1.1年後
兄さまと別れて丸1年と少し。
明日には5歳になる。
「いい匂いだな」
「エドガーさん!」
エドガーは、あれから本当に休日ごとにマルグリットの家に帰ってきていた。
そして一日泊まって兄さまのところに帰っていく。
客人というよりはこの家の人という扱いなので、家にも勝手に出入りしていた。
「もう焼き上がりか?」
「はい、今カールさんに2回目を焼いてもらっています」
オーブンの前で待機しているのは料理人のカールだ。
マルグリットとマリアンナだけになったのでもう雇うのをやめるのかと思っていたが、成長期の子どもにまともなご飯を作ってあげられる自信がないからそのままいてもらっているらしい。
「最初に焼いたのがもう冷めてるので、おやつにしませんか?」
「うわー、『なぜ先に食べた』ってディオに怒られそうだから秘密にしていただこう」
その言葉が可笑しくて、くすくすと笑ってしまう。
「食堂に行きましょう」
「すぐにお茶と一緒にお持ちします、お嬢様」
「お願いします」
カールの『お嬢様』呼びに少しぞくっとしながら移動する。
マリオがマリーになってしばらくは慣れないようだったが、今では『お嬢様』が定着してしまった。
「…着ているものは町娘って感じなのに、所作は本当に『お嬢様』らしくなったよな」
エドガーがしみじみと言った。
「そうですか?この家での生活の方が長いので少しはましになったかもしれませんけど…
『お嬢様』はクッキーを作ったりしますかね?」
「ははっ、まあそれについては仕方ない」
前世から決して料理が得意でない私が唯一得意とするクッキー。
去年の誕生日の時にディオから要望があってエドガーに届けてもらったのだ。
それから年に1回、誕生日にはクッキーを贈ることにした。
今年はオーブンだけは触らせてもらえないけど、後は全て自分でやった。
「はいこれ。預かってきたよ」
「わあー!ありがとうございます!」
エドガーが差し出したのは封筒だ。
去年と同じならカードが入っているはずだった。
そこでカールがクッキーとお茶を持ってきたので、一旦置く。
「後でゆっくり読ませていただきます」
「今読んでもいいのに」
「一人で堪能したいんですよ」
そこでお茶を飲み、クッキーを一口齧る。
さくっとして甘さ控えめで美味しい。
「うん、うまい」
「ふふ、エドガーさんのお墨付きなら大丈夫ですね。
今日はどのくらいいられるんですか?」
「悪いけど、あまり時間がないんだ。
今日は受け取ったらさっさと帰ってこいだって」
「兄さま…」
「マリーはこのあと実家に帰るのか?」
「はい、先生が戻ったら帰ります」
「母上は納品か何かか?」
「今日はお友だちとお茶してくるって言ってましたよ」
「お友だちか…」
マルグリットが外出する時はマリアンナは留守番になってしまうのだが、ディオが帰ってから何を目指しているんだろうと不安になるくらい教育が始まってしまい、お作法に刺繍、座学にと何かしら家庭教師が来るので一人になる暇がない。
来客がほとんどないのであまり使わない応接室が、今ではマリアンナの勉強部屋のようになってしまっていた。
更にはカールと、使用人が2人交代で入っているので裏の家に行かない限り一人になることはなかった。
「ではすぐに準備しますね」
「ああ頼む。図書室で本でも読んでるよ」
マリアンナは一旦自室に戻り、ディオからのカードを開封する。
『5歳の誕生日おめでとう
随分成長したんだろうな。
また素晴らしい一年を過ごせるように祈っている。
ディオ』
整った綺麗な字で綴られていた。
思わず顔が緩む。
胸元に手をやり、服の下の魔石の感触を確かめた。
「あっ、いけない」
物思いに耽っている場合ではない。
既に用意していたディオ宛のカードを持ってキッチンに移動する。
「マリーお嬢様、包みとリボンをいくつか準備しましたがこちらでよろしいですか?」
「リタさん、どうもありがとう」
カールもリタも、使用人の人々はマルグリットの家から派遣されているようで、料理人のカールはともかくリタは平民のマリアンナよりずっと身分のある人だろうと思う。
そんな人から「どうかリタとお呼びください」と言われても無理な話だ。
お嬢様もやめて欲しいとお願いしたが拒否されたので、では私も呼び捨てはできないと拒否し今の形になった。
焼きあがったクッキーの中から綺麗な形のものを1枚選び、半永久保存して小さな袋に入れて上をリボンで括る。
エドガーとマルグリット、自分の分と使用人の分を残して、後はまとめて大きな袋に入れて保存しリボンをかけた。
最後にエドガーに分けたものを袋に詰め、これは口を折り畳むだけにしておいた。
「この四角いものはどうするのですか?」
リタが指さしたのは1枚だけ少し大きめにして四角く成形したクッキーだ。
「あ、それは後で使うからお皿に分けておいてくれますか?」
「…お嬢様」
「…分けておいてくれる?」
「承知しました」
お作法の授業が始まってからというもの、丁寧に頼むと圧力をかけてくる。
私平民!平民なんだよおおおお!と心の中で叫んでしまうのは仕方ないよね。
包んだ袋とカードを持って図書室に移動する。
「エドガーさん、お待たせしました」
「マリー、急がせて悪かったな」
「いえ、兄さまによろしくお願いします」
包みとカードをエドガーに渡す。
「こっちはエドガーさんの分です」
「…ありがとう、こっそり食べるよ。
くれぐれも、私にも渡したことは手紙にかかないように」
「兄さまはそのくらいのことで怒ったりしませんよ」
あはは、と笑うと「その台詞を本人に直接言ってやってくれ」と真顔で言われた。
そんなに虐げられているのだろうか。
「マリー。明日は会えないから、一日早いけど誕生日おめでとう」
エドガーはマリアンナの頭に手を伸ばしかけて、ぴたりと止まった。
「淑女に気安く触れてはいけないな」
マリアンナは止まった手を取り自分の頭に乗せた。
「貴族のご令嬢じゃないんですから。あと10年くらいは気にしませんよ」
「あと10年ってもうすぐ成人じゃないか。…命の危険を感じる。
絶対に異性に簡単に触れさせないように」
「エドガーさんはお父さんみたいなものですから大丈夫ですよね?」
「相変わらず的確に抉ってくるよね!」
エドガーはマリアンナの頭をぐりぐりと撫でまわし、帰って行った。
「さて」
玄関まで見送りに出ていたマリアンナは、キッチンに残しておいたクッキーを取りに向かった。
作業テーブルの上にお皿にのった四角いクッキーがある。
「残りのものは保存しておいてお茶の時間にお出しします」
「ありがとう。しばらく裏の家に行ってきます。先生が帰宅するまでには戻りますね」
マリアンナはお皿を手に取り裏の家に向かった。
今はマリアンナも薬を作ったりしないといけないので、使用人に伝えてから一人でも行くようになっていた。
使用人は立ち入れないので時間には気を付ける必要があったが。
裏の家に行くと、階段を下りてそのまま外に出る。
ガーデンテーブルにお皿を置いて、マリアンナは口元に手をやると大声で叫んだ。
「シロー!!」
『声がでかい。うるさい』
「わ!急に目の前にでてこないでよ」
『ほおー、森の奥から歩いて来いと』
とん、とマリアンナの足元に軽やかに着地したのは
”言葉を話す、小さな獣”だった。




