第百三十一話 獣人
外交官との会談が終わった後、俺は再び牢獄を訪れた。
丁度夕飯の時間だったので、アリスにパンとスープを渡す。
俺も同じメニューだ。
「……あなたも食べるんですか?」
「ああ」
俺は檻を挟んで、アリスの前に座り、パンを口に運んだ。
「国王様ですよね?」
「まあ、そうだが……ここは戦場だからな。食べる食事は一般兵士と同じだよ」
王だからと言って、一人豪華な食事を食べるわけにはいかない。
まあ、毒味はするし、葡萄が一房追加される程度はあったりする。
でも基本は平兵士と同じだ。
淡々と食事が始まる。
沈黙が牢獄を支配する。
さて……何か話題を振るか。
「君の力は加護か?」
「違いますよ」
アリスはあっさり否定した。
アリスの身体能力や、糸を作りだす能力は加護ではないらしい。
じゃあ、何なんだ。
「私の父親は蜘蛛です」
アリスが淡々と語りだした。
そしてまさかのカミングアウト。
父親が蜘蛛とはどういうことか?
謎が謎を呼ぶ。
もしかして、この世界遺伝子の概念が無かったりするのだろうか?
俺が『サクラ』に向かって射精すれば、俺に似た顔の馬が産まれたり……
いや、あり得ないだろ。
流石に。
しかしアリスはふざけているわけではなく、至って真面目な表情を浮かべている。
蜘蛛と人間のハーフ……
流石に無理じゃないか?
チンパンジーやゴリラみたいに、人と近い生き物との雑種ですと言うならばまだ分からないでもない。
ライオンと虎、シマウマとロバ。
異なる種同士の子供が出来た例はある。
しかし蜘蛛と人である。
逆立ちしても不可能に違いない。
というか、蜘蛛ってペニスあるのか?
人と交配出来るサイズの蜘蛛ってどんなサイズ?
というか、アリスの母親特殊性癖過ぎるでしょ。
「混乱しておられますね」
「……これで混乱しなかったらおかしいぞ」
困惑している俺を見て、アリスはクスクスと笑った。
「元人間の蜘蛛だったんです」
「すまん。余計に混乱した」
俺みたいに転生したと?
何かそんな話有ったような気がするな。
「私も詳しくは知りません。ただある時急に蜘蛛になったそうです。多分、加護だと思います」
ある日突然蜘蛛になる加護……
それは呪いじゃなかろうか?
俺の大王の加護も半分、呪いのようなものだが……
「聞いた話ですが、その人間の器以上の加護を持つと暴走してしまうそうです。人間がある日突然別の生き物になる。実はそう珍しいわけでも無いみたいですよ」
暴走……ね。
やはり俺たちに加護を与えている存在は性格が悪いな。
わざと、器の小さい人間に大きな加護を与えて楽しんでいるということか。
「蜘蛛に成ったとはいえ、元人です。だから人と交配出来るそうです」
「ふむ……お前の母さんはよく蜘蛛と交配したな」
俺の言葉を、アリスは首を左右に振って否定する。
「違います。母は犯されたんです」
「……」
何かごめん。
お通夜のような雰囲気になってしまった。
やめるか……
いや、ここまで来たら最後まで聞こう。
「それで君の能力は父譲りか?」
「そうなりますね。私みたいな人間を『獣人』と呼ぶこともあると、奴隷商人に聞きました。極稀に市場に出回るそうです」
獣人か……
そう聞くと思わず、猫耳は犬耳を想像するが……
この世界にも犬耳や猫耳が居るのか?
しかしアリスは蜘蛛人間だが、別に蜘蛛の身体的特徴が外見に出ているわけでは無いしな。
能力だけ、獣に近くなるのか。
そう言えば、今奴隷商人と言ったな。
今思いだしたが、アリスは奴隷だった。
「君はどうして奴隷になったんだ?」
「売られたんです。キリシア人に。五歳くらいまでは育てて貰いましたが、飢饉になったらすぐに売られました。その後、七歳の頃にアルド王子のお母さまに買われました。蜘蛛人間を見てみたかったからだそうです」
なるほどね。
それ以降はアルド王子に……
「アリスはいくつだ? 俺は十九だが」
「二十歳です」
十三年間も暴力に晒され続けていたら、トラウマになるだろうな。
「十九で国王様って凄いですね」
「まあ、成り行きというか、いろいろあったんだよ」
俺が即位したのはいろんな運命が重なった結果だ。
一つでも重ならなかったら、ただの村長止まりだったに違いない。
「おい、アリス」
「何ですか?」
「これからどうするんだ?」
アリスは目を泳がせる。
「どうする……とは?」
「俺としては、俺の家臣になって働いて貰いたい。君の暗殺能力は有用だ。……まあ、暗殺がしたくないというなら暗殺はしなくても良い。それ以外にも、俺の護衛とか諜報とか、俺の役に立って欲しい。……が、強制はしない。強制すればアルド王子とやっていることが同じになる」
俺は言葉を一度切り、アリスをしっかりと見つめた。
「アルドは死ぬ。もうすぐ講和条約が結ばれ、処刑されるだろう。君を縛りつける鎖は消失する。君は自分の人生を自分で選べる。我が軍の百人隊長を暗殺したのは君だと聞くが……そのことを知るのは、この国では俺だけ。君は脅されていたわけだし、情状酌量の余地があると見て良いだろう。だから許す」
殺してしまえば、アリスが俺の家臣になることは無い。
だから取り敢えず、生かしておく必要がある。
当然、俺の掌から逃れるのであれば、殺す必要が出てくる。
敵の駒になる可能性があるからだ。
という下心を隠しつつ、俺はアリスに尋ねる。
「一先ず、宮殿の召使にでもなってくれたら嬉しいんだけどね。どうする?」
アリスは小さな声で、少し考えさせて欲しい、と俺に告げた。
明日、再度聞きに来るか。
俺は牢獄から出た。
四日後、外交官からロゼル王への説得が成功したことが伝えられ、正式に秘密条約を結ぶことに成功した。
その後、対ガリア同盟間で会議を行った。
議題は講和条約の譲歩について。
俺はマーリンに提示した譲歩案を提出。
各国の王に猛反発を喰らった。
特に反発が大きかったのはドモルガル王の国である。
ドモルガル王の国の国土は戦争の影響で著しく荒廃した。
賠償金無しでは、立ち行かなくなってしまう。
ギルベッド王の国とファルダーム王の国も、不満を漏らした。
しかし、
「我が国の兵士は戦いを重ねたことで、疲弊している。これ以上の連戦は不可能だ。農地も長い間放置されている。あなた方は領土を得られたから良かったかもしれないが、こちらは何の領土も得られていない。損するばかりだ。早く軍隊を解散させたい。……これ以上交渉を長引かせたいのであれば、あなた方だけで交渉して欲しい。我が国は一週間後には帰還する」
と、俺が告げた所各国の王の顔色が変わった。
我が国が抜ければ、ロゼル王国に再び領土を奪い返される可能性が有るからだ。
またムツィオたちも、帰還を望み始めた。
エクウス族は俺への恩を返すためにここまで戦ってくれた。
義のためであり、利益を求めてでは無い。
すでに義理は返した。
これ以上の戦争に付き合う気は無い。
講和が纏まらないのであれば、三日後に帰還する。
と、俺たちに告げて来たのだ。
これは俺も寝耳に水である。
後で詳しく聞いてみたところ、アリエース族とルプス族が不穏な動きを見せているらしい。
これ以上、国を留守には出来ない。
ということだ。
加えて、レザドが貸してくれた傭兵やゲヘナの重装歩兵も、講和を急かし始めた。
両国は商業国家であり、当然ロゼル王国とも交易をしている。
これ以上、戦争が長引けば商売にも影響が出る。
ロサイス王の国、レザド、ゲヘナ、エクウス族。
四ヶ国に急かされれば、流石の三国も認めざるを得ない。
斯くして、俺の譲歩案は認められた。
その後すぐにロゼル王国と和平交渉をした。
激しい激論が交わされたが……出来レースである。
俺は声を荒げながらも内心でほくそ笑んでいた。
外交官も同様だろう。
マーリンは始終、不満そうな顔だったが。
劇場は脚本通りに進められ、役者も決められた通りに動いた。
喜劇は無事に幕を閉じた。
斯くして、長い長い包囲戦は終わった。




