第百六十八話 第三次南部征伐Ⅳ
ポフェニア共和国将軍、ケプカ・バルカは軍の名門バルカ家当主の弟である。
元々、ケプカ・バルカの目的はトリシケリア島であった。
トリシケリア島はアデルニア半島と南大陸の狭間にあり、西テーチス海と東テーチス海を隔てる戦略的な要地である。
温暖な気候で、トリシケリア島はテーチス海有数の穀倉地帯でもある。
無論、この豊かな土地を狙っているのはポフェニア人だけでは無い。
この土地にはキリシア人も古くから入植していて、ポフェニア系の植民都市とキリシア系の植民都市が日夜勢力争いを繰り広げていた。
しかし、第三次キリシア・ペルシス戦争の結果キリシア本国がペルシスに征服されたことで、事態は急速に動き出す。
キリシア本国という強大な後ろ盾を失ったキリシア系植民都市は次々とポフェニアに征服され、今では約三分の二がポフェニアの手に落ちた。
しかしキリシア人の抵抗も根強い。
特にアデルニア半島にはキリシア人の勢力は厄介で、その海軍力は侮れないものである。
彼らは紙と蒸留酒、麻薬という新たな商品で急速にその国力を上昇させた。
アデルニア半島南部のキリシア系諸都市にとって、トリシケリア島全土がポフェニアの手に落ちるということは、大陸とアデルニア半島の間に橋が架かるのと同義。
故にアデルニア半島南部の諸都市は、トリシケリア島のキリシア系諸都市を援助し続けていたのだ。
このまま小競り合いを続けても埒が明かない。
故にケプカ・バルカはポフェニアの元老院に大規模なトリシケリア島への遠征を要請した。
元老院も第三次キリシア・ペルシス戦争の結果で浮かれていたのだろう。
この大事業はすんなりと元老院を通過した。
ケプカ・バルカには莫大な資金と軍船や商船の利用権、そして軍事指揮権が与えられた。
与えられたのが兵士ではなく資金というのは……ポフェニアという国は常備軍を持たず、徴兵性も採用していないからである。
ポフェニア共和国の軍制は傭兵制だ。
現地で盗賊や素行の悪い者を雇う場合もあれば、数百規模の私軍を持って各地の戦場を周る『戦争屋』、近隣の国の軍隊を国王ごと雇う場合もある。
傭兵制には長所と短所がある。
長所は費用が掛からず、負けてもポフェニアの国力の減退に直接繋がらないということ。
金が必要なのは兵を維持している時だけ。
故に一時的に大軍を作りだすことも出来る。
そして傭兵は外国人であるため、例え死んでもポフェニアの生産力が衰えることはない。
短所は素行の悪さと、率いる将軍に高い実力を求められることだろう。
例えば、戦略的に重要度が低いが豊かなA地と戦略的に重要度は高いが貧しいB地があったとする。
普通ならば、B地を優先するべきだ。
A地は勝った後に手に入れれば良い。
しかしポフェニアはA地を優先しがちな傾向がある。
というのも、傭兵がA地で略奪をしたがるからだ。
万単位の兵にせがまれれば、雇っている側も嫌とは言えない。
故に急な作戦変更が多々起こり、それにより勝利を逃がすことも一度や二度では無い。
傭兵をコントロールするには、高い指導力が必要になる。
閑話休題。
ケプカ・バルカはトリシケリア島に到着した後に大規模な傭兵の募集を掛けた。
現地のトリシケリア島のポフェニア人やキリシア人(というのも、全ての人間に愛国心があるわけではない)、アデルニア人、そしてトリシケリア島の原住民。
ガリアやゲルマニス出身の名のある傭兵団。
第三次キリシア・ポフェニア戦争で失業した傭兵たち。
クロト島の弓兵、ボルファ諸島の投石兵、ノヴィア地方の騎兵など、テーチス海沿岸各地の名高い傭兵。
彼らを金と勝利後の略奪を条件に大量に雇い入れた。
傭兵にとって、雇い主が支払う金よりも略奪で得られる富の方が重要だ。
雇い主が代金を踏み倒すのはよくあることだし、そもそも大した額は貰えない。
だが略奪で得られる富は……運が絡むが時によっては一生遊んで暮らせるだけの金が手に入る。
特にトリシケリア島のように豊かな場所での戦争では。
傭兵の募集はあっという間に定員を超えた。
最終的に定員二万の枠に、四万を超える傭兵が殺到した。
ケプカはよく傭兵を吟味し、二万の兵だけを雇った。
トリシケリア島の征服には二万もあれば十分だからだ。
ケプカは着々と準備を重ねる。
しかし、ここ一年で情勢が急激に変化した。
アデルニア半島の王制国家と、キリシア系都市レザドとの関係が急速に悪化したのだ。
両国は小競り合いを始めた。
ケプカは急遽予定を変更して、傭兵をさらに募った。
追加で二万の兵力を集めたのだ。
目的をアデルニア半島南部に変えたのだ。
仮にアデルニア半島南部の諸都市を征服、征服出来ないにしても略奪が出来ればトリシケリア島での覇権は確定する。
大胆な軍事行動に出たのだ。
斯くして情勢はケプカの都合の良いように動き出す。
アデルニア半島の王制国家とレザドが交戦を始めた。
ケプカは軍船でアデルニア半島に渡ったのである。
「レザドの戦力はゼロ。ロサイス王の国は四万、そして我が軍は三万。となるとやはりロサイス王の国をどうにかしなければな」
ケプカは葡萄酒を飲みながら呟いた。
ロサイス王の国の産物であるという蒸留酒を少しづつ口に運ぶ。
蛮族にしては良い葡萄酒を作る。
ケプカは上機嫌に地図を広げる。
「海上は封鎖した。密偵の報告によると、レザドの議員の殆どは国外逃亡。レザドは敵ではないな」
三万の兵力は過剰だったか。
ケプカは思い直す。
今、ケプカの手中には四万の兵力が残っている。
このうち一万をトリシケリア島の防衛に残し、三万を率いてアデルニア半島に上陸したのだ。
「これで勝てば……セアル兄さんの助けになる」
現在のバルカ家当主はセアル・バルカである。
ケプカとセアルは非常に仲の良い兄弟だ。お互いに実力を認め合うライバル同士でもある。
「ケプカ将軍、ロサイス王の国のアルムス王からの親書が届きました」
「ほう、早い返事だな」
ケプカはアデルニア半島の蛮族の王……アルムスに対して書簡を送った。
レザドを等分しようという提案だ。
アデルニア人には港が使えない。
だからレザドの港や沿岸部をポフェニアに、内陸部をアルムスに分け合おうという提案である。
ケプカは書簡を開く。
意外に綺麗なキリシア語で、宣戦布告するという趣旨の内容が書かれていた。
「全く……これだから蛮族は……」
レザドの富の源泉は貿易である。
故に豊かなのは沿岸部や港であり、内陸部からの税収はあまり期待できない。
ケプカの提案は、自分は林檎の実を食べるからお前には皮と芯をやると言っているようなモノ。
断られるのは当然である。
まあ、そもそもケプカはアルムスに対して一切譲る気が無かった。
そしてアルムスもケプカに対して譲る気は無かった。
この書簡のやり取りは儀礼的な行為に過ぎない。
「さあ、アルムス王よりも早くレザドを征服しよう。……我らの寛大な提案を断った事を後悔させてやる。蛮族め」
「陛下、ケプカ・バルカ殿から親書が届いて居ます」
「見せろ」
俺はケプカ・バルカというポフェニアの将軍からの親書を読む。
そこには俺たちの宣戦布告を受け入れるという内容が書かれていた。
「まあ、あんな尊大な要求をしてくるんだ。元々俺たちには少しも土地を分けようだなんて考えては居なかったんだろうな」
まあ、それは俺も同じだが。
「バルトロ、勝てるか?」
俺はバルトロに問いかける。
レザドまでの進軍を急ぐのと同時に、バルトロにはポフェニア軍の構成や数を調査させていた。
ポフェニアという敵は俺たちにとって未知の敵。
文化も宗教も戦い方も、俺たちは彼らについて何も知らない。
「数は三万、主体は傭兵の様です。厄介なのは騎兵の数が七千と非常に多いことでしょう。……しかし、この国の将軍は俺ですよ」
バルトロはニヤリと笑う。
つまり、勝てる見込みはあるということか。
「問題はレザドだな。レザドが俺たちとポフェニア、どちらに降伏してくれるかによって戦い方が変わる」
出来ればレザドは味方に付けたいんだけどなあ……
「陛下!! レザドから親書が送られてきました!!」
「それは本当か?」
丁度良いタイミングだ。
俺は逸る気持ちを押さえ、レザドからの書簡を開く。
……ふむ
「全面降伏をする代わりに、ポフェニアからの略奪を防いでくれ……とのことだ」
「それは困りましたね。今から我々がレザドまで行くとして、急いでも三日は掛かります。一方、ポフェニアは今日中に到着してしまえる距離に居る。……問題はレザドが持ち堪えられるかですね」
書簡によると、レザドには兵が全く残っていないらしい。
いくら城壁が有るとはいえ、果たして三万を超える大軍を相手に戦い続けられるだろうか?
「まあ、レザドにはアレクシオス・バルカが居るようだし、暫くは持ち堪えられるだろう。……急ぐぞ」
「ふむ……困ったな」
ゲヘナの僭主、アブラアムは困惑していた。
突然、ポフェニアが攻撃目標を変えてアデルニア半島に進撃して来たのだ。
ポフェニアという国は、文民統制……とは少し違うが元老院の軍事に対する影響力が大きい。
傭兵制を採るからこそ、軍人の制御には心血を注いでいるのだろう。
故に元老院で決められた戦略から大きく外れることは禁止されている。
アブラアムが仕入れた情報では、ポフェニアの戦略目標はトリシケリア島でありアデルニア半島では無かった。
「トリシケリア島の後方基地であるアデルニア半島を攻略するのは、戦術的な判断である……とでも言い訳するつもりか? ケプカ・バルカは。しかしこちらはネメス攻略中だと言うのに……」
アブラアムは頭を悩ます。
ネメスとポフェニアではポフェニアの方が遥かに脅威である。
この場は一時休戦が望ましい。
いや、しなければポフェニアに全て奪いつくされてしまう。
「全く……ふざけおって。アルムス王には謝罪の親書を送り、休戦協定を結んでから本国に帰るか」
ポフェニアの海軍は脅威だ。
早くゲヘナ海軍を動かさなければ、海上封鎖されてしまう。
「全く、本当にふざけたタイミングだな」
アブラアムはイライラとした様子で、頭を掻き毟った。
斯くして急遽、ネメスとゲヘナは休戦協定を結んだ。
両国はポフェニアの脅威に対応するため、海軍を組織。
アルムス王に対して会談を求めた。




