第百六十五話 第三次南部遠征Ⅰ
ロサイス、レザド両国は開戦を三月と見積もった。
両国は二か月後の開戦に向けて準備を開始した。
レザドは傭兵の募集、ロサイスは兵士の訓練。
そして外交的根回しだ。
ロサイスとレザド間に存在する都市国家の奪い合いが始まったのだ。
経済的利益で釣ろうとするレザドと、軍事的圧力を加えるロサイス。
両国の激しい外交戦の結果、多くの都市国家がロサイス側に走った。
決してロサイス王の国が正義であったからではない。
その軍事力に屈したのだ。
レザドの提示する経済的利益よりもロサイス王の国の軍事的脅威の方が優ったのである。
その理由はレザドの経済的没落である。
レザドはここ数年、その経済力と国力を伸ばし続けた。
それはロサイス王の国が生産する紙や蒸留酒の流通にいち早く関与で来たからである。
紙や蒸留酒を海上貿易で売り捌き、利益を得て来た。
そのロサイス王の国と敵対したのだから、レザドが経済的に没落するのは当然と言える。
金の切れ目が縁の切れ目。
危険を冒してまでレザドと付き合い続ける必要は無い。
またロサイス王の国の侵略した都市国家への統治方法も、ロサイス王の国に追い風となった。
早期に降伏すれば、待遇は自治市で済む。
自治市の待遇は、外交権、軍事権を除く全面的自治だ。
つまり経済的痛手は全く無い。
問題は外交権や軍事権を握られ、自国の安全保障が怪しくなることだが……
それは今更だろう。
もとから小国の安全保障は怪しい。
小国同士で争い会うよりも、ロサイス王の国のような軍事大国の庇護下に入った方が結果的に軍事費が浮く……
と考えることも出来る。
しかし何よりも大きいのは、議員亡命事件に対するレザドの対応だ。
この事件によりレザドは内部で起こったクーデターと、そのクーデター政権の無能さを世界に晒したのだ。
都市国家はレザドの指導力の無さを見て、アルムス王という若い王が居るロサイスに鞍替えしてしまった。
しかしレザドも一方的に負けているわけでは無い。
レザドを除く主要都市ゲヘナとネメス……そのうちネメスを引き込むことに成功したのだ。
ロサイス王の国を脅威と見做し、レザドに同調したのだ。
最も、レザドの成功はそれだけだ。
ゲヘナはロサイス王の国に対して積極的な中立を宣言した。
ゲヘナの僭主アブラアムはアルムス王の側室テトラ・アスの母方の祖父に当たる。
アルムス王も、自分の義祖父を蔑ろには出来ない。
敵対するよりもロサイス王の国に対して友好関係を維持した方が遥かに利益があると判断したのだ。
もっとも、ゲヘナの僭主アブラアムは狡猾な男。
北の|ルプス族、アリエース族《アルヴァ人》への備えを理由に、ロサイス王の国からの援軍要請は断った。
元気な羊を狩るよりも、手負いの羊に止めを指す方が安全で旨みも大きいと判断したのだろう。
レザドからすれば不幸中の幸いと言える。
北部のアデルニア人国家は大半がロサイス王の国支持に周った。
エビル王の国、ベルベディル王の国、エクウス王の国は援軍を出すことまで表明した。
難色を示したのはファルダーム王の国とギルベッド王の国だ。
両国はロサイス王の国の国力が増大し、その発言力が巨大化するのを恐れたのだ。
が、結局中立を表明した。
対ガリア同盟はロサイス王の国が居なければ成立しない。
そもそも領土を接していないため、非難声明を出してもその影響力は小さい。
その上、両国は南部のキリシア人国家とは関わり合いが殆どない。
南部のキリシア人国家がロサイス王の国の支配下に入ったところで、直接的影響は少ない。
故の判断だ。
唯一ロサイス王の国に非難声明を飛ばしたのはゾルディアス王の国だ。
もっとも、それだけだ。
軍事行動に移ることは無かった。
ロゼル王国は沈黙を貫いた。
北部の内乱鎮圧に忙しく、アデルニア半島の情勢に関わる暇が無いからである。
このように両国は準備を重ね、三月を迎えた。
俺は城のバルコニーから、眼下に騒然と並ぶ兵を眺める。
俺の右隣りにはバルトロ、ライモンド、イアルと家臣たちが並ぶ。
左隣には、ドモルガル王の国の将軍トニーノやエクウス族のムツィオなど各国の王や将軍が並ぶ。
集まった兵力は重装歩兵だけで、
ロサイス王の国単独で三万。
エビル王の国が二千。
ベルベディル王の国が千。
ドモルガル王の国が二千。
植民都市、自治市、そしてレザドとの国境間に広がる都市国家からの兵五千。
合わせて四万。
さらにロサイス王の国の騎兵千二百。(二百は徴兵。千は近衛兵)
エクウス族の騎兵千。
これに各国の騎兵を合わせて、三千。
合計、四万三千。
よくもまあ、これだけの兵力が揃ったモノだな。
「バルトロ、敵兵力はどれくらいだと思う?」
「レザドは傭兵頼りの国です。大した兵力は集められませんよ。それに傭兵は負け戦には参加しない。……ネメスと合わせても、精々二万前後でしょう」
つまり兵力差は二倍。
真正面からぶつかれば勝てる。
問題は敵将アレクシオスだが……
それについては問題ない。
アレクシオス宛てに、プレゼントや手紙を大量に送りつけてやった。
レザドはアレクシオスを疑い、彼を戦場に出すことはしないだろう。
戦争は戦う前から勝敗が殆ど決まる。
俺の勝ちは揺るがない。
「さあ、行こうか。レザドを落とす!」
「何度も言っているだろう! 敵は大軍だ。森を避けてでも、広い道路を通るはずだ!!」
そう主張するのはネメスの将軍である。
彼はネメスから一万の兵力を率いてやって来た。
ネメスの主力はキリシア人の植民都市らしい、重装歩兵である。
しかしただの重装歩兵では無い。
盾を小型化し、鎧を簡素にする代わりに槍を大型化した。
アルムスの世界で言うなれば、マケドニア式ファランクスに近い形態を持つ。
もっとも、マケドニア式ファランクスほど軽装ではないし槍も長くない。
マケドニア式ファランクスとギリシア式ファランクスの中間、といったところか。
「そうは限らない。確かに森に面した道路を狭いが、同時に川にも面している。薪や水に困らない場所だ。ここ周辺には都市国家が無い。補給や進軍速度から考えて、この道を通るのが妥当だ」
そう言って地図を指さしたのはレザドが雇ったガリア人の傭兵隊長だ。
アレクシオスの代わりに、急遽雇われたのである。
二人が揉めているのは、ロサイス王の国がどの道を通るか、という点である。
ロサイス王の国とレザドの間には多くの都市国家が存在するが……全体的に殆どの都市国家がロサイス王の味方をしている。
レザドを支援している都市国家は南の端の小国群だけだ。
レザドからすれば、この小国群は唯一の砦である。
故に防衛線をこの小国群よりも前に設定しなければならない。
本来ならば兵力に劣るレザドは籠城戦を望むべきだ。
しかしレザド本国で籠城戦をすれば、レザド以北の都市国家の支配権を全てロサイス王の国に奪われることになる。
かといって、レザドの同盟国である小国群が籠城戦を受け入れるはずがないし、そもそも城壁が低すぎて戦いにならない。
故に野戦で決着をつけなくてはならない。
そこで問題になるのが、戦場はどこか、である。
主導権は攻める側であるロサイス王の国にある。
故に守る側は敵がどのようなルートを採るか見定めなくてはならない。
この辺りは大きな河が一本走っていて、その対岸には森が広がっている。
この森を迂回する広い道西路と、河にそって森を突っ切る比較的狭い道東路。
このどちらかが、ロサイス王の国が選べる進軍ルートだ。
このどちらの進軍ルートを採るかが分からない。
防衛線を下げるか上げるかすれば解決するが……
それは政治的に不可能。
どうしてもどちらかを選ぶ必要がある。
「ここ以外、あり得ない!」
「いや、こちらが正しい」
「黙れ、蛮族が!!」
「何を!! 俺がガリアで何年戦ってきたと思っている? 貴族の甘ちゃんが!!」
傭兵隊長と将軍の罵り合いはヒートアップを続ける。
このままでは行動に移せない。
これに焦り始めたのがレザドから派遣された議員である。
いつまでも事が決まらず、後手、後手に周り続けた結果が今だ。
これ以上同じ失敗を続けるわけにはいかない。
「で、ではこういうのはどうでしょう? 傭兵隊長どのはガリア人部隊を率いて東路を守る。将軍はネメスの重装歩兵を率いて、西路を守る。そして東路と西路の合流地点に拠点を設けて、相互に連絡し合えば良い。これならすぐに駆けつけられます!」
レザドの議員の提案を聞き、傭兵隊長と将軍は顔を見合わせた。
「仕方が無い。それで行こう」
「結局、どちらを通るかはアルムス王しか分からんことだしな」
こうして軍議は終了した。
この作戦が吉と出るか凶と出るか……
それは誰も分からない。
もっとも、予想出来る者は居た。
「いやはや……酷いね、これは」
アレクシオスはレザド側の布陣か描かれた地図を見て、呆れ声を出した。
アレクシオスには内通の疑惑はあった。もっともその証拠は無い。
よって自宅に軟禁されていた。
本来ならばアレクシオスに布陣が描かれた地図が渡ることは無い。
が、レザドの議員は一枚岩では無い。
レザド軍の布陣を聞き、不安を覚えた議員の一人がアレクシオスに意見を求めに来たのだ。
「やはりこれは……下策ですか?」
「当たり前だ。こっちはタダでさえ兵力が少ないというのに、それを分断させるとはね。迷差配とでも言うべきか……本当に作戦の指揮を執っているのは軍人なのかい? 少し用兵を齧った素人でも、兵力の分散は不味いということくらい知っているだろう」
やれやれ……
とでも言うようにアレクシオスは肩を竦めた。
「アレクシオスはどちらだと思います?」
「僕? ……そうだね……広い西路かな。大軍の進軍には広いに越したことはないし、急ぐ理由も無いしね。ただ裏を掻いて東路を言うのも十分あり得る」
「ではどうすれば良いのですか」
尋ねる議員に対して、アレクシオスは不適に笑った。
紅茶を飲み、カップを机に置いてから答える・
「そもそも戦略が間違いだ。戦争は戦略的には攻める方が有利なんだよ。何しろ、戦場を自由に選べるんだからね。僕らは外交交渉ですでに敗北した。この負けを巻き返すには、守るだけでは足りない。攻めるべきだ」
「しかしこれ以上戦線を押し上げれば……敵地ですよ?」
「敵地ね……本当にそうかい? 都市国家たちはアルムス王に忠誠を誓ったわけじゃない。その軍事的圧力に屈しただけだよ。僕らが強きに出れば協力してくれる都市国家も現れるはずだ」
都市国家の多くは不安を抱いている。
アルムス王の統治が優しいのは、レザドという脅威がいる間だけではないか?
優位が決まれば、掌をひっくり返すのではないか?
王の気が変わればどうなるか分からない。
アルムス王が善良な王だとして、その次の王は?
生まれてもいない王太子を信じられるのか?
レザドは信用を失墜させたが、だからと言ってロサイス王の国の信頼が高まったわけでは無い。
彼らが真に望んでいるのは、ロサイス王の国とレザドという二つの大国に挟まれたまま、軍事的政治的均衡が保たれることだ。
故にレザドが少しでも強きに出れば、表立って支援することは無くとも、裏では地形を教えて貰えたり食糧を援助して貰えたりという支援が期待できる。
「まあ、そもそもロサイス王の国と敵対した時点で政治的ミスだと思うけどね。政治的ミスを戦争で取り返すのは容易じゃない。……さて、レザドはこの嵐を乗り越えられるのかな?」
アレクシオスはまるで他人事とでも言うように、肩を竦めた。




