第二百七十一話 第一次ポフェニア戦争 Ⅵ
ちょっと、いろいろありましてね。
初めに異変に気付いたのはポフェニア軍の見張りの兵士であった。
包囲していた街から、大量の何かが地響きを立てて降りてくるのである。
「……何だ、あれは?」
何はともあれ、敵であることは間違いない。
見張りの兵士は鐘を鳴らす。
続々とポフェニア軍の兵士たちは目を覚ます。
こんな朝早く、一体なんだ? と多くの兵士たちは不機嫌そうであった。
一方、夜襲の警戒のために起きていた兵士千人は丘から下ってくる牛に対して、迎撃を始めていた。
「敵はただの牛!! 矢を放ち、槍で受け止めれば止まるはずだ!!」
兵士たちは矢を放つ。
矢は牛に命中し、牛の背中に突き刺さるが……しかし牛の勢いは止まらない。
牛は勢いを緩めず、あっという間にポフェニア軍の本陣に近づく。
「長槍兵!!! 構え!!」
長槍を持った兵士たちが、槍を構えて牛を迎え撃つ。
だが……
「っぐ!!! 牛の角に……槍、だと!!」
「ひいいい!! こんなの無理だ!!」
「待て、持ち場を離れるな!!」
狂気に駆られた牛の勢いは止まらず……
逆に牛の角に取り付けられていた槍が兵士たちを突き刺す。
ポフェニア軍の防御を破り、牛はポフェニア軍の陣地の中で大暴れする。
「うわあああ!! こっちに来るな!!」
「馬鹿野郎! あっちに逃げろ!!」
ポフェニア軍は大混乱に陥った。
あちこちで悲鳴が鳴り響く。
だがしかし、ここで一人のガリア人傭兵が気付く。
側面から攻撃すれば大丈夫だ!!
「側面だ! 横から槍で突き刺すぞ!!」
ガリア人傭兵は仲間と共に、槍を構え、牛の横っ腹に刃を突き刺す。
牛の体から鮮血が溢れ出て、牛が地面に倒れる。
「倒せる、倒せるぞ!!」
「みんな、横から攻撃するんだ!!」
数人のガリア人傭兵は大喜びをする。
しかし……
彼らは気が付かなかった。
倒れた牛の背中に積まれた樽から、油が漏れ出ていることに。
その油が黒色火薬の詰まった樽にも付着していることに。
そして……
ゆっくりと燃え盛る牛の松明の方向に流れていくことに。
「みんな! 落ち着くんだ。所詮、牛。横から突き刺せば……」
その瞬間、油に松明の火が引火し、黒色火薬に火が回り、大爆発が起こった。
爆発とともに燃え盛る油が当たりに吹き飛び、そこら中で火災が発生する。
そして……
これと同様の事はポフェニア軍の至る所で起こっていた。
「モー!!」
「何だ……もう朝か?」
ダヴィドが目を覚ますと、そこには牛がいた。
ダヴィドの頭の中に????が浮かぶ。
「え?」
「モー!!!」
ダヴィドは跳び起きて、天幕から出る。
それを牛が追いかける。
「な、何だ! 何が起きている!!」
「しょ、将軍閣下!! 将軍閣下は御無事ですか!!」
「ぶ、無事だ!! とにかく今は助けろ!!」
兵士たちはダヴィドを追いかける牛を共同で倒す。
松明に油と火薬が引火すれば大変になることはよく分かっているため、兵士たちは手際よく牛を倒してから松明を鎮火し、そして念のためにその場から離れる。
「今、大量の牛が暴れ回っております!!」
「それは見れば分かる!! 全く……」
ダヴィドは声を張り上げ、兵士たちの混乱を収めていく。
さすがは『バルカ』というべきか、順調に兵士たちを取りまとめ、牛を一頭一頭殺していく。
だが……
「そろそろ、僕らも突撃しようか!! モーってね!!」
「夫ながら、酷いギャグね……」
「……アレクシオス閣下。そろそろ寒いですよ」
アレクシオスはメリアとソヨンのツッコミには耳を塞ぎ、兵を率いて丘を駆け下りた。
大混乱のポフェニア軍はそれに対応出来ず……
「うわああ!! ロマリア軍が攻めてきたぞ!!」
「こ、今度は牛じゃなくて人?」
「どっちも変わらないだろ!! 逃げろ!!」
元々士気の低いポフェニアの傭兵は総崩れとなり、ポフェニア軍は急速に瓦解する。
「くそ、アレクシオスめ……」
ダヴィドは唇を噛みしめる。
結局、アレクシオスの掌で踊っていただけだった。
兄より優れた弟など、存在しないはずなのに……
「……今は撤退だ」
ダヴィドは僅かに残った兵を取りまとめ、その場を後にした。
この戦いでポフェニア軍は一万七千の兵を失った。
ダヴィドは僅かに残った三千の兵を連れて、逃げるようにケプカ・バルカの軍への合流を急いだ。
「うーん、膠着状態だね」
「ですねえ」
戦いの後、すぐにアレクシオスとロンは合流を果たした。
アレクシオスとロンは殆ど兵力を失っておらず、合計四万。
一方、ケプカ・バルカとダヴィド・バルカ率いるポフェニア軍はアレクシオスの奇策により大きく数を減らし、二万三千となっていた。
会戦をすれば勝てる。
という状態だが……
しかしケプカは会戦には応じなかった。
当然だ。
負けるのが目に見えている戦いをする将軍がどこにいるというのか。
そんな時、二人の元にある知らせが届いた。
「……何があったんですか?」
「ダヴィド・バルカがポフェニア本国に召還されたらしいね」
「それは……どういうことですか?」
ロンの問いにアレクシオスは吐き捨てるように答えた。
「だからポフェニアは嫌いなんだ。……この粘着質なやり口が、ね」
「ダヴィド・バルカ将軍。今回の敗戦の原因はあなたの注意力不足だ。そうですね?」
「ああ、そうだ……だから何だという? 今は戦の最中だぞ!! こんな裁判ごっこをしている暇があると思っているのか!!」
ダヴィド・バルカはポフェニアの元老院に呼び出されていた。
ダヴィドを詰問しているのは、アズル・ハンノ。
バルカ家の敵対派閥である。
そう……
アズル率いる平野党は実権を取り戻すために海岸党への攻撃を行っていた。
海岸党の指導者の一人である、ダヴィド・バルカを裁くことによって。
「それが何だ? ですか? 何だとは、何ですか。あなたは我が国の国費を使って集めた傭兵を無駄にしたのです。……兵は無限に湧き出てくるものではありませんよ」
そうだ!! そうだ!!
アズルの息の掛かった議員たちが、声を揃えてダヴィドを非難する。
中にはダヴィドを擁護する声もあるが……
大多数の非難に掻き消されて消えていく。
「確かに敗戦は俺の責任だ。だが……」
「今、敗戦の責任を認めましたね?」
アズル・ハンノはダヴィドの反論を待たず、畳みかける。
「敗戦の責任は命でもって償う。それが一番の誠意の表し方だとは思いませんか?」
「き、貴様!! 貴様とて、兵を率いたことはあるだろ!! 勝敗は時の運だ!!」
どんな将軍も負けることはある。
ダヴィドは今まで幾度も、ポフェニアの敵を打ち破って来たのだ。
それをたった一度の敗戦で処刑する……
そのようなことがまかり通れば、ポフェニアから将軍という将軍はいなくなってしまうだろう。
「時の運? 運で負けられたら堪ったものではありませんよ。戦争でどれほどの血税が失われると思っているのですか? ……まあ、良いでしょう。あなたが責任を取らない、と言うのであれば……総司令官のセアル・バルカ殿に取って貰いましょう。部下の過失は上司である、彼の過失ですからね」
「!!!き、貴様……父上は関係ないだろう!!」
アズルの目的は海岸党、すなわち主戦派の勢力を削ぎ落とすことである。
ダヴィドを処刑するか……
それともセアルを更迭するか。
どちらにせよ、主戦派の勢力は衰える。
そうすれば妥協案を提出することで……
ロマリアと講和することは可能になる。
アズルからすれば、どちらでもいい。
「ならば、分かりますね?」
ダヴィドは唇を噛みしめた。
そして……
「受け入れる」
「よろしい。……あなたの家族は私が責任を持って保護しましょう」
翌日、ダヴィドは敗戦の責任を取らされ、処刑された。
「よろしかったのですか?」
「よろしくないですよ」
部下の問いにアズル・ハンノは答える。
「このようなやり方、できれば取りたくなかった」
「では……」
「しかし、これ以外に戦争を終わらせる方法はありません」
アズル・ハンノはポフェニアがロマリアに負けるとは思っていなかった。
だが、大きな損害を受けるであろう、と考えていた。
それに……万が一というのもあり得る。
それほどのリスクを犯してまで戦争をするほどの価値が、トリシケリア島にあるとはアズル・ハンノは思っていなかった。
損切りは商売の基本だ。
早急に講和を結ばなくてはならない。
「これでバルカ家の力は衰えました。今なら……もう少し妥協した講和案をロマリアに提案できる。バルカ将軍も愛息子を失って、多少は頭を冷やすでしょうしね」
全ては戦争終結のためだ。
ポフェニアにとって最大の不幸は
アズルとセアルの考えが絶望的に合わないということと
アズルはほのぼの農業して堅実に内政をしたい。
セアルはガンガン領土拡張して、商売して、資源や海外の農地も欲しい。
前者にとってはセアルは目先の利益を優先して足元が見えていない、軍国主義の過激派。
後者にとってはアズルは戦争に協力しないばかりか、足引っ張る売国奴。
加えて最悪なのが、どちらも自国の政治主導権を握ることができていない(=勢力が拮抗している)こと
アズルがポフェニアで確固たるイニシアティブを得ていれば、そもそもロマリアとは戦争にはならなかった。
セアルがポフェニアで確固たるイニシアティブを得ていれば……
まあ、勝つかどうかは分からんけどね。
やっぱり中途半端が一番よくない。
というわけで、次回はアズルがロマリアに講和を申し込みます
アルムスが受け入れれば、戦争は終わります
受け入れなければ、戦争は終わりません




