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148.それは最低最悪の誘い

 ヤーシャが激昂したのは間違いない。

 まともに扱えるはずもないのに剣を取った青年に対し、男は酷薄に笑う。きっと未熟者が粋がっている滑稽な姿を笑ったのだろうが、そんなことより兄を愚弄された怒りの方が勝り、その姿に皇帝の背後に立つ青年が「あーあ」と声を上げた。


「本当の事だからって、出会い頭に喧嘩を売るなよ。そういうところで日々の鬱憤を晴らすの、本当によくないぜ」


 女みたいに華奢な、やたら顔の綺麗な青年だ。

 ラトリアでは個性的すぎて、一部の人間の女性に好かれそうな、ところどころ着飾るのが好きなんだろうと思わせる細かな意匠に身を包んでいる。白銀の髪色は皇后の親類かと思ったくらいで、人間離れした雰囲気と不真面目そうな所作がどうにも苦手だ。

 魔法使いに好き勝手言わせる皇帝は薄く笑い、無視されたと感じたらしい青年は舌打ちし、次いでヤーシャに忠告した。


「気をつけろよボクちゃん。こいつの挑発に乗ったら最後、どんないちゃもんを付けられて戦争の切っ掛けに持っていくかわからないから」


 冷静を欠いていたためか、相手を思い出し体を仰け反らせるヤーシャに対し、皇帝ライナルトは静かに反論する。

 

「シス。いまの私はただ平和を願うばかりの無害な男だ。疑うのはやめてもらいたい」

「あーはいはい平和の使者へーわの使者……うそくせぇ」


 嘘くさいにはまったく同意見だが、青年のように皇帝へ口をきく勇気をヤーシャは持っていない。

 怖じ気付く心を義憤で満たし、視界の端で避難経路を確認しながら言った。


「愉快犯とは、もしや我が兄を侮辱しに来たか」

「既に兄のことだと理解しているとは話が早い。さすが兄弟だけあって、思うところでもあったか」

「この無礼者……!」


 己の失言を誤魔化すために表情を憤怒で彩ったが、そんなのはとっくに見抜かれていた。

 相手は勝手に椅子を引き寄せると、斬りつけられる可能性に恐怖も見せずに着席する。悠々と足を組んで座る姿は、ひどく腹立たしいことにヤーシャの憧れる威風堂々とした王そのもので、一瞬でも見惚れた自分に下唇を噛む。

 そして苛立たしいことに、兄を侮辱されながらも兄ではなく自分に皇帝が訪ねてきたという事実に、わずかながらも喜んでいる自分がいるのも厄介で、内心では自己嫌悪とも戦っている。


「兄の悪口を私に告げに来たか」

「ふむ。私はただ妻のために尽力している憐れな男なのだが、ただ悪口に興じに来たなど酷い誤解をされているようだ」


 嘘を吐け、と吐き捨てたくなったのはヤーシャだけではないはずなのは、ぺっ、と唾を吐いた白銀の青年の様子からも見ての通りだ。

 世間話に興じようとしたのか、皇帝ライナルトはヤーシャの部屋を見渡した。


「それにしても護衛一人すら置いてもらえないとは、貴公はあまり良い待遇を受けていないな」

「……誰を守るべきかは、皆知っているだけだ」

 

 数少ない護衛達は、昼に気張っているために夜まで働かせては倒れてしまうから、無理をさせるわけには行かないと休ませることにしている。父がそれとなく気を使おうとしてくれたが「役立たずに人員を割く」という人の陰口が怖くて断ったのが現状だ。

 ヤーシャの強がりなど微塵も気にせず、手を動かすだけで卓上の果物を取り寄せる白銀の……魔法使いは言う。


「強がっちゃって。君はもうちょっと待遇を厚くしてくれてもいいのにって、訴えてもいいと思うんだけど」

「私をわかったような口をきくな」

「わかってなんかいないさ。ただ、ラトリアって勿体ないことしてると思ってるだけ」


 話の意図が掴めない。

 兄の悪口の意図を聞き出すつもりが、いつの間にか相手の空気に呑まれていることにヤーシャは気付かず、怪訝そうに耳を傾けていた。


「いや、だって君、他の脳筋よりも頭が良いし、そこの皇帝みたいにイカれた兄貴よりもマトモだろ。もうどうでもいいって投げやりな父親や、強い者に従うとか考えなしの兄弟連中と違って、現状国のことを現実的に見ている人間だ」

「は?」

「だから話の通じないヤツらじゃなく、君のところにわざわざライナルトが足を運んだわけだ」


 もしかしていま、自分は褒められたのだろうか。怪訝そうなヤーシャに向かって、魔法使いことシスとかいう青年はだめだ、と言わんばかりに呆れる。


「もしかして褒められ慣れてない?」

「う、ううううるさい! い、いまのが褒め言葉になってたまるか!」


 一瞬でも素を見せたことが恥ずかしくて怒鳴る。

 真っ赤になった耳に突っ込ませないために机を叩いた。


「与太話はいい。私を懐柔しようなどと考えは捨て、さっさと本題を話せ」

「懐柔したいと思うほど、僕は関係ない人間に興味ないぞ」

「黙れ!」


 不思議なことに、彼らにヤーシャに対する蔑みの感情はない。

 ごく普通の態度で話しかけられては、その「当たり前」に焦がれてしまいそうで遮った。

 一部始終を無感情に眺めていた皇帝は、やはりこいつも勝手に葡萄をひと粒ちぎり、口に含む。「不味い」と腹の立つ感想を述べた。


「カレンは何も言わなかったが、あまり褒められた出来ではないな。それが王宮でまかり通るものなら尚更だ」

「は? なんだ貴様喧嘩でも売ってるか」

「シグムントが王になっては、甘い葡萄が出回ることはなさそうだ」


 やはりこいつらは追い出そう……とならなかったのは、ヤーシャに言葉に含まれた意味に気付くことができたからだろう。怒りに彩られていた表情は、すぐに血の気を引かせた。


「何が言いたい」

「額面通りに受け取るのではなく、言葉の裏にある意味を考えた。やはり貴公は馬鹿ではない」


 それは土の改良だ。

 作物の品種をかけあわせ、よりよい作物に育て上げることは農家、ひいては国の指導力に関わっている。いまのままでは土地は痩せ衰え、作物に時間と金をかける時間がなくなる。下手を打てば戦に発展しそうな現状、内乱で国力が衰えたラトリアは政に力を入れるべきだという考えを見抜かれたようで、ヤーシャはしかめっ面になった。

 ただ、それは父に提言しても無気力で、兄に訴えても無反応。母は政治はわからないと困ったように微笑むだけ。「足りないものは奪えばいい」が根付いているラトリア人の間で、ヤーシャの言は後ろ向きな臆病者の意見として捉えられている。

 もはやラトリアは奪うだけで成り立っていた時代でも、蓄えもない。金品は消費され、土地は長年にわたる無理な作物の育成で、刻一刻と痩せ衰えている……そう考えていただけに、苦虫をかみつぶしたようにヤーシャはカップを掴み、水を啜った。


「おべっかなど聞きたいわけではない。貴様は何をしに私の元へ来た」

「世間話だが、話を聞いてくれるようでなによりだ」

「よもやま話をしたいのなら、もっと人に好かれるような話題を持ってくるべきだな。貴様、友達がいないだろう」


 ぶっ、とシスが吹き出したのをヤーシャは見逃さない。

 勝った……! と内心で拳を握ったのもつかの間だった。


「生憎と、そこまで他人に興味がない。だがこんな私でも案じてくれる者がいれば、少数でも構わないと感じている」


 どうにも白々しさを感じさせる台詞を吐いた皇帝ライナルトは、嫌味に効果がなかったとがっかりしているヤーシャへとうとう本題を告げた。


「難しい話ではない。私は国を預かるものとして、民の平穏を脅かす脅威を排除する責務がある。そのために降りかかる火の粉は払うのは厭わないが、その犠牲を最小にする方法があれば策を講じようというものだ」


 ……なぜか、「民の平穏を脅かす」の部分でシスがジト目になったが、ライナルトの本意がわからないヤーシャはそれどころではない。


「兄を平和を乱すものとして考えているのか」

「現実として、国政のわからぬ者に国を預けようという無謀を冒している時点で、そう考えるのは無理もなかろう」

「否定はしない。だが、それは兄上になんらかの考えあってのもの。正気に戻ってくだされば、貴様の心配は意味のない砂塵と化すだろう」


 これにライナルトは、く、と喉を鳴らした。

  

「だが私自身は、貴公の兄上自身も危険な存在だとみなしている」

「オルレンドル皇帝陛下。いくらなんでも口が過ぎる」


 いつもの自分であれば激昂し、演技を通り越して本当に剣を抜いているところだが、この場に置いてはどういうわけか、何故か危険な発言を聞けば聞くほど頭が冴え渡る。妙な高揚感に支配されながら、ヤーシャは怖じ気付くことなく相手を見返し、それに皇帝は上出来だと言いたげに目を細める。


「ラトリアという森に埋もれていたようだが、やはり貴公は兄よりも考える力を養っている。政に向いているな」

「侮辱か。兄より優れた武人も、指導者もいない」

「武人が政に向くとは限らない。少なくともシグムントの場合は、己の欲求を満たそうとするあたりが為政者向きではない」

「欲求?」

「貴公は知らぬか? ファルクラム領近くに兄の息が掛かった兵が派遣されていることを」


 ヤーシャは黙り、拳を握る。それをどう受け取ったか、ライナルトは破顔した。


「私たちの滞在中、彼らに更なる動きがあった。大規模な軍が編成され待機状態に移行したと聞いている」

 

 この男はラトリアにいるはずなのに、一体どこから情報を仕入れているのだろう。それらしい動きをしていたことなどなかったはずなのに、その情報網は自国に欲しいばかりだ。

 そして兄がファルクラム領に人を送っていることは知っているが、彼らの規模が大きくなったことは知らなかった。

 つまりいつでも侵略可能。開戦一歩手前状態で、状態は思ったよりも悪化している。

 戦の話を楽しそうに話す皇帝を、ヤーシャはますます嫌いになりそうだが、相手は待ってくれない。

 皇帝ライナルトはさらに嫌な話を口にした。


「ヤロスラフ王の息子ヤーシャ。貴公、ラトリアの王になる気はないか」


ライナルトは元々食べ物に興味がある人ではないので、果物を食べるのはカレンの影響です。


来週25日に「あやかし憑きの許嫁」発売です。

転生令嬢と数奇な人生を、の漫画と合わせ、よろしくお願いします…!

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