第二百六十六話 第一次ポフェニア戦争 一年目 Ⅰ
「参りましたね、陛下」
「ああ、全くだ……」
俺とライモンドは頭を悩ませていた。
キリシア商人たちから仕入れた情報だが……
近年、ポフェニアの情勢が不穏だという。
再び、バルカ家、つまり海岸党の勢力が拡大しているらしい。
原因は……
我々の軍事活動と経済活動だ、
というのも、我々ロマリア王国の領土が拡大して、ポフェニアの北方に地域大国が出現したことでポフェニアの保守層を刺激してしまったようだ。
また、ロマリア王国の臣民権を有するキリシア商人たちがテーチス海で商業活動を活発化させており、ポフェニア王国の商人たちと競合しているらしい。
結果、ポフェニアの裕福な平民階級、つまり商人たちが領土拡大を主張し始めたのだ。
つまり植民地拡大による商圏の確保である。
……まあ、正直なところポフェニアがトリシケリア島で勢力を拡大するのは、どうぞご勝手にと言いたいところだ。
我々の目は北方に向いている。
しかし……
「連中、メルシナ海峡に進出を図っているようだな」
「メルシナ海峡は一応、ハンノ殿と結んだ協定があったはずですが……」
メルシナ海峡。
アデルニア半島とトリシケリア島の間の、狭い海峡である。
テーチス海を東西に分けるこの海峡は、ロマリア、キリシア、ポフェニア、ペルシス……様々な国、民族の船が行き交う海上交通の要所である。
ここをポフェニアに抑えられると、我々はどうしても経済的に不利な立場に立たされる。
また、我々ロマリアからすると最大の港であるクラリスの目前に広がる海なので……
国防上、このメルシナ海峡をどこかの国に明け渡すわけには行かない。
トリシケリア島全土がポフェニアの手に落ち、ポフェニアがメルシナ海峡の制海権を握る、というのはポフェニアとロマリアの間に橋が架かるのと同義だ。
テーチス海は日本海のように荒々しい海ではない。
穏やかな海。
海洋国家であるポフェニアにとっては、海は道路と同じだ。
ただ……
ポフェニアもトリシケリア島の征服がロマリアを刺激する、ということはよく分かっている。
それにペルシス帝国も黙ってはいない。
だからこそ、我々ロマリア王国とポフェニア貴族のアズル・ハンノは協定を結んだ。
互いにメルシナ海峡は不介入。
双方共に商業活動を邪魔しない……と。
しかし……
どうやら、ポフェニアの商人たちは我慢ができないらしい。
「ポフェニアに傭兵たちが集まっている……本格的にトリシケリア島の征服に入り始めたか」
ポフェニアは常備軍を持たない。
陸軍は全て傭兵で構成される。
だから、戦争の前に必ず傭兵の募集を行う。
世界中から傭兵がポフェニアに集まるのだ。
余程の情報音痴でなければ、察しはつく。
「問題はどれくらい、トリシケリア島で領土を拡張するかだな。メルシナ海峡の手前までで止まるのであれば、我々も許容できるが……」
「メルシナ海峡に進出されれば……我々も動かざるを得なくなりますね」
我々も守らなければならない商圏、国防圏が存在する。
ロマリア王国の権益をポフェニアが侵さない範囲ならば、我々もポフェニアの権益をある程度尊重できるが……
「何はともあれ、話し合いだな」
「お久しぶりですね、アズル・ハンノ殿」
「これはこれは……アルムス陛下。お久しぶりです。本日はどのようなご用件で?」
俺はポフェニアから、アズル・ハンノを呼び出した。
アズル・ハンノはニコニコと笑顔を浮かべているが、その目は真剣そのものだ。
「早速だが、本題に入らせていただきたい。……トリシケリア島のことです」
「やはり、そのことですか」
アズル・ハンノは葡萄酒を一口、飲んでから答える。
「すでに、セアル・バルカ率いる海岸党がポフェニアで優勢となっているのは御存じで?」
「ええ、知っていますとも。……抑えられませんか?」
そう尋ねると、アズル・ハンノは難しそうな顔をした。
「努力しています。……しかし我々にも限界がある」
やれやれ、とでも言うようにアズル・ハンノは肩を竦めた。
「そもそもですが、あなた方の軍事活動と経済活動が我が国の平民階級を刺激したのです。……あなた方にも原因がある」
「それは論理のすり替えでしょう。問題は現状ポフェニアが我が国の国防圏を犯そうとしていること、その一点です。……かつて、あなた方と我が国が結ばれた条約は遵守してくださるのですか?」
「……難しいですな」
アズル・ハンノは溜息を付いた。
アズル・ハンノ自身が結んだ条約だ。
アズル・ハンノもできれば、守りたいと思っているのだろう。
……しかしアズル・ハンノの派閥が押されている以上、それは叶わない。
それは俺にも分かるが……
「現在のポフェニアの指導者はセアル・バルカです。彼がトリシケリア島への侵略を決めた以上、私はどうしようもない。……ですが、妥協案は用意しています」
そう言って、セアル・バルカは羊皮紙を取り出し、俺の前に差し出した。
「一つ、ロマリア王国はポフェニアのトリシケリア島の支配、権益を認める。
二つ、メルシナ海峡は今まで通りペルシス、ポフェニア、ロマリアの共同管理とする。
三つ、西テーチス海にロマリアは干渉しない。
四つ、ポフェニアはロマリアのアデルニア半島の支配、権益を認める。
五つ、双方不可侵とする
以上です。……どうですか?」
……あまり悪い提案ではない。
提案ではないが……
「あなたは私たちにポフェニアがメルシナ海峡を封鎖しないと、信じろと?」
「信じて頂くしかありませんな」
現状、ポフェニアはトリシケリア島を支配していない。
そして我が国は海軍力が不足している。
ペルシスは遠く離れている。
だからこそ、メルシナ海峡の中立が成立する。
どの勢力も、メルシナ海峡の制海権を抑えることはできない。
しかし……
ポフェニアがトリシケリア島を制覇したら話が変わる。
ポフェニアが海軍基地をメルシナ海峡に建設すれば、それだけでメルシナ海峡はポフェニアの手に落ちる、
封鎖しようと、解放しようとポフェニアの自由だ。
そして……
いつでもアデルニア半島に侵攻できる。
「あなた方、ロマリア王国もメルシナ海峡に面している。そしてレザドに海軍基地を建設し、艦隊を増強しているではありませんか。我々のメルシナ海峡への進出を許すのが、平等というものではありませんか?」
「我が国と貴国の海軍力の差を考えて頂きたい」
俺とアズル・ハンノは睨みあう。
「とにかく、私が提案できる、ポフェニアが最大限譲歩できるのがこの条件です。ぜひ、一か月以内に返答を頂きたい」
「……分かりました、考えておきましょう」
俺は羊皮紙を受け取った。
「さて、どうする?」
俺は重臣たちを王城の一室に集めた。
全員、難しそうな顔をしている。
「陛下、交渉の余地はないのですか?」
「アズル・ハンノは言った。これがポフェニアの出来る、最大限の譲歩だと。……ポフェニア、いや海岸党、バルカ家は本気でトリシケリア島を取りに来るつもりなのだろう」
アズル・ハンノは非主戦派だ。
ポフェニアの政治家である故に、ポフェニアの国益を犯すようなことはしないが……
しかし、下手に我が国を煽って戦争に突入しかねないようなことをするとは思えない。
「つまり……」
「これを呑むか、それともポフェニアと開戦するか、選択肢は二つに一つだ」
だがしかし……
これは実質的には一つだ。
ペルシス帝国が元々ロマリア王国に求めていたのは、ポフェニアの抑え込みである。
ここでポフェニアに妥協すれば、ペルシス帝国の意向……というか今まで支援してくれてきたペルシス帝国を裏切ることになる。
クセルクセス帝は絶対に許さないだろう。
最悪、ペルシス帝国からの支援は十分に期待できる。
だから……
「戦うしかないな」
「……でしょうな」
別にトリシケリア島を奪う必要は無い。
バルカ家に勝利し、トリシケリア島の侵略を止めれば良いだけだ。
さほど難しい目的ではない。
何度か勝利すれば、ポフェニアの主戦派も諦めるだろう。
「トリシケリア島に出兵する。幸いにもロゼル王国とは講和したばかりだし、な?」
まあ、来年までには終わるだろう。
後に百年の間、三度ぶつかる北の陸軍国ロマリア。南の海軍国ポフェニア。
その最初の戦争。
約四年間続けられる、第一次ポフェニア戦争が始まろうとしていた。




