第百八十二話 妊娠
「アルムス!! 私、妊娠した!!」
ある日のこと、ユリアはそう言って俺に抱き付いた。
とても喜んでいることが伝わってくる。
「そうか、それは良かったな。……となると、出産はいつになるのかな?」
「生理が遅れて一か月で、今は二月の始めでしょ? だから……十月の頭になるかな?」
つまり暖かい内に出産出来るのか。
それは良かった。
妊娠、出産はリスクが高い。特に日本のように医学が発達していなくて、衛生的にも良くないこの世界では。
無事に産まれて育って欲しい。
「次は頑張って男の子産むから!」
「……ああ」
俺はユリアの髪の毛を撫でる。
……別にそこまで気負わなくてもいいんだけどな。でも、それを言うと「私に期待していないの?」と言われる。何と言えば良いのやら。
「ユリアが妊娠?」
ユリアの妊娠をテトラに伝えると、テトラは万年の笑みを浮かべた。
「それは良かった!」
「テトラ……」
心底嬉しそうに笑うテトラに対して、ユリアが少し涙ぐむ。
「つまり暫くはアルムスは私のモノだね」
「ちょ、ちょっと!!」
ユリアが焦った声を出す。
テトラはニヤニヤと笑う。
「最低でも八か月はずっと私のモノ……ふふ」
「ず、狡い!!」
ユリアがテトラの肩を掴み、揺する。
テトラは揺すられながらも、余裕の表情だ。
「あまり動かない方が良い。お腹の子供に悪い。特に、性行為とか性行為とか性行為とか」
「ばか! バカ!! 馬鹿!!!」
喧嘩を始めるユリアとテトラ。
仲が良さそうで結構なことだ。
俺がユリアとテトラの喧嘩を眺めていると、部屋にノックの音が響いた。
「入れ」
するとアリスが一礼してから、部屋に入ってきた。
「ご休憩のところ、申し訳ありません。エクウス王様の御使者が参って居ます」
「分かった」
「久しぶりだな、ムツィオ。最後に出会ったのは一か月前か」
ムツィオからやって来た使者の伝えた内容は、話がしたい、ということだった。
今すぐ取り掛からないといけない問題はすでに済ませているか、人に命じて取り掛かっている最中で、俺自身に火急の用事は無い。
ということで、一週間後すぐに会見したのだった。
「戦争以来だな。上手く行っているか?」
「そこそこな。鉄の生産量は飛躍的に上がったから、貿易は増やせるぞ」
製鉄技術に優れるネメスを支配下に治めたことが大きい。
キリシア人の鍛冶師を、高い給金を餌に支配下に置き、鉄の量産を図っているところだ。
「うん、それは良かった。……さて、今まで俺はお前に雇って貰ってきたわけだが……今回はお前が雇われてくれないか?」
ということはつまり……
「ルプス族とアリエース族を倒すのか?」
「そろそろ頃合いだろ。ロサイス王の国との交易のおかげで国力も充実したしな」
ムツィオはニヤリと笑う。
ルプス族とアリエース族は、エクウス族の支配地域より南の地域を支配下に置く騎馬遊牧民族。
エクウス族にとって宿命の敵だ。
「具体的なプランは有るのか?」
「アリエース族と渡りを付けた。アリエース族の族長の娘と俺が結婚し、両氏族でルプス族を攻撃する」
確か、アリエース族はルプス族に支配され、抑圧されてるんだったよな。
うん、良い案じゃないか?
しかし……
俺の記憶が正しければ、アリエース族の族長の娘はルプス族の族長の息子の婚約者じゃないか?
「何か問題あるのか?」
「いや、別に無いけど……」
哀れ、ルプス族次期族長。
強く生きろよ。まあ、ムツィオに負けたら死ぬんだけど。
「で、どれくらいの時期を計画している?」
「二か月後、つまり四月だな。草が青々と茂るのと同時に攻撃を始める。その方が馬の餌に困らないしな」
アルヴァ人は騎馬遊牧民だからな……
兵糧には困らないんだろう。羨ましい。
俺たちにとって兵糧は目下の悩みだからな。
「どれくらいの兵を出せば良い? お前が望むなら三万くらい出すぞ」
「俺の戦争だぞ。お前の所の軍隊が目立っても困る」
ムツィオは苦笑した。
確かエクウス族の総人口は三万だったかな。
日本で例えると、一億二千万の兵隊が助けにくる感覚になる。
そりゃあ、お断りしたいだろうな。
「騎兵だけで良い。どれくらい出せる?」
「うーん、俺が今すぐ動かせる騎兵は千だが……国防も考えると派遣出来るのは五百だな」
我が国の主力は歩兵である。
無論、騎兵も大きな力にはなっているが、居ないと国防力が著しく低下する……ということは無い。
「五百もあれば十分さ。助かるよ。というか、それ以上出されると困る」
ムツィオは苦笑いを浮かべる。
「で、肝心の報酬なんだけど……」
「馬をくれ、馬を」
「領土は要らないか?」
「要らん」
アルヴァ人の土地は貧しい。
正直なところ、貰っても収入が確保出来るか微妙なところだ。
一から開拓するのは金が掛かる。
金を掛けるなら首都近郊の開拓をした方が余程役に立つ。
「相変わらず馬好きだな。まあ、ルプスから馬はいくらでも奪えるから、俺としても助かるけど」
馬はいくらいても足りないからな。
開拓にも、戦争にも必要だ。
特に今は騎兵を強化している最中だし、輜重部隊を作ろうとすればそれだけ馬も必要になる。
「それと、実は相談がある」
「何だ?」
「ほら、ゲヘナってあるだろ? あの国、ルプス族と接してるんだけど……あの国の王からルプス族を挟撃しないかって誘われてな」
王じゃなくて僭主、執政官だけどな。
まあ、ムツィオからしたら似たようなものだろうけど……
しかしゲヘナがね……
「良いんじゃないか? ゲヘナも悩まされてたんだろう」
「俺はあの爺さん、苦手なんだよ」
どうやらムツィオの個人的な感情が問題のようだった。
まあ、確かにあの爺さんは胡散臭い。
「まあ、お前の考え過ぎだろうけど警戒するに越したことは無いんじゃないかな?」
損する、ということは無いだろうし。
「そうだな……まあ、俺としてもありがたい話だから受けておくよ。……それと、これは出来たらなんだけど……結婚しないか?」
「俺とお前がか?」
「違う!!」
大丈夫、大丈夫。分かってるよ。
俺の子供とお前の子供の結婚だろ?
昨年、ムツィオに息子が生まれたという話は聞いていたし、その時政略結婚の計画は俺の脳裏を過ぎった。
「まあ、俺としては悪い話じゃない。……が、今は無理だ。アンクスはテトラの産んだ男の子だから出すわけにいかない。フィオナに関しては、今のところは何とも言えないな」
ユリアが男の子を産むまで、ユリアの子供……ロサイス氏族宗家の正統な血を引く子供を国から出すわけにはいかないのだ。
「……まあ、無理にとは言わない。都合が良くなったら教えてくれ」
いろいろと察したのか、ムツィオは深く追求しなかった。
ムツィオは空気を変えるためか、別の話題を振ってきた。
冗談交じりに、しかし真剣な顔で。
「ところで一つ聞きたいが……お前はどこまで行くつもりだ?」
「どこまでと言うのは?」
「今、ここで満足してるのか? それともこのまま走り続けるのか。走り続けるとしたらどこまでか」
詩的な表現だな。
嫌いじゃない。
「どうかな? まあ、目標は有るさ。……一先ず、アデルニア半島の端から端までは走り抜きたいね」
「そうなると、最大の敵はロゼルだな」
「そうなるな……」
とはいえ、今のところ俺はロゼル王国を大きな脅威と感じていない。
ロゼル王国最強の将軍であるクリュウ将軍は辺境に左遷されたし、最凶の呪術師であるマーリン……黒崎麻里は国外追放の憂き目にあった。
現在、我が国とロゼル王国を繋いでいる外交官は御し易い男。
むしろ、今のロゼル王国は俺の統一の手助けをしてくれていると言っても良い。
ロゼル王国をスケープゴートにすることで、我が国への不信感や敵意を逸らすことが出来ているのだから。
むしろ、目下の敵はポフェニア共和国。
ロゼル王国と我が国との間には、ドモルガル王の国などがあるが、ポフェニアとの間には碌な緩衝地域がない。
精々トリシケリア島程度だが、ポフェニアはトリシケリア島を制覇しようとしている。
ポフェニアによるトリシケリア島の完全征服は何としてでも阻止しなくてはならない。
しかし、その時は……
「ポフェニアと軍事衝突することになるだろうな」
「海での戦いに成るってことか? 海の上じゃ馬は走れないからな……どうするつもりだ?」
「……考え中」
海軍は金が掛かるからな……
今は海軍に金を掛けたくないんだ。
だから……
「ペルシス帝国と渡りが付けられたら良いんだけどな」
アルムス 数え年二十一歳
ユリア 数え年二十一歳
テトラ 数え年二十歳
長男アンクス(テトラ子)……数え年三歳
長女フィオナ(ユリア子)……数え年三歳
忘れないようにメモ
孫が生まれる頃は……まだ四十に届いてないかも




