第二百四十話 寛容
「いやはや、これほどの心金は見たことがありませんね……」
アイーシャはグラナダの心金を見て、息を飲んだ。
しかしその瞳はキラキラと輝いている。
「かつて、ペルシス軍三万を焦げ肉にしたサラマンダーを殺し、その心金でドラゴン・ダマスカス鋼を打ったことがありますが……それよりもはるかに素晴らしい」
アイーシャは心金を様々な角度で見ながら、呟く。
そして俺に向かって言った。
「元々はロマリアで製鉄所を借りて打つつもりでしたが、これほどのモノとなるとそれなりの設備が必要になります。……持ち帰っても宜しいでしょうか?」
一瞬、俺の脳裏にアイーシャが持ち逃げする可能性を考えたが……
まあ、あり得ないな。
それをやると、俺と仲良くしたいクセルクセス帝の意向に逆らうことになる。
砂漠の民はペルシス帝国内で自治権を与えられた、非常に発言力の強い部族だが、それでもペルシス帝国内の少数民族の一つに過ぎない。
それにこの賢い女が、そんなコソ泥のような真似をするとは思えなかった。
「構わない」
「ありがとうございます。それと……誰か、監視を派遣してくださいませんか? こちらとしては、要らぬ誤解を招きたくはありません」
「分かった。誰か一人、そちらに派遣しよう」
俺から言い出すのは、外交的に失礼に当たる。
アイーシャから言い出してくれたのは有り難い。
まあ、俺がクレーマーになって「盗まれた!!」と叫べば彼らの商売がやりにくくなるだろうし。
当然の処置だろう。
「それと、大量の鱗を鎧に加工してもらいたい。つなぎ合わせるための糸は、こちらが提供する」
グラナダの鱗をアリスの糸でつなぎ合わせて、一つの鎧にする。
素晴らしい鎧が完成するのは間違いない。
問題は希少過ぎて、実際に着れないということか。
国宝という名の置物と化すのは、想像するに容易い。
まあ、俺は着るけどね。
そもそも俺が初代だから、「傷ついたら大変!!」などという意識は無い。
しかし、三種の神器を最初に手に入れた天皇(大王)は自分の剣と勾玉と鏡がそんな御大層なモノになると予想していたのだろうか?
それとも率先的に神器であると、宣伝したのだろうか?
考えても仕方が無いか。
「ええ、分かりました。そちらも持ち帰って、完成させましょう。……予め、防具と武器の形、サイズを教えてください」
「そちらはすでに要望を紙に纏めてある」
俺が目線で指示すると、イアルが紙の束をアーシャに渡した。
アイーシャはペラペラと紙を捲って、確認する。
「分かりました。寸分の狂いなく、仕上げましょう。……ところで、宝石というのは? 手紙には書いてありませんでしたが」
「ああ、あれはあなたに連絡した後に見つかってな」
俺は兵士に例のルビーの原石を運ばせた。
実際、ルビー以外にも多くの宝石の原石はあったのだがそれらの多くはキリシア人やアデルニア人の職人に任せた。
本当はルビーも任せるつもりだったのだが、断られてしまった。
さすがに、荷が重すぎると。
そして砂漠の民を紹介されたのだ。
彼らの宝石加工技術は世界でも有数だと。
「これはまた……とてつもない大きさですね」
アーシャの目が再び大きく見開いた。
「触って確認しても?」
「構わないよ。どうぞ」
アイーシャはルビーの原石を触り、眺め、鼻を近づけ、耳を当てて指で弾き、そして舐めたりしてみる。
「ハトの血……」
ぼそりとアイーシャは呟く。
そして、俺に尋ねた。
「持って行っても加工しても?」
「ああ、あなたのことは全面的に信頼している。ビジネスパートナーとして、ね。ただ、要望を付けるのであれば出来る限り美しく、そして大きくカットして欲しいな」
「ええ、分かっています。最高の加工を施しましょう」
アイーシャは笑みを浮かべる。
とても、楽しそうだ。
「台座や装飾はこちらで用意しても?」
「いや、それはこちらで作るから問題ない」
宝石を加工する技術ならば砂漠の民の方が上だが、金細工等を作る技術ならばキリシア人の方が上だ。
加工はできないが、装飾は仕上げたい。
というキリシア人の職人は大勢いる。
「なるほど、分かりました。ではこれで全てですね?」
「ああ、これがあなた方に依頼したい仕事の全てだ……期待していますよ、アイーシャ殿」
「お任せください、陛下。我々砂漠の民と、ロマリア王国の今後の友好関係のために」
アイーシャは笑みを浮かべ、一礼した。
それから約一か月ほどが経過した。
季節は十一ヶ月。
強引に組み込んだ諸都市国家との調整と、怒りに燃えるギルベッド王、疑いの目を強めるファルダーム王とドモルガル王への誤魔化しに追われる毎日だ。
さて、そんな中素敵なお知らせが届いた。
グラナダの集めた金銀、装飾品、宝石、ガラスの鑑定結果が出たのだ。
尚、原石の類はまだ鑑定されていない。
さすがに加工してみないと分からないだろう。
そして気に成る結果は……
「金銀だけなら国家予算と同等。装飾品等を含めるならば、二年分ですね」
「いや、全く……棚から牡丹餅とはこのことだな」
落ちて来たのは牡丹餅ではなく、宝の山だが。
ライモンドの表情は、いつにも増して緩んでいるように感じられた。
この外交的、政治的に大変な時期というのに。
まあ、それは俺も同じだろうけど。
やはり、お金は人を穏やかにさせるな。
「グラナダの死体の素材も含めると、さらに高いそうですが……」
「あれは換金できるような代物じゃないだろう。勿体無さ過ぎる」
グラナダ・ヒュドラは世界でも数少ない神の一柱。
お金で買えるようなモノではないし、売っていいものではない。
「一先ず、ユリアとテトラ、アリスにいくつか好きなモノを選ばせてやるか。あとは国庫に入れて置け。……いや、その前に元老院議員を集めて装飾品を競売に掛けるか」
いざとなったら装飾品は換金すれば良いので、急いで金に換える必要は無いが……
元老院議員の中には欲しがる奴もいるだろう。
タダで渡すと不公平が生じるので、売るのがベストだろうな。
「分かりました、陛下。私の方で国庫に納めておきます。それより陛下は治療の方を」
「もう治ったんだが……」
「夢に出る、とお聞きしましたよ」
俺は苦笑いを浮かべた。
未だに、偶にグラナダ・ヒュドラが夢に出てくるのが。
ユリア曰く、呪いは解呪されたので精神的な傷だろう、とのことだ。
アリスも俺と同様の症状に悩まされている。
まあ、不眠症になるというほどのことでもないのだが。
それでも辛いのは事実だった。
「分かったよ、ライモンド。俺は休んでおく」
そう言って、俺は自分の私室に向かう。
最近は気を使ってか、ライモンドとイアルが政務の多くを代行してくれていて俺としてはすることがさほどない。
ユリア、テトラ、アリスと共にトランプをやる日々が続いている。
平和、と言えば平和だろうな。
「あ、陛下。お休みのところ、申し訳ございません。少々陛下にご判断して欲しい案件がございまして」
俺が自室に戻ろうとするのを、イアルが呼び止めた。
俺は思わず首を傾げる。
「どうした?」
「ユルタ人、という民族の代表が陛下にお会いしたいということです」
ユルタ……人?
聞いたこと無いな。
「知っているか?」
「いえ、私は知りませんでしたが……コルネリウス殿がお詳しかったので。一先ず、一度コルネリウス殿のお話しを聞いてから、会うか会わないかのご判断を。それまで、ユルタ人の代表は留めて置いておきますので」
「……ああ、分かった」
一体、何だろうか?
「陛下、悪い事は言いません。ユルタ人は追い出した方が良い。これはポフェニア人としての僕の意見であり、そしてレザドのキリシア人の意思であり、そしてロマリア王国貴族アレクシオス・コルネリウスとしての意見です」
アレクシオスは顔を合わせるなり、そう言った。
何だ、何だ。
そんなに危ない連中なのか?
「詳しく聞かせてくれ。その上で判断しよう」
「ユルタ人は……ユルタ教という特殊な宗教を信じている民族です。ポフェニア人とは遠縁にあたる民族で、商業に長ける。そして頭も良い」
「何が問題なんだ?」
良いところしかないが……
「特殊な宗教を信じている。この一点が大問題なのです。彼らは非常に凝り固まった選民思想を持っています。この世界には神は唯一であり、それ以外の神は偶像や悪魔の類。そしてその唯一の神の教えを守る自分たちユルタ人だけが、最後、世界の終末の時に救われる。という思想です」
「……ふーん」
おかしいな。
何か、そこまでダメな要素があるだろうか?
「そこまでおかしいか?」
「何をおっしゃいますか、陛下!! 神は唯一一柱などという妄言を言っている連中ですよ? それに、陛下の父である軍神マレスを否定することを奴らは言っているのです!!」
ああ……
そう言えばそんな設定、あったな。
俺は軍神マレスの子供だったわ。
今、思い出した。
「うーん、設定だしな。それ。何か、問題行動を起こすのか? 連中は」
「それは……人によってです。ですが過激な者は像を破壊したり、住民と揉めたりします」
しかし過激な奴はどこだっているだろ?
キリシア人だって、少し前は過激派ばかりで随分と手を焼いたからなあ。
「まあ、会ってみるよ」
「……忠告は致しましたよ? 絶対に追い出すべきです」
俺はアレクシオスの言葉を重く受け止めたうえで、ユルタ人との会見に臨んだ。
「本日は、このような機会を設けて頂いてありがとうございます。アルムス陛下」
「ああ、それで手短に用件を言って欲しい」
ユルタ人の男性は膝を突き、頭を下げながら言った。
「ロマリア王国内での商業活動をお許し頂けないでしょうか?」
「構わんよ。商売をするだけならな」
そう答えると、ユルタ人の男は驚いたように顔を跳ね上げた。
そんなあっさり許可を出すのか、という顔だ。
まあ、彼らが非常に危険なのは何となく分かったのは事実だ。
多神教の世界で、一神教はただの変態、カルト集団だろう。
アレクシオスにとって、ユルタ人は某ヨガ団体のように見えているはずだ。
しかし、宗教や思想で国を追い出すのは少々俺のやり方ではない。
「但し条件がある。一つ、我が国の国法を必ず守ること。私刑の類は同じユルタ人同士でも絶対に禁止だ」
ユルタ人という民族は戒律なるモノを守っているらしく、それに従って独自の法律を持っている。
別に彼らが彼らの国の内部で、その法律で人を私刑にするのは構わんのだがここはロマリア。
ロマリアにはロマリアの法があり、決められた裁判手続きに従って裁かれるべきだ。
「二つ、税は必ず払う事。これは絶対だ」
売上税を貰わないと、許可をする旨みが無くなる。
これは当然だ。
「三つ、必ず我が国に入国したユルタ人の人数とその所在地を確認すること。もし報告されていないユルタ人がいたら、即刻国外追放とする」
彼らが少々危険な存在であるということは間違いない。
だから数は把握すべきだ。
そして……
「四つ。乱闘騒ぎを引き起こした者は例外なく国外追放とする」
要するに揉め事を起こすな、ということだ。
何があっても、人を殴るな。
そして殴り返すな。
ということだ。
「五つ。宗教活動は目立たないように行うこと。そして我が国、キリシア人、ポフェニア人、その他の神々のことを公で侮辱しないこと」
まあ、彼らが何を考えようと勝手だが口に出されると困る。
絶対に面倒の元になるし、俺も対処しなくてはならないからだ。
「以上を守れるか?」
「はい、陛下。必ずや」
ユルタ人の男はとても嬉しそうに頭を下げた。
アレクシオスの話を聞いた後、歴史書を読み漁ったが、彼らは中々不幸な歴史を歩んできた民族のようだ。
だから俺からの許可が純粋に嬉しいのだろう。
まあ、少なくともロマリアの公的権力に迫害されない保証は手に入れたからな。
しかし、まだ弱いな。
「お前たちの神に誓え。そして全てのユルタ人に一筆書かせろ。それが絶対条件だ」
すると、ユルタ人の男は一瞬顔を強張らせたが頷いた。
「はい、分かりました」
神に誓っているうちは、破らないだろう。
少なくともこちらが破らない限りは。
「あ、そうそう」
「……何でしょうか?」
他にも何か条件を付けられるのか。
ユルタ人の男は警戒の色を露わにする。
「君たちの教えに純粋に個人として、興味がある。聖書を一冊、貰えないかね?」
「喜んで!!!」
ユルタ人の男は満面の笑みを浮かべた。
__________
『ユルタ人とロマリア人。後に因縁深い関係となるこの二つの民族のファーストコンタクトは……少なくとも双方にとって良い物となったのであった』
―ロマリア史―
寛容とは非寛容の者にも寛容云々……
まあ、多分現状では害にはならない
マルクスの時代も多分大丈夫
でも、それ以降になると双方互いに結んだ約束忘れちゃうよね……




