第二百十七話 ペルシス帝国Ⅱ
思った以上に早く話が進んでしまったな……
俺は目の前の男、ペルシス帝国皇帝クセルクセス一世と目を合わせる。
背は俺の方が高いが、腕を組み不敵な笑みを浮かべるその老人は独特の風格を身に纏っていた。
不思議と、クセルクセス帝の方が大きく見える。
王者の風格というやつか。
俺は片膝を突き、頭を深く下げた。
「ロマリア王国国王、アルムスです。本日はお招き下さり、ありがとうございます」
「私はペルシス帝国皇帝にして、ミスル王国国王、そして諸王の王である、クセルクセス一世だ。……さて、そなたも国王。立場があるだろう。顔を上げて立つと良い。堅苦しい挨拶は抜きだ。実りのある会談にしよう」
そう言ってクセルクセス帝はニヤリと笑った。
「ああ……心配だ。心配だ、心配だ……」
「あの、叔父様。そこまで心配しなくても……」
「そうですよ、監察官……」
落ち着かないとでも言うようにグルグルと歩きまわるライモンドをユリアとイアルが宥める。
三人はアルムスの付き添いとして、ペルシス帝国属領キリシアの州都、旧クラリスにやって来ていた。
季節は二月の中頃。
一月はゴタゴタと忙しく、三月以降はロゼル遠征で対ガリア同盟諸国と協議しなくてはならない。
機会は今しかない……
と申し出たところ、すぐに許可が下りてしまったのだ。
面会十年待ちとも言われるペルシス皇帝とそんなに簡単に会えるのか?
騙されているのではないか?
とアルムスたちは疑ったのだが、そもそも面見せろと言ってきたのはクセルクセス帝である。
ペルシス側が都合を合わせるのは道理に適っている。
尚、三人の人選だが……
これからゲルマニス諸国との交渉に赴くライモンドは当然必要。
アルムスの正室であるユリアも、変な女をクセルクセス帝に押し付けられないように牽制として必要。
そして老い先短いライモンドの引継ぎがすぐにできるように、まだ若く、そして執政官という重要な職務についているイアルも顔を見せた方が良いだろう。
という判断だった。
「いやあ、それにしてもペルシスの皇宮って凄く大きいね。新しくできたうちのお城も大きいなって思ってたけど……」
「恐ろしいのはここが首都ではないということでしょう。……首都のジャムシードにはどれだけ巨大な皇宮があるのやら……」
「大きさだけならまだいいでしょう。……見てください、この壁。よく見ると木目細かい彫刻が施されています。もし、この模様がこの皇宮全ての壁面に彫られているとしたら……」
三人は肩を竦めた。
超大国である、ということは聞いていたが伝聞と実物では大きく異なる。
こんな国と戦っても勝ち目は無い。
それが三人の抱いた感想だった。
「でも、説教を聞きに来たわけでもないんでしょ? 友好関係を深めに来たんだし。こんな国が味方してくれれば、敵なんていないよ」
「……味方にできれば、の話ですよ。だから心配してるんです」
ライモンドは深いため息をついた。
とはいえ……
「陛下を信じるしかないでしょう。このことについては。一先ず、陛下を待ちましょう」
イアルは自分に言い聞かせるように呟いた。
ペルシスの皇宮の第一印象は巨大。
中に入ってみての第二印象は解放的。
だった。
王宮内にはいくつも中庭があり、そこには必ず噴水と花畑があった。
どこを歩いても、水と花の香が風で運ばれてくる。
とても平和的で和やかな雰囲気を醸し出している。
とても領土拡張を続け、いくつもの屍を築いてきた大帝国には見えなかった。
「どうかね、この皇宮は。素晴らしいだろう。五十万人の人夫と世界中から集めた芸術家たちを総動員三年で作らせた。良い公共事業になったよ」
「……公共事業、ですか?」
「ああ。戦争で土地を無くし、働く場所を無くした者たちに働き場を提供してやったのだ。払った給金はいずれ税収として帰ってくるからな。これでキリシアの経済も復興した。来年からは黒字になるだろう」
なるほど。
ただ侵略するだけが、征服ではない。と言いたいのだろう。
「王の道もあと一年でキリシアを縦横断する。そうすればついに西方と東方が直結するわけだ。……そう言えば、君も同じことをしているそうだな」
「占領地への道路建設ですか?」
「治水も含めての公共事業もだ」
よく調べてるな……
実際、俺は占領した土地にはすぐに道路を敷設して、治水工事を行っている。
道路は軍事的には無論、経済的にも大きな意味を持つからだ。
また、治水は征服した直後の混乱期に纏めてやってしまった方が楽でいい。
治水をする際に問題になるのは農民同士の水利争いだが、占領したばかりならば武力での脅しが効く。
厄介事は全て武断で終わらせてから、文治政治に転じれば良い。
「道路ができれば、過剰した物を不足している地域に運ぶことも用意になる。当然、飢えで死ぬ者も減るし、国民の生活も豊かになる。人は豊かであるうちは武器を持とうとしない。……さて、一つ質問だ。貨幣経済が進展すれば国民は豊かになる。しかし税収の上で注意点が一つある。それは何かな?」
何なんだ? この人は。
長々と語り始めたと思ったら、いきなり謎々か。
……貨幣経済の進展による税収上の注意点ね。
「国家財政が農作物による物納に頼っていた場合、税収が市場に大きく左右される。という事でしょうか? ……貨幣経済の進展に合わせて、税制を変える必要があります」
「その通りだよ、アルムス王。もっとも、我らの国がその難題に直面するのはずっと後のことだろう。百年、二百年……もしかしたら千年後かもしれないがね」
クセルクセス帝は立ち止った。
目の前に大きな扉が現れる。
ゆっくりと、扉が静かに開く。
部屋には大きなテーブル。向かい合うように二つの椅子。
そして色とりどりの料理が置かれていた。
「食事を取りながら話をしようではないか」
食事中の話は廊下での話とは打って変わり、極めて下世話な話から始まった。
「君には妻は何人いる?」
クセルクセス帝は大きな肉に食らいつきながら、俺に尋ねた。
俺はヤギの脳味噌を弄る手を止め、答える。
「二人ですね。正室が一人、側室が一人」
「君と一緒に来た美しい女性は正室かね? それとも側室?」
「正室です」
するとクセルクセス帝はため息をついた。
「それは残念だ。側室だったら交換を申し出たのだが……」
「……」
「冗談だ。私は結婚とは政治上の手段であると考えている。そのようなくだらない事で君との関係を悪化させようとは思わない。女性ならすでに間に合っているしね」
そう言ってクセルクセスは扉の前に控えていた女性に視線を送った。
女性はゆっくりと近づいて来る。
肌は秋の小麦のような褐色。髪の色は太陽に反射して美しく輝く金色。
女性はゆっくりと一礼した。
「砂漠の民族長、アイーシャと申します。アルムス王殿。クセっち……クセルクセス帝の……えっと、確か547番目の妻です」
「574だよ」
「些細な差ですね」
……最低でも五百七十四人もいるのか、妻が。
これは凄い。
というか、砂漠の民と言えば……
「ドラゴン・ダマスカス鋼の?」
「はい、そうです。竜の心金とダマスカス鋼を溶かし、鍛えた世界最高の鋼。それは我ら一族にしか鍛えられません。……もし、高品質の心金を手に入れたらぜひ、ご連絡を」
そう言ってアーシャは踵を返し、去っていく。
「商売熱心な奴だな。全く……さて、話を戻すか。君が愛妻家なのはよく分かった。しかし、まさか妾が一人もいないということは無いだろう?」
「……一人、います」
「そうか、そうか」
クセルクセス帝は愉快そうに笑う。
何が面白いのだろうか?
「女性の部位ではどこが好きだ?」
……
「私ばかり答えるのは不公平だと思います。……陛下からおっしゃってください」
「それもそうだ。私は……そうだな、胸だな。大きい胸が良い。肌の色や髪の色にはあまりこだわりは無いな」
胸か……
確かにさっきの女性も胸が大きかったな。
さて、俺も答えるか……
「私はお尻ですね」
「そう言えば、君の正室もお尻が大きかったね」
「……」
「怒るな、怒るな。君だって、私は『胸である』と言った時アイーシャのことを思い浮かべただろう?」
……そうだな。
文句を言える立場ではない。
「別に大きなお尻に拘りはありませんよ。小さいのも好きです」
テトラのお尻はキュッと引き締まっている。
あれはあれで可愛らしい。
「なるほど、君の側室はスレンダーな体型なのか」
「……まあ、そうですが」
なぜ、分かった?
「ところでうちの娘にはお尻の大きい娘とキュッと引き締まった小ぶりの尻の子がいる。肌は色白から褐色、黒まで。髪は黒髪、金髪、銀髪、赤髪、蒼髪……ああ、でも紫はないな。どの子も私に似たのか美しい。どれか一人、貰って行かないか?」
「いえ、女性は間に合っていますから……」
正直、これ以上は体力が持たない。
それに加えて……
「ペルシスの姫を頂いたからには、正室に据えねばなりません。しかしすでに正室の席は埋まっております。国を分断する要因は作るわけにはいきません」
「そうかそうか、まあ、ダメ元で聞いてみたことだ。どうせ、お主に娘をやったところで王宮の片隅に幽閉される形になるだけだろうしな」
その通りだ。
もし、強引に結婚を引き受ける羽目になったら、特別に屋敷を立ててそこに監禁するつもりだった。
政治的影響を行使できないように。
「しかし良いのか? 私の娘は世界中のどの国も欲しがっているぞ?」
「陛下の威を借りずとも、私の権力は盤石です」
俺がそう答えると、クセルクセス帝は不敵に笑う。
「そうか、では君との婚姻関係は諦めよう。……では、君の息子とならどうかな?」
「!!!」
それは……
悪くない話かもしれない。
俺は実力でロマリアを興し、領土を広げ、制度を整えた。
いずれはアデルニア半島を統一するつもりだ。
だから平民も貴族も俺を何の疑いもなく王と認めている
それは俺の実力が確かだからだ。
俺に付いていけば安泰で、その上俺に逆らうことはできないと骨身に染みているからだ。
しかし……
俺の後を継ぐマルクスは……
三代目は良いだろう。
すでに血による継承をするという前例があるからだ。
しかしマルクスには無い。
無論、マルクスに俺と同等かそれ以上の政治手腕があれば何の心配もないが……まだ赤子。確かなことでは無い。
それにマルクスの嫁を誰にするか、じつは悩んでいた。
丁度良い相手が見つからない。
ロサイスから選べばロサイスの権勢が増してしまう。
アスから選べば、ロサイスとの政争が激化する。
新興貴族……バルトロ・ポンペイウス、アレクシオス・コルネリウス、イアル・クラウディウス、ロン・アエミリウス、ロズワード・ファビウス、グラム・カルプルニウス。
彼らの娘を宛がうというのも考えたが……
下手に優劣をつけると、やはり政争が激化する。
ペルシスから嫁を招くことができるならば……
これほど素晴らしいことは無いかもしれない。
ロマリアとペルシスが婚姻関係を結べば、暫くは安泰だろう。
ロマリアが従属する形になってしまうのは問題だが、そもそも国力差を考えればそれは致し方がないことだ。
懸念すべきは、ペルシス帝国に内政干渉される恐れがあることか。
ロゼル、ポフェニアという二大国に挟まれている以上、我が国はペルシスを頼るしかない。
「まあ、君の息子……マルクス王子は産まれて間もない。早急に決めることでは無いな。一応、考慮に入れておいてくれたまえ」
クセルクセス帝は笑みを深めた。




