橋の上で、生まれた絵
それからしばらく僕と流杏は無言だった。
流杏の手がぼちぼち止まってきた。
「お、かけた?」
「はい。あとは部室で仕上げます」
「よかった、じゃあかえ……」
「先輩は、かけたんですか?」
「いや、あ、まあかけたのもあるけど……」
「どんな感じですか……?」
流杏が僕の絵を覗き込んだ。
全くか川ともこの景色とも関係のない、流杏の顔の絵を流杏の目がとらえる。
「私じゃないですか」
「うん……ごめん」
「いえ、あ、でも恥ずかしいです」
「だよな、なんで描いたんだろう僕」
「ふふっ」
いつの間にか、流杏が僕の絵を取り上げていた。
「ちょっとこの絵の私、幼く見えます」
「まじ?」
「はい。先輩と私って、一年も違わないんですよ、生まれた時」
「まあ、ね」
「だったらちょっとだけ、今だけ、私、後輩やめてもいいですか?」
「え? まあ、いいよ」
流杏は僕を見て、笑った。
やっぱり視線はほぼ平行だ。
その平行な僕らの高さには、もうすぐ沈む太陽がある。
その太陽と反対方向から、流杏の声が届く。
「先輩……尚に、私はたくさん助けてもらったけど、私が、尚をあんまり助けたりはしてなくて……いつもお兄ちゃんと妹みたいだったなあって」
「……」
「でも尚だって困る時あるでしょ。そんな時は、私は尚のお姉ちゃんみたいになりたいなって思ってた。けど、あんまりできなくて」
「……いや、流杏はいっぱい僕を……」
「ううん、でも実際、今、先輩をあんまり助けられてないし」
そうか。もしかして、そのために、僕を助けるために、流杏はわざと絵を進めてなかった……?
「流杏、ありがとう」
「え、違うよ。私が絵が進んでないのは、わざとじゃなくて……あの……大切な絵は、尚の隣で描きたくて」
「……」
「……だって、そしたら、なんだかもう、オンリーワンな空間になっちゃうんですよ。どんなところでも」
「それは、なんか嬉しいな」
「……きっと、私、一番描きたいのは、尚との二人の世界で、だからやっぱり、す、好き、尚が好き」
その好きは遠くの川面に着地して、光った。
だから僕と流杏にとって、まぶしい景色になって。
それが落ち着くと、僕は、すごく熱くなっていた。
「僕、流杏が好き」
だからその熱を、たった数十センチ離れた流杏まで思いっきり、届けた。
大きな川の流れる音に負けないように。
それから、僕と流杏は、まるで勝手にキャンバスに描いた気分で、二人の世界を楽しんでいた。
といってもそれは、ただ黙っているだけの時間。
「尚、絵、描き始めた」
「まあ、思いついたこともあるし」
いつの間にかかけがえのない風景になっている、目の前の川と海と街を、僕はのんびりと描いていた。
そんな僕の横で、流杏は、また何かを描いている。
と思ったら、僕がさっきまで描いていた、流杏の顔の絵だった。
「えへ。やっぱ恥ずかしいので、私の顔じゃなくすね」
「おお、そうか。勝手に描いてごめん」
「大丈夫。私、今尚の目、勝手に描いてるから」
「目?」
「そう、目」
流杏は僕の目を見つめて、嬉しそうな笑みを浮かべ、そして続けた。
「なんか尚の目って可愛いの。なんか安心するっていうか。好みで。あとね、絶対、絵が好きな人の目」
「あ、そう」
「それで私もよく尚の目を描いたりしてるから、なんか顔描きたくなる気持ちわかるなあってなってる」
「ありがとう、わかってくれて? ってことでいいのかな」
「はい、もちろん」
流杏はよいしょ、と出来上がった絵をこちらに向けた。
流杏じゃなくなってるじゃん、いつの間にか。
目元だけ、僕になっている。ちなみに背景も足されていた。
「あははっ、なんか女装した尚みたいで可愛い」
流杏は満足そうに、絵を触った。
そしてちょうどその時、僕の描いている絵もひと段落。
流杏に感謝だ。
感謝というか、僕は流杏が好きで。
だから流杏に好きって言われて、そして隣にいるだけで。
世界がありきたりでつまらなくて、描く意味がないなんて、言いたくなくなる。
たとえ、絵の技術が流杏や他の美術部員に及ばなくても、描きたいことが見つかるという確信が、胸いっぱいに、水に広がる絵の具みたいに、広がった。
だから僕は……やっぱり、絵はやめない。
流杏がいるからには、やめない。
うん、僕は根性なしで、そして単純だ。
だから流杏に、後輩でいることを断られてしまった。
お兄ちゃんポジションは、クビだ。
でもきっとそれは、僕と流杏の関係の前進で。
だから僕は、かっこつけでもなく、流杏に届く幸せを描ける人になりたいと思った。
そして、流杏がくれる幸せも、受け止めたいと思う。
それが、ぱっと見はありきたりにしか見えない世界に、僕がいる意味だ。
「尚、抱きついて、もいい……かな?」
気がついたら、身体が触れる距離に、流杏がいた。
「うん」
僕たちは橋の上で抱き合った。柔らかい感触なのはそうだけど、この感じは、絵にも、文字でも、描けない。
ほとんど同じ身長。どっちかがどっちかを抱きしめているということはなく、ただ、抱き合っていた。
「うふふ、尚、思ったよりも小さい」
「ごめんて」
「いいの。あのね、私は、かけがえのない世界で、一番、尚のことが好きな女の子だからね、尚は、一番私のことが好きな男の子でいてほしいなあって」
「うん。そうなる。そうなってる」
「……しあわせ」
流杏のつぶやきは、ゆっくりと、広がった。
お読みいただきありがとうございます。親子要素を含めた短めの話を書いてみました。私にとって初めての構成だったので、書くのは難しかったです。本当に読んでいただいて感謝しております。
もしよろしければ、評価などを頂けたら幸いです。




