第百六十一話 放火事件
ある新月の夜のこと……
レザドを二人の傭兵が歩いていた。
軍事クーデターの後であるため、見張りの数が平時の三倍以上。
空気はピリピリと張りつめている。
「あーあ、面倒だな。酒でも飲みてえや」
大柄な男はやる気が無さそうにため息をついた。
小柄な男はそれに相槌を打つ。
「ロサイス産の蒸留酒飲みてえよな」
「あれ、少しの酒でも酔っぱらえるからなあ……でも、交易が止まっちまうんだろ?」
ロサイス産の蒸留酒の値段は高騰を続けていた。
正式に交易がストップしていたわけでは無いが、今までロサイス王の国と交易していた大商人たちが逮捕され、交易が滞り始めている。
さらに、レザドとロサイス王の国は国交断絶するのでは無いか? という噂が広まり続け、それを聞きつけた他国の商人が蒸留酒を買い占めているのだ。
「あーあ、付く方間違えたかな?」
「まさかこんなことになるとはな」
二人はため息をつく。
彼らは反ロサイス派の議員に雇われた傭兵である。
金で雇われた以上、仕事はしっかりとやる。
意に沿わない仕事であってもだ。
仕事と蒸留酒では大切なのは仕事である。
この二人はどんな時でも雇い主の悪口を言っているので、心の底から後悔しているわけでは無い。
「実はさ、俺、この仕事が終わったら結婚するんだ」
「……」
「おい、聞いてるのか?」
大柄な男は後ろを振り返り、一歩後ろを歩いていた小柄な男を見る。
男は倒れていた。
「……え?」
「安心してください。気絶させただけですよ」
何かが男の喉に引っかかる。
男の首が見えない何かで締め上げられた。
「!?!?!?!?」
数秒後、男は意識を手放した。
「アリスさんが仕留めてくれたみたいね」
一人の女が屋根の上から、誰も見張りの居ない酒蔵を確認する。
アリスに首を絞められた二人の男が本来、やってくる予定だった場所だ。
ここの酒蔵は二時間交代で十二人の傭兵によって守られている。
故に普通なら酒蔵を守る傭兵が居ない、という状況はあり得ない。
……しかし、本来ここに居る傭兵たちはいない。
道端で倒れているからだ。
前に居た傭兵はとっくに立ち去った後だ。
傭兵は金が支払われている限り職務を果たすが……職務以外は果たさない。
サービス残業などという概念は彼らの中には存在しない。
所詮、傭兵だ。
「さて……」
女は酒蔵のドアを開く。
中には大量の酒樽が詰まれていた。
ロサイス王の国から輸入した蒸留酒である。
値段が高騰仕切るまで、ここで眠らされていたのだ。
女は油をばら撒き、火を放った。
火は次々と酒に引火し、大炎となる。
「さて、忘れちゃいけないのは……」
女は火に大量のケシの草をくべて、呪術を掛ける。
一瞬で炎が消滅した。
しかし鎮火したわけでは無い。
見えなくなっただけだ。
「隠蔽可能時間は三十分。さて……他のみんなは進んでいるかな?」
女はそう言いながら急いでその場を離れた。
「作戦、完了しました」
「同じく、酒蔵への放火が終わりました」
「留守にしている一級市民の家への放火、終わりました」
「目標の油蔵への放火、終わりました」
「私も放火を終えました。お疲れ様です」
放火部隊の指揮を執っていたソヨンは、部下の呪術師たちを労った。
この作戦の概要はこうだ。
最初にアリスが街に侵入し、倉庫の位置や兵士の巡回ルート及び時間帯を調べ上げる。
その後、ロサイス王の国の呪術師たちを真夜中に侵入させる。
そしてアリスが見張り交代のタイミングを見計らい、兵士を気絶、または殺害する。
例え交代の傭兵が来なくとも、見張りの傭兵たちは契約を遵守するので、一部警備に穴が開く。
その隙に放火を行う。
放った火にはケシをくべて、呪術を掛け、炎を見えなくする。
無論近づいたら分かってしまうが……
この時間帯にうろついているのは見張りの傭兵だけだ。
そしてその場所を見張る予定だった道に伸びている。
彼らが意識を取り戻して、職場に到着するころには丁度呪術が解けて、大炎上した建物が見えることだろう。
「私たちの役目はこれで終わりです。……さあ、離脱しましょう。アリスさん、お願いできますか?」
「分かりました。ではソヨンさんから」
アリスはそう言って、ソヨンを背負う。
そして一気に屋根を駆け、糸を匠に使って城壁を飛び越えた。
丁度アリスが五人目の呪術師を城壁の外に逃がすのと同時に……
レザドの街が騒がしくなり始めた。
「さて……私の仕事の始まりですね」
アリスは舌なめずりした。
「火事だ!! 火事だ!!」
「見張りは何をしていた?」
「そもそも何で誰も気が付かなかったんだ!!」
「犯人は? 犯人を捕まえろ!!」
「バカ者が!! 火を消すことが先決だ。手が付けられなくなる前に消せ!!」
「逃げろ!! 火に巻き込まれるぞ!! 痛てえ!! 何しやがる!」
「てめえこそ! 暗闇の中、走るんじゃねえ!!」
「そこの二人、ドケ! 通れないじゃないか!! このままだと俺の家具が燃えちまう!!」
「おい!! 貴様! その荷物を置け!! 避難の邪魔だ!!」
レザドの街はパニックに陥っていた。
それほどまでに、火事は恐ろしい災害である。
実際には燃え上がっているのは火元の建物と、その周辺だけである。
十分に対処可能な火事だ。
しかし同時期に五か所で、しかも真夜中に起こったため混乱を起こしてるのだ。
「何をしている!!!」
混乱する現場を一人の男が一喝した。
今、レザドの議会を支配している反ロサイス派の中心人物である・
「落ち着け!! 女子供は避難せよ。男共は早く井戸から水を持って来い! 傭兵たちを掻き集めろ。火の手が広がる前に建物を破壊するぞ!!」
男は次々と指示を飛ばし、現場の混乱を治めていく。
「議長殿。大変な騒ぎですね」
現場に駆け付けたアレクシオスは男に話しかけた。
男はアレクシオスを振り返る。
「アレクシオス殿か。あなたにも手伝って欲しい」
「そうおっしゃられるだろうと思い、奴隷たちを連れてきました。……ところで、傭兵たちを掻き集めて良いんですか? 聞けば牢獄からも兵を集めているとか。この件、ただの放火事件とは思えません。何者かが脱獄を手引きしているのでは?」
しかし議長はそれを笑い飛ばした。
「心配のし過ぎです。牢獄には最小限の兵を残してありますよ。……例え脱獄を手引きしようとしている者が居るとして、どうやってこのレザドから逃げるというのですか? 門はしっかりと固めてあります」
城壁がある以上、脱出は不可能である。
今は火を消し止めることが先決である。
放置すれば火はレザドを飲み込んでしまう。
「しかし偶然とは思えません。これが何等かの陰謀だとしたら……」
「はあ……あなたも心配性ですな。分かりました。騎兵を五騎預けます、確かめて来てください」
一方、牢獄の看守や見張りの兵士を早々皆殺しにしたアリスは罪人たちを次々と解放していった。
「良いですか。ここから北に真っ直ぐ行き、三番目の角を右に曲がってください。その後、二番目の角を左に曲がり、七番目の角を右に曲がってください。その後、真っ直ぐ進めば城門が見えるはずです。今は火事で手薄になっています。この人数で押し寄せれば、確実に逃げられます」
罪人たちはアリスに感謝し、大喜びで外へ飛び出ていく。
向かう先は当然、アリスが教えてくれた北の城門である。
ほぼ全ての罪人を解放し終えた後、アリスはようやく親ロサイス派の牢獄を破壊した。
「私はアルムス陛下の家臣です。皆さん、落ち着いて下さい。まだ逃げないで」
次々と牢を開き、アリスは議員たちやその家族を解放する。
親ロサイス派の議員、計七人。家族を含めて総勢三十人。
全ての解放が終わった。
「ありがとうございます……アリスさん、でしたっけ?」
鎖を解いて貰ったエインズはアリスに対して礼を述べた。
エインズはアリスについて少しだけ聞いていたが、直接の面識は無かった。
ゲルマニス人の野蛮人、と心の底では見下していたが今は命の恩人である。
心の底からの礼であった。
「まだ安心しないでください。……今から西の城門に向かいます。罪人が北の城門に押し寄せたことで、北に警戒が集まってるはずです」
レザドには四つの城門がある。
東西南北、の四つだ。
牢獄は北西に位置し、最も近い城門は北にある。
そして二番目に近い城門は西だ。
アリスは罪人たちを陽動に使ったのだ。
「しかし……それでも警備は厳重です。大丈夫なんですか?」
エインズの質問にアリスは笑って答える。
「大丈夫ですよ。精々見張りの兵は三十数名……今は夜です。私の独壇場ですよ」
「北の城門が騒がしいな。何が起こってるんだ?」
「罪人たちがこの放火騒ぎで脱獄して、押し寄せてるらしいぜ。隊長たち二十名は応援に駆け付けたみたいだよ」
「マジで? じゃあここには……十五人しか居ないじゃないか。大丈夫か?」
「大丈夫だろ。罪人の殆どは北に向かってるみたいだし、ここに来たとしても少しだけ、っぐあ!」
男は口から血を吹きだし、地面に倒れた。
「え? な、何が起こって……」
「それをあなたが知る必要は有りませんよ」
アリスは後ろから糸で男の首を締め上げた。
鋼のように固い糸は男の首を締め上げ、切断してしまう。
「さて、これで十五人。全員ですね」
アリスはがら空きになった城門の閂に手を掛ける。
大人数人掛かりでないと外せないほどの重さの閂を、アリスは軽々と持ち上げた。
「皆さん、私一人では城門を開けるのは少し難しそうなので、手伝ってください」
「……少し、なのか……」
エインズたちは苦笑いを浮かべながら、アリスと共に城門を押した。
主にアリスの力によって、城門がゆっくりと開いた。
「さあ、逃げましょう。少し離れた所に、騎兵が待機しています。そこまで逃げられれば、一先ず安心です」
斯くして、作戦の第一段階は成功した。
呪術を使用したテロを防ぐには、まず関所や検問で呪術師の侵入を食い止めないとダメですね。
入られたら負けです。
まあ、現代のテロも同じですが。
尚、少し裏設定を書きますと……
呪いと解呪や結界の技術の発展はイタチごっこです。しかし最終的には結界の方が勝ちます。
この世界が中世に入る頃には、大概の呪術は結界で防げるように成ってます。
何でかと言うと……アルムスを始めとする歴代のロマリアの政治家が「テロやべえ」と思って積極的に研究させ続けるからです。
あと二、三百年後には、都市で呪術を使ったら「ビビビ!!」と鳴るようになりますね。
あと、どうでも良いですがアルコールは揮発しやすくて空気中に飛散しやすいから呪術の媒体としては都合が良かったりします。
あと、書いてる途中に動物に爆弾括りつけて、上から空襲するのもアリかな?
とも思いました。




