第百九十話 吸熱反応
今まで、俺は必死にフォークを広めようと頑張ってきた。
啓蒙専制君主のノリで。
しかし……
どうやらフォークは少々アデルニア半島には早すぎたようだ。
どうにも理解されない。
手で食べることに、何の抵抗があるのか分からない。
むしろ、神からの供物をそんな道具で口に運ぶ方が下品じゃないか。
とのことである。
うん、もういいよ。俺が悪かった。
お前らには早すぎたみたいだな。文化を押し付けるのは良くない。
諦めた。
ということで……
「開き直ってピザを作る」
「ピザですか?」
アリスが首を傾げた。
今回、料理に参加するのはアリスだけである。
試食はアンクスとフィオナ。
というのも、ユリアとテトラは悪阻でゲロゲロしているからだ。
今は近寄らないで欲しいとのことだ。
折角休みが取れたのに……
しかしこの時間、ゴロゴロ寝て過ごすのもどうかと思う。
というわけで、ついでにアンクスとフィオナの面倒も見る。
そして料理もする。
「まあ、大したモノじゃないさ」
アデルニア半島にはピザは無い。
しかしその原型に近い、丸くて薄いパンなら存在する。
食器替わりに使ったりするのだ。
この上にトマトソースとバターを塗り、チーズを乗せ、その他具材をトッピングして……
「焼くだけ」
「ちょっと味気ないですね……」
本格的に作ればもっと手順が居るだろう。
しかし俺にはピザを作る知識などない。仕方が無い。
まあピザトーストよりはピザっぽい、ピザにはなるだろう。
その辺は後々、暇になったユリアやテトラに開発して貰おう。
「まあ、待て。今回の真打はアイスだ」
「アイスですか?」
そう、白くて冷たい奴だ。
実はアイスは簡単なモノなら比較的簡単に作れる。
牛乳と卵と砂糖があれば良い。
生憎バニラエッセンスは存在しないため、若干臭いが乳臭くなる懸念があるが、アデルニア人の嗅覚は乳の臭いを拒絶しない。
多分、大丈夫だ。
「フィオナとアンクスにも手伝って貰うから」
「「はーい!!」」
元気な返事だ。
さっきから大人しく座って待っている。
良い子だ、天才かもしれない。
「まずは卵を卵白と卵黄に分離させる。そして卵白を泡立てる。アリス、ゴー!」
「分かりました」
アリスは凄まじい勢いで卵白を回転させる。
僅か十秒で卵白が泡立つ。どういう筋肉してるのだろうか?
次に卵黄と砂糖、牛乳、泡立てた卵白を少しづつ混ぜながら湯煎する。
「フィオナ、アンクス。二人で混ぜてくれないかな?」
「どれくらいまぜればいいの?」
「えっと……とろみが出てくるくらい……かな? まあ、適当で良いんだよ、適当で」
俺はフィオナの質問に曖昧に答えた。
俺も一回しか作ったことが無いし、作ったのは何年も前だから詳しいことは覚えていない。
しかし、料理はフィーリングだ。
心が篭っていれば問題ない!
「お母さまは、てきとうとか言う人の言うことはしんようしちゃいけないって言ってましたよ。父上」
アンクスが首を傾げた。
おい、テトラ。余計なことを吹き込むな。
お前は料理本に書いてある「塩……適量」とかについて、ミリグラム単位で書けとキレるタイプだというのは知ってるが、子供にそこまで正確さを求めるな。
「でも、お母さまは、「薬の分量? 適当で良いよ、適当で。私の勘の方が正確だから!」っていってたよ?」
フィオナがアンクスに反論する。
おい、ユリア……
薬は適当じゃダメだろ。絶対に適当にしちゃいけないモノだろ。
お前は患者の顔色で適量が分かるかもしれないけど、その説明だとフィオナが変な勘違いを起こすだろ。
「つまり間を取って、薬は適当で良し、料理は正確に、ということでは?」
ドヤ顔のアリス。
話を拗らせるな!! 間を取るな!!
逆だ、逆!!
アホは黙ってろ!!
「兎に角、混ぜるんだ!!」
俺は二人を急かす。
ユリアとは後でゆっくり話をしなくてはならないが、今はアイスの方が先だ。
二人は仲良く交代で混ぜ始める。
湯煎は長期間やると固まってしまうので、混ぜ終えたらすぐにお湯から離す。
後は冷やせば終わりだ。
「さて、ここに氷があるだろ?」
今は七月の頭。
随分と気温も上がり、熱くなってきた。
この氷は冬の間に、アルヴァ山脈から切りだしてきたものを氷室に蓄えて置いた物だ。
ロサイス王の国の位置する、南アデルニア半島中部は冬でも雪が降らない。
しかし標高の高い山なら話は違う。
高度が高くなればなるほど気温は下がるから、この地域でも山では冬に水が凍結するのだ。
これを切り出して、温度の低い地下に保存して夏に消費する。
非常に希少で、高価な代物だ。
これを使えるのは王族や極一部の豪族だけだ。
「ここに塩を投入して混ぜる。すると、氷がさらに冷たくなる」
「何でですか?」
「知らん」
大事なのは冷たくなるということだ。
冷たくなる理由はアイス作りに関係ない。
「触ってみるか? ちょっとだけなら良いぞ」
俺はフィオナとアンクスに氷の入ったボールを突き出した。
二人は躊躇なく手を突っ込み……
手を押さえて悶えた。
ゼロ度下回ってるからな……
「これで冷やせば出来上がりだ」
俺はアイスの原料が入ったボールを、氷の上に乗せる。
あとは放置すれば出来上がり。
完成だ。
「冷たい!!」
「おいしい!!」
フィオナとアンクスは口を真っ白にしながら、アイスをバクバク食べる。
幸せそうな笑顔だ。
腹を壊さないか、少し心配だが。
「アルムス、早く!」
「はい、あーん」
俺はアイスを掬って、テトラの口に運ぶ。
テトラの目が幸せそうに緩む。
アイスが完成するのと、二人の悪阻が治まるのは同時だった。
実は俺がアイスを作ったのは、二人の悪阻のためである。
パンやパスパは喉を通らなくても、アイスは喉を通るはずだと考えたわけだ。
自分で言うのもアレだが、妻思いの夫だと思う。
「アルムス! 私も!!」
「はいはい」
ユリアの口元にもアイスを運ぶ。
ユリアが微笑む。
「美味しい……」
ユリアが微笑む。
そもそも甘味自体が希少というのがあるのかもしれない。
砂糖は東方から仕入れる産物だから、非常に高価で、それ以上に出回らない。
「ねえ、アルムス。これ毎日作って」
「毎日か……それは……厳しいかな?」
砂糖は輸入すれば良い。
流石に人間二人が毎日消費する砂糖を購入するだけなら、国の財政は全く傾かない。
そこまで我が国は貧乏国では無い。
問題は氷だ。
氷は数が限られているし、使用する分が決められている。
ここからここまではロサイス氏族家の分、ここからここまではポンペイウス家の分。ここからここまでは……
という具合だ。
豪族の連中も冷たいモノを食べたいのだ。
特にバルトロは酒を氷割にするのにハマっている。
俺が寄越せと言えばくれるだろうが、そんな下らない理由で豪族との関係を悪化させるのもアホらしい。
「というか、テトラ。作れないか? 冷却器」
「『冷たい』というモノが何なのか分からない……炎は目で見える。風も間接的に視覚化出来る。でも『冷たい』は……」
「『冷たい』と『熱い』は熱の出入りだよ。吸熱反応っていう熱を吸収する反応が『冷たい』。発熱反応っていう熱を発生させる反応が『熱い』」
俺がそう説明すると、テトラが俺の肩を掴み、顔を近づけて来た。
「詳しく!!」
「えっと……まず、そもそも熱というのは……」
俺はエネルギーのついて、分かる範囲のことを教える。
確か熱ってのは分子の振動だったよな……
高校の化学をもう少し真面目に受けておくべきだった。
使わないからと言って、寝てるんじゃなかったぜ……
「なるほど……」
テトラがどこか納得した顔を浮かべる。
分かったのか? 俺も分からないのに?
まあ、多分何かを脳内で補完したんだろう。テトラは昔からそういう子だし……
「少し待って」
テトラは立ち上がり、大きな紙といくつかの小皿、ナイフ、魔石を持ってきた。
ナイフで指を少しきり、血を小皿に溜める。
「アルムス、魔石同士を擦り合わせて、粉にして」
「はいはい」
俺は言う通りに小皿の上で魔石同士を擦り合わせる。
魔石というのは案外どこでも掘れるもので、ロサイス王の国でも探せばちらほら掘れる。
埋蔵量は少ない代わりに、どこでもあるという便利な資源だ。
……しかし、魔石ってのは何が原料なんだろうか?
「貸して」
俺が魔石の起源について少し考えていると、テトラが横から小皿を奪った。
魔石の粉をつまみ、血と混ぜ合わせる。
そして粉と血の混合物に筆を浸す。
「私の考えが正しければ……」
テトラは紙全体に大量の数式、よく分からない記号、そして円と五芒星をいくつも重ね、書き表す。
何かよく分からないが、一つだけ確かなことはテトラが凄いということだ。
「ユリア、お願い。多分私だと足りない」
「了解」
ユリアが完成した魔術陣に手を乗せる。
そして呪力を注ぎ込む。
呪力は魔力に変換され、魔術陣を駆け巡る。
「アルムス、少し手を翳してみて」
「こうか?」
俺は中央の円の上に手を翳した。
すると、仄かにヒンヤリしたモノを感じた。
「凄いじゃないか」
「えっへん!」
テトラが胸を張った。
まだ作りたてで効率が悪いが、これから無駄な式を省いて効率化するのだろう。
「えっと、私はもう良い?」
「うん、もう大丈夫」
ユリアが手を話した瞬間だった。
魔術陣が激しく発光し始める。
何だ?
「あ……」
おい! テトラ!!
それは科学者や医者が一番言っちゃいけない言葉だぞ!!
「吸収した熱の処理を失念していた」
その瞬間、魔術陣が燃え盛り、一瞬で炭に変わった。
床に焦げ跡が残る。
「ユリアが手を放したことで魔術陣が暴走……そして蓄えられていた熱が暴発した。……ふむ、まだまだ改良の余地が……」
俺はテトラの頭を叩いた。
「アホ!! 危ないだろ!!」
「テヘペロ」
可愛かったから許した。
とあるアス氏族の館。
そこではまた、密かに密会が行われていた。
「どうしたモノか……我々が手をこまねいているうちに、また中小豪族たちが中央派に切り崩された」
リーダー格の男がため息交じりに呟く。
中央派、というのは中央集権化を進めようとしている政治派閥のことである。
現在ではライモンドの切り崩し工作が功を成し、ロサイス王の国の主流派となっている。
一方、比較的広大な領地を持つアス氏族系の豪族たちを中心とする反中央派の者たちは自分たちのことを『伝統派』と名乗っていた。
「中小豪族たちは資金繰りに切羽詰まっているのだろう」
「全く……何故目先のことにしか目が向かないのだ」
伝統派の豪族たちは、中央派に組した中小豪族たちを口々に非難した。
伝統派の豪族たちが頑なに領地に拘るのは、ただ先祖伝来の土地を手放したくない……というわけでは無い。
自分たちとその子孫の将来のことを考えてのことである。
というのも、現在中央の役職の多くを独占しているのはライモンド・ロサイスを中心とするロサイス氏族だ。
アス氏族は地方では大きな影響力を持っているが、中央での政治的力は弱い。
アルムスはバランス感覚に長けた王であるため、ロサイス氏族だけが偏重して重用されるような事態には成っていないが……
ユリアの子、つまり純ロサイス氏族の人間が王になれば話は変わる。
ロサイス氏族の影響力が今まで以上に強まるのは間違いなく、最悪アス氏族全体が粛清される恐れもある。
そんなことはあり得ない……などとは笑い飛ばせない。
ディベル氏族という一例がすでにあるのだから。
「我らが将来生き残るには、地方にある程度の領地を持つことで影響力を保つか……それともアンクス様に王になって頂くしかない!」
「そうだ! そうだ!!」
「しかしどうすればアンクス様が王に?」
ここで話は途切れてしまう。
だれもアンクスを王にする方法が思いつかないのだ。
結論から言えば、アンクスを王にするには天に祈るより他は無い。
アルムスの立場からすれば、ユリアの息子を王にする以外の道は無いからだ。
ユリアから男児が生まれない、という状況が生まれない限り。
「お話合い中、失礼いたします!!」
「何だ!!」
豪族の一人……館の主人がドアの向こう側にいる奴隷の呼びかけに応じた。
「キリシア商人の方がいらっしゃっています」
「……今行くと伝えろ」
取り立てご苦労様です。
ロサイス氏族を藤原氏に置き換えると、アス氏族の気持ちも分からんでもない




