良かったんじゃない? 夜は?」
「言わないでくれ、ユリア……俺もそう思ってるんだよ」
王宮で肩を落とし、落ち込んでいる俺をユリア、テトラ、アリスの三人は励ましてくれていた。
今夜は眠れそうにない……
「眠れないなら、一緒に寝れば良い」
そう言ってテトラは俺の唇に自分の唇を押し当ててきた。
テトラの舌が俺の口の中に入る。
「アルムス」
「……ありがとう、元気出たよ」
テトラは俺の胸元に、自分の胸を押し付けるように俺に抱き付いた。
俺もテトラを強く抱きしめる。
とても柔らかい。
「まあ……もう、どうしようもないよ。沈んじゃった船も死んじゃった人も戻らないし……まずは対策を考えよう? ね?」
ユリアも俺の右手に抱き付く。
ユリアの胸に俺の腕が食い込む。
「その……政治はよく分からないですけど……頑張ってください!」
アリスもまた、俺の左手に胸を押し付けてきた。
……こいつら、俺が胸だけで元気になる単純な奴だと思っているのか?
失礼にも程がある。
「よし、取り敢えず船の再建だな。何にせよ、先の勝利で陸は俺たちが有利だし……船もまだ百五十隻残っている!!」
「あ、元気になった」
「単純」
「そんなに胸が好きですか?」
ええい、五月蠅い!!
一先ず、俺はアレクシオスに任務の続行を告げた。
ポフェニアには殆ど船は残っていない。
百五十隻でも十分に海上の封鎖はできる。
海軍を指揮しながら、陸でも戦うという負担をアレクシオスには掛けてしまうが……
まあ、アレクシオスならばなんとかしてくれるだろう。
それに沿岸部の大部分を押さえたことで、こちらから物資が送りやすくなり、連絡も容易に取れるようになった。
バルトロたちも順調に勝利を重ねているらしい。
もっとも敵の内陸部でのゲリラ的な攻撃には悩まされているみたいだが……
そちらも全ての沿岸部の港を押さえれば、補給が止まる。
そうすれば日干しに出来る。
問題は……
「ポフェニアが造船を開始した、か……」
もうすぐ冬になり、自然休戦となる。
ポフェニアは冬から夏までの時間を掛けて、海軍を組織し直するつもりなのだろう。
実際、ポフェニアの財力ならば可能だ。
となると、我が国との建艦競争になるわけだが……
問題は我が国にこれ以上、船を作る余力……財力が無い事だ。
「困ったことになりましたね……陛下。だから私はやめておこうと提案したのですが……」
「すまん……何も言い返せない。だが、もう……」
「分かっています、陛下。御無礼をお許しください。……確かにポフェニアは信用出来ない。勝てば賠償金も得られますし、領土も得られる。何より南の国境が安定する。それに関しては異存はありません。……もう始まってしまった以上、勝利以外あり得ません。それも決定的な勝利です」
ライモンドはそう言って……
「一応、資金調達の策があります。お聞きになられますか?」
「何だ? 今なら悪魔にでも魂を売るぞ?」
「……いえ、別に売る必要性はありませんが……」
ライモンドの語った策、それは驚くべきものであった。
「……良いのか?」
「良いも何も、勝つにはこれ以外方法は無いでしょう?」
「……ありがとう」
「何をおっしゃいますか、陛下。私は家臣、ならば陛下の勝利のために尽力するだけです」




