第百五十六話 パスパ
パスパ文字では無い
―何で殺さなかったのさ。みんなで一斉に飛びかかれば、確実に殺せたよね?―
そんな声が聞こえてきた。
周囲を見回すと、ピンク色の空間に居た。
……夢か。
そう言えば今日の昼、マーリンが来たんだったな。
そのことを言ってるのか。
逆に聞きたいが、何で俺がマーリンを殺さなければならないんだ。
―彼女はいつか、障害になるよ―
今は敵じゃない。
本当に障害になるかどうか、分からない。
あの女とは敵対したくないんだよ。
あの女の呪術の能力は大きな脅威だ。
敵対すれば、多くの犠牲が出る。
友好的な関係が築けるのであれば、それに越したことは無い。
だいたい、あの女が大人しく死んでくれるわけないだろ。
何人か、返り討ちに有って殺される。
あの中に死んで良い人間は一人も居なかった。
―そうかな? 替えがききそうな人間は何人か居たけどね―
黙れ。
お前が誰のことを言ってるのか知らないが……俺の家臣を侮辱するなら許さない。
―そんなに怒らないでよ―
ついでに言うと、俺からするとマーリン以上にお前らの方が信用出来ない。
―酷いなあ。私はこんなにあなたに協力しているのに。具体的には、どこが信用出来ないの?―
全てだ。
マーリンは胡散臭い女だ。
だが確かに感情が有り、人間だ。
侮辱されれば怒り、不利な条件を提示すれば憤り、姉妹の安否を心配する人間だ。
化け物じみてるが、人間であることは確かだ。
理解できるんだよ。あの女は。
だがお前らは全く分からない。
俺にはお前の感情が感じられない。
人間味が感じられない。
だから信用できない。
―酷い! こんなにあなたのことを思ってるのに。ふえーん……うう……酷いよお―
悲しんでるつもりか?
俺がそんな下手な芝居に騙されると?
―はあ……全く、分けが分からないね。完璧に真似たつもりなんだけど。何が間違えてるのかな?―
全てだ。
―これは手厳しい。まあ、良いよ。あなたが信じてくれるか分からないけど、私はあなたの味方だよ。何が有ってもね。そしてマーリンの敵だ。覚えておいてほしい―
心の片隅に置いておく。
だからとっととどっかへ行ってくれ。
―はいはい、嫌われ者は退散するよ―
世界が崩れ去った。
「アルムス、おはよう」
「おはよう。それと、どいてくれないかな?」
俺は腰の上に馬乗りになっているテトラに頼む。
尚、アデルニア半島には寝巻というものが存在しない。
故に、普通は全裸で寝る。
もっとも、最近は俺が流行らせたブラジャーとパンツを履くのが一般的である。
どうでも良いが、俺は全裸だ。
この状況、少し危ない。
俺の大事な所が、テトラの大事なところを覆い隠す布に触れているのだ。
「大丈夫。ユリアは寝てる」
俺はふと右隣りを見る。
ユリアはスヤスヤと寝息を立てて、眠っていた。
熟睡中だ。
……まあ、こういうのも有りか。
アデルニア半島にはパスパという料理がある。
アデルニア語で、小麦の練り物を指す。
日本で言えば、ラーメンやうどん、素麺に当たる。
違う点は細長い形に限らないところだ。
四角でも丸でも、小麦粉を使った練り物ならばみんなパスパである。
チーズか牛乳などと煮込んで、一緒に食べるのが一般的だ。
さて、何でこんな話をし始めたのかと言うと……
「乾燥パスパを作ろう」
「はあ……」
ユリアが変な目で俺を見た。
また、何か変なことを言い始めたと思ってるんだろう。
「パスパを乾燥させるの? それって食べれる?」
「モチモチ感は失われるかもしれないが、歯ごたえがあって美味しいぞ」
個人的には、乾燥麺と生麺では、乾燥麺の方が好きだ。
が、しかし。
俺はただ乾燥パスパが喰いたいからと言って、忙しい時間を削ってまで料理をしようと言うわけでは無い。
「乾燥パスパの利点は保存性に優れている。何年経っても食べることが出来る。だから飢饉の時に備えて蓄えることが可能だ。そして戦争に持って行ける」
戦争では、小麦粉を持っていくのが普通だ。
それを野営地でパンに変えるのだ。
パンに変えて持っていかないのは、パンに変えると膨らんで嵩張るのと、腐りやすくなるからである。
しかし小麦粉は重い。
そして戦場で料理するのは手間だ。
そこで乾麺である。
乾麺なら茹でるだけで、すぐに食べられるし、水分が抜けているから軽い。
問題は水分だが、アデルニア半島は砂漠では無い。
第二次世界大戦時にイタリア軍が砂漠でパスタを茹でたという(事実ではないにしても、そういう笑い)話があるが、ここでは問題にならない。
井戸や川はそこら中にある。
ただ……
パスパばっかり食べるのは飽きるだろうし、ビスケットや乾パンも作るつもりだ。
ただし、メインは乾燥パスパだ。
食べたいし。
「それで、どうやって作るの?」
テトラが首を傾げる。
テトラの知っているパスパは、手打ちした生麺。乾燥した姿は思い浮かばないのだろう。
「それが問題なんだ」
意訳 知らねえよ。
テトラが目を細める。
こいつ、馬鹿じゃねえか? という表情だ。
知らない物は仕方が無いじゃないか。
「安心しろ。秘策がある」
国に布告を出すのだ。
乾燥パスパを完成させた者には、賞金を与える!! っと。
誰かが完成させてくれるはずだ。
「だから俺は完成した乾燥パスパに掛けるソースを作る!」
「戦場にソース持って言ったら意味無いじゃん」
「それは……まあ……家庭で食べるのと戦場で食べるのは別じゃん?」
戦場では、チーズやオリーブオイルを主体とするソースで食べることに成るだろう。
チーズやオリーブオイルは、今でも戦場に持って行く必須食糧である。
家庭で食べるのであれば……
「やっぱりトマトソースでしょ」
折角、トマトが見つかったのだ。
これを生かさない手は無い。
「それは作れるの?」
「安心してくれ」
トマトソースは作った経験がある!!
というわけで、厨房に来た。
輔佐はテトラとアリス。
試食はユリアが担当である。
テトラは昔から俺の調理を助けてきたので、腕は確かだ。
アリスは包丁捌きが上手い。今まで人を捌いてきたからだろう。
ユリアの料理の腕は未知数だが、嫌な予感がするので試食に周ってもらう。
塩と砂糖を間違えるくらいなら良いが、こいつは大麻草とバジルを間違えそうだ。
洒落に成らない。
「前の失態を取り返して見せます!!」
アリスは気合十分だ。
空回りしないように、頑張って欲しい。
「アリス、お前は玉ねぎを刻んでくれ」
「分かりました!」
アリスは腕を捲り、包丁を玉ねぎに突き刺す。
「死ね!!!」
機械のような速さと精密さで、玉ねぎをみじん切りにしていく。
アルドのことでも思い返しているのだろうか?
「トマトはどうする?」
テトラが口を膨らませながら、聞いた。
つまみ食いするな。
「皮を向いて、水で茹でてくれ……いや、茹でてから皮をむいた方が良いか」
ヤバイ、早速分からないぞ。
普段はトマト缶を使ってたからな……
落ち着け!
ジャムだ。ジャムと変わらないはずだ!
「皮とヘタを取ってから、四つに切ってくれ。水を鍋の半分くらいいれてから、トマトを投入して。塩は味を確認しながら入れる」
ジャムと違うのは、塩と砂糖の差だ。
それだけだ。
多分。
「陛下! 殺し……刻み終わりました!!」
どうやらアリスは玉ねぎを殺し……じゃなかった。刻み終えたようだ。
俺の瞳から涙が出る。
可哀想な玉ねぎ……じゃないな。多分、玉ねぎの成分の所為だ。
「ニンニクを切ってくれ。それで終わりだから」
さて、後はトマトの水煮だけだな。
約二十分後、無事にトマトの水煮が完成する。
俺はフライパンにオリーブオイルを垂らした。
「テトラ、火加減は魔術で調節してくれ」
「分かった」
テトラは竈に手を翳した。
魔術で火を作るより、火を操った方が効率が良い。
ニンニクを炒め、トマトを投入する。
暫く炒めてから、塩と香辛料、ハーブで味付けする。
「出来た! さあ、ユリア。食べてくれ」
「うん、良いけど……なんか、血液みたいだね。昨日、呪術の媒体で使った豚の内臓みたい」
おい、表現に気を付けろ。
食欲無くすだろ。
ユリアは木製の匙でトマトソースを掬う。
「どうだ?」
「うん、美味しいね。でも物足りなくない? 具は無いの?」
「具は別で入れるんだよ」
トマトソースの良いところは応用力である。
どう使っても美味しい。
だから敢えて具は入れない。
「じゃあ、これと生パスパでトマトスパゲティーを作ろうか」
ここからが本番だ。
「これは……普通に美味しいね」
「美味しい」
「初めて食べました!! 流石陛下です!!」
上から順にユリア、テトラ、アリスだ。
アリスの感想が過剰なのは、アリスの食生活が貧相だったからだろう。
相対的に俺の飯が旨く感じているのだ。
可哀想に……
「お前らに頼みたいことがある。これを使ってくれ」
俺は三人にフォークを渡した。
「何これ?」
「食器だ。巻きつけて食べる」
俺は三人の目の前で実践してみる。
クルクルとパスパを巻きつけて、口に運んだ。
三人が感嘆の声を漏らす。
「アルムス、器用だね」
「面倒くさそう」
「凄いです! 凄いです陛下!!」
上から順に、ユリア、テトラ、アリスだ。
アリスの感想は五割り増しくらいだと思ってくれ。
こいつは俺が何をやっても、「凄い!!」を連発する子なんだ。
「さあ、使え!」
俺は三人にフォークを押し付けた。
ユリアは苦心しながらも、フォークを何とか使おうとする。
テトラは十秒で諦めて、手掴みで口に運ぶ。
アリスは半分蜘蛛だからか、俺よりフォーク使いが上手い。いや、関係ないか。
「うん、面倒くさいね」
ユリアはフォークを放棄して手掴みで食べ始める。
テトラは指を舐めながら、言う。
「トマトソースは流行ると思う。でもフォークは絶対、流行らない」
……
どうやら食器文化をアデルニア半島に芽吹かせるには、相当の努力が必要のようだ。
アデルニア半島食器事情
器……木製が基本。金持ちはガラス製を使う場合有り。
スプーン……無いと熱い物が食べれないので、存在する。
ナイフ……肉を切るためにある。
フォーク……無い。手で食べるべし。
箸……何だ? この使い難いわけの分からない棒は?
手掴みは手掴みでも、右手の人差し指、親指、中指の三本指で摘まんで食べるのがマナーです




