第二百三十四話 異変Ⅱ
ここは……
俺は周囲を見回した。
薄ピンク色の空間が辺りに広がっている。
妖精か。
―御名答。お久しぶりだね、アルムス。二年振りくらいじゃない?―
まあ、そうだな。
マルクスとユリアを助けてもらった後以来だ。
で、何の用だ?
―ある程度勘付いてるでしょ。西で起こった異変のこと―
やはりカルヌ王の国の滅亡はお前らの関係か。
―そうだね。まあ、私たちとは実質的には敵だけど―
で、何だよ。
カルヌ王の国を滅ぼした犯人は。
―ヒュドラ。テューポーンとエキドナの子。キマイラやケルベロスの兄弟―
……ギリシャ神話の世界ですか、ここは。
思い出したようにファンタジーをぶち込まないでほしいのだが。
―一応言っておくと、多分こっちが本場だよ。こっちの世界にあっちの世界から人が来るように、こっちの世界からあっちの世界へ人が行くこともある。当然、アルムスみたいに知識を持ってね―
それとなく、新事実が明らかになったわけだが……俺の記憶が正しければヒュドラはヘラクレスに退治されるんだけど、されてないの?
―悪いけど、ヘラクレスとやらは知らないなあ―
残念ながらヘラクレスは居ないらしい。
まあ、世界を跨げば当然話はねじ曲がって伝わるだろうし、オリキャラの一人や二人加わって居ても別に驚きはしないけど。
で、ヒュドラはただの竜と何か違うのか?
―ライオンや鷹と、グリフォンが違うくらいは違うよ―
……グリフォン様級なんすか。
―グリフォンの方が生き物としては格上だね。あいつは上の上。ヒュドラは上の下だから―
ところで、俺は?
―下の中くらいじゃない? まあ、ロマリア軍全体を含めれば中の下かな?―
ロマリア全軍よりも強いのかよ。
ヒュドラ、そしてグリフォン様は。
―そうだね。あいつがその気になれば、ペルシス帝国だって滅ぼせる。……まあ、ペルシスの守護獣が黙っていないし、ヒュドラの奴もペルシスには手を出さないけど―
我が国にもグリフォン様がいるけど?
何とか成らないか?
―あいつは引き篭もりだからね……まあ、その辺の話は明日、グリフォンと共にしようじゃないか。そうだね……ユリアちゃん、テトラちゃん、ついでに……うん、アリスちゃんも呼んで。彼女にも協力してもらえると、心強い―
段々と、妖精の声が遠くなる。
―じゃあ、約束は必ず守ってね―
「あの……陛下、私などがグリフォン様のところに行っても……」
「妖精に連れて行け、と言われたんだ。まあグリフォン様にもそう言えば分かるだろ。気にするな」
俺は怯えるアリスの手を引っ張りながら、ユリア、テトラと共にグリフォン様の住むロマリアの森に向かった。
一応、手土産として酒を持ってきている。
グラムの働きにより舗装した道を歩き、その後舗装した道から外れた森の中に進む。
ある程度進むと長い長い木製の柵が見えてくる。
この長い柵は一キロほどの間隔を保ったまま、グリフォン様の領地をぐるりと囲んでいる。
無暗に人が入らないように、入れないようにするための処置だ。
そして唯一ある門に向かう。
「む! 待て。ここより先はグリフォン様……これは陛下!! 失礼致しました。どうぞ、お通り下さい」
門番はさっと門の前から退き、深々と一礼した。
「ご苦労。これからも頑張ってくれ」
「ありがたき幸せ!!」
俺は門番の兵士を労ってから、さらに奥へと進む。
百メートルほど進むと、チリチリの後頭部への違和感を感じ始める。
ユリアやソヨン、ルルがグリフォン様の領地周辺に張った人除けの結界だ。
「アルムス、アリス。じっとしててね」
ユリアはそう言って、俺とアリスの後頭部をほんの少し撫でた。
違和感が嘘のように消え去る。
「進むぞ」
そして九百メートルほど進むと……
「よく来たな。小僧どもから話は聞いている」
グリフォン様が出迎えてくれた。
―初めまして、と言うべきかな。ユリアちゃん、テトラちゃん、アリスちゃん。私は数ある妖精の一人。保守派の妖精。これから末永くよろしくね―
「うん、よろしく。マルクスを助けてくれてありがとうね」
とユリア。
「……そう」
と不愛想にテトラが。
「え、は、はい。よろしくお願いします」
姿の見えない妖精に戸惑いながら、アリスがおずおずと返事をした。
「しかし、今まで恥ずかしがり屋と言って滅多に声を出さなかったのに。今回はどうして気が変わった?」
―うーん、まあ積極的保守に変わった時点で、いつかはご挨拶でもとは思ってたよ。とはいえ、今回は史上類を見ない緊急事態ということもあるけどね―
いつも通り、妖精の声は小さな女の子がケラケラと笑うようなトーン。
しかし何となくだが、いつもよりも随分と緊張を感じた。
―では、今から話を簡潔に説明するよ。三千年ほど前、この辺りを支配していたヒュドラという神の封印が解けた。原因はあの黒崎麻里。ヒュドラは大食漢で、家畜から人まで生き物なら何でも食べてしまう。このままでは十年も持たずにアデルニア半島の人間は食いつくされてしまうだろう。しかもその毒は世界の法則すらも揺るがしかねない、危険なものだ。早急に再封印か、または殺してしまう必要がある―
「ヒュドラって……昔話に出てくるヒュドラ?」
ユリアが尋ねると、嬉しそうな妖精の声が聞こえる。
―そうそう、そのヒュドラ。話が早くて良いね―
どういうこっちゃ。
ユリアの顔を見ると、ユリアはアデルニア半島南部に古くから伝わる悪い神様と悪い神様に立ち向かった女の子の話をしてくれた。
ほうほう、そんな昔話があるのか。
しかし、一つ聞きたい。
「もしかして引き籠った良い神様ってグリフォン様ですか?」
「うむ、我だ。ん? 何か言いたそうな顔をしているが、何か文句があるのか?」
「いえ、滅相もない」
グリフォン様が悟り開かなければ、誰も死ななかったんじゃないですかね?
とはさすがに言えなかった。
まあ、グリフォン様からすれば裸の猿がいくら死んでもどうだって良いということだろう。
「小僧。一応言っておく。我はここから出るつもりもないし、あのヒュドラ……グラナダのガキと遊ぶつもりはない」
どうやら、ヒュドラの本名はグラナダというらしい。
まあ、グリフォン様の名前がグリフォンじゃないのと同じだろう。グリフォン様の本名は知らないけど。
―って、この猫雀が戦ってくれないんだよ。アルムスからも何か言って―
「昔、困ったら助けてくれると言ってくれましたよね? 助けてくれませんか?」
「分かった。お前と村の子供たち、そしてその妻と子供は我が領地に来ると良い。我が領地にはグラナダのガキも手は出せん。……お前の国はお前のモノだ、お前が守るのが筋ではないか?」
おっしゃる通りでございますね。
俺の国の民や、カルヌ王の国の難民なんてグリフォン様からすれば裸の猿だ。
守る理由がない。
―あのね、グリフォン。あなただって世界のバランスが崩れるのは困るでしょう? 確かに私たちはあなたたち神獣に活動の自重を促した。それに答えてくれたことには感謝している。でもね、こういう時くらいは良いでしょう?―
「断る。我がグラナダのガキを殺す理由がない。恨みも無ければ食べても不味い、そして近づくだけで臭い蛇となぜ戦わねばならん。それに神獣が大規模な活動をすれば我らも貴様らも不利益を被るのは確かだが、死ねばそれはそれで世界のバランスが崩れるのではないか?」
世界のバランスだとか、なんだか知らないけど何とかならないか?
そのグラナダ・ヒュドラさん。
「……封印されてたなら、また封印すればいい」
ぼそりとテトラが呟く。
確かに、その竜と戦った女の子とやらは封印できたはず。
ならユリアだって出来る。
「やめて置け。できても死ぬし、ユリアとテトラでは時を止めるなど不可能だ。まだ世界記憶に爪先ほども掛かっていない者が考えることではない」
「時を止める?」
封印じゃなかったのか?
そう言えば、時を止める魔法に成功した魔法使いがいたとグリフォン様は言っていたが。
―封印、というのはある種の例えでね。正確に言えば、ヒュドラの時間を停止させたの。停止させた後に、念には念を入れて魂魄を分離してそれぞれ別の場所に閉じ込めたの―
はあ……
想像もできない世界だな。
「ユリア、テトラ。できる?」
「無理」
「不可能」
でしょうね。
「というか、お前は魔法を使うことに関して反対じゃなかったのか?」
―反対だよ。その魔法使いを焚きつけたのは革新派の妖精。……まあヒュドラは大暴れしてて害悪だったし、封印しておいてくれれば助かったからその時は目を瞑ったんだけどね。まさか、自分が封印するように焚きつけたヒュドラを、三千年後に別の奴に目覚めさせるとは私もビックリだよ―
うーん、マリリンに頼んでも封印してくれるとは思えんし。
そもそもマリリンが目覚めさせちゃったみたいだしな。
うん? そう言えばなんでマリリンは?
―時間停止の制御棒。それを解析すれば手掛かりが得られると思ったんでしょ。迷惑な話だね―
全くだ。
最近、マリリンへの好感度が少し上がっていたのだが今回のことで再び大暴落だ。
「とにかく、封印はできない。グリフォン様は助けてくれない。となると、倒すしかないな。黒色火薬で倒せるかな?」
―あんな破壊力じゃあヒュドラの神気を吹き飛ばせないよ。傷一つ付けられない。物体の質量を丸ごとエネルギーに変換するような兵器でもあれば、可能性は出てくるけどね―
それはつまり、E=mc2 的な話でしょうか?
さすがにそれは無理だな。
「つまり倒せないということか」
―うん―
ダメじゃん。
「ふむ、アルムス。諦めるのは早いと思うぞ」
グリフォン様……じゃああなたが戦ってくださいよ。
「我は面倒事は避けたい。グラナダを殺すのは容易いが……あとでテューポーンと揉めるのは面倒だ。勝てぬとは言わぬが、怪我を負うのは確実だからな。しかし、我とお前との仲だ。弱点くらいは教えてもいいが……」
グリフォン様は鼻を鳴らす。
「小僧、良いか?」
―はあ、本当は私も平和的に済ませたいんだよ? でもヒュドラが大暴れする。このままじゃ、世界の崩壊は免れない。ある程度、世界のバランスが崩れるのは仕方がないね。良いよ、話しても―
妖精の少し投槍な声が聞こえる。
「よし、話すぞ。まあ、簡単な話でな。我々の体を纏う神気は普通の方法では吹き飛ばせない。これを吹き飛ばさない限り、我らの体に傷をつけることは叶わぬし、神気を打ち消すことができなければ我らの攻撃は防げない。……しかし神気を纏っていなければ、我らとて簡単に殺される」
つまり神気を打ち消すか、吹き飛ばすと?
でもさっき無理って妖精が言ってたような……
「違う。神気は人間の力では、少なくとも今のお前たちの文明では打ち消せん。だから神気を纏っていない時を狙えばいい。グラナダのガキはまだまだ未熟でな、寝ている間は神気を纏えん」
つまり寝首を掻くと?
でも、できるのか?
「さすがのグラナダも馬鹿ではない。やつには複数の首があってな、交代で寝ているから隙が無い。まあ、だからこそ寝ている間神気を纏えるように訓練しなかったと言えるが……」
「じゃあ、どうするんですか」
勿体ぶらないで、早く話してほしい。
「なーに、簡単だ。グラナダのガキはな、毒を吐く蛇の癖に毒には弱いのだ。……睡眠薬を混ぜた酒をたらふく飲ませれば、泥酔する。その後、好きなだけ料理すればいい」
ギリシャ神話かと思ったら古事記だったわ。
酒を飲ませて寝首を掻く、簡単な作業です
前回、更新タイミングと活動報告を乗せるタイミングがズレてしまい、後からあとがきに追記したので知らない方もいらっしゃるので、もう一度書いておきます。
書籍化について、新しく情報を公開したので活動報告をご覧ください




