145.いっそ、さらに賑やかに
……こんなときでも、ずっと思い出しているのは、私にひどく残酷な仕打ちをした、大好きな亡き親友だ。
私たちは転生前の知識において、言い換えれば世界をよりよくしようという考え方について、その進め方については衝突していた。
エルはより革新的に、自身が先頭を走って皆に追いつかせる方法を。
私はその時々の時勢に合わせた成長を促したいと言っていた。
……先ほど出る杭は打たれると述べたけど、私の考え方は臆病というのは、うん、正解。
でも、私にだって……ええと、『宵闇』の仕掛けは私の内部に深く作用したからか、もう細かくを思い出すのは難しいけど、ともかく『平和』な世界を知っている身として、たくさんの人々に新しい世界を知ってもらいたいという気持ちはある。
相互理解はフィーネが当たり前に受け入れられ、シスのように利用されたり、置いてけぼりになったりする人を減らすための手段。
魔法技術の向上も、それこそエルがもたらした恩恵に近づくための近道になる。
まだ彼女の魂は見つかっていないけれど、いつかまた会えたとして――それがたとえ私が生きている間に再会が叶わなくとも、もしかしたら新しい彼女に記憶がなかったとしても――オルレンドル皇室の名に私の名が残っていれば、私を思い出さずとも私を知る機会があるかもしれない。
ライナルトには転生の話を隠しているために彼に話すことのできない理由だけど、なんとなく、私がこういった目的を抱えていることを察しているようにも感じる。もちろん彼にも彼なりの思惑があるし、為政者として私に話してないことはあるだろうけど、それで信頼関係が崩れることはない。
この面子にしても、それぞれの思惑がある。
「みんなのために」提案するだけだったら、良くて誰かに利用されるか、悪くて見向きもされないだろう。だから為政者が食いついて離れないような新しい投資を準備することで、相手の逃げ道を塞ぐ手を、やっとのことで考えついた。
本心をいえば、どうしてライナルトがこの案を呑んでくれたのか、わかっていない。将来的な国力増強だけを見込むにしては、ファルクラム領を他国にも差し出すのは賭けが過ぎる。私の知らない所で他にも利益を生む、と踏んだと考えるのが妥当だ。
あとは……自惚れでなければ、私がやりたいと言ったから……かな?
一つ決めただけで方々へ指示を出し、完璧ではなかった私の案を補完してくれる姿を見ていると、私には過ぎた人なのではと不安になる瞬間も少なくない。
……こうして思えば、この世界の大陸の歴史に新しい風を吹き込もうとする私はかなり大胆な提案をしている。
きっかけは穏やかな新婚生活を壊されたりと波瀾万丈だったけど、その結果が特別自治区と学園に繋がるのなら悪くないかもしれない。
果たしてこの案をラトリアはどう受け止めるのか。
端から見れば感情の揺らぎが少ない星穹だが、私は感情表現が苦手な人を見ているから、なんとなくわかる。
彼はおそらく動揺している。
ダメ押しのつもりで、私は告げた。
「精霊にとって、これほどの好条件はないでしょう。オルレンドルのみならず、ラトリア、ヨー連合国とすべてに利のある話。わたくし共としても、土地まで用意するのですから、考えるまでもない内容だと思います」
「……貴国は本当に土地を差し出すつもりか」
「国の導く標が各々席を並べる場など、この大陸がどれほど長い歴史を持つにしても、過去と未来において今回ばかりでしょう。かような場で、精霊はオルレンドルが虚言を用いて騙すとおっしゃりたいのでしょうか」
「……いや、失言を働いた」
「わたくしも失礼しました。たしかに、かつての人間があなた方に働いた無礼に比べれば、これは破格すぎる待遇やもしれません」
うーん。我ながらよく口が回るものだ。
いまでも人前で話すのは好きではないが、はじめてコンラートに行って以降、特にライナルトと出会ってから嫌でも話さねばならない場面が増えた。伯やウェイトリーさんといった師がよかったのもあるけど、こういうのを鍛えられたと言うのだろう。
ライナルトはまだ私が喋っていいと無言で言っている。
彼の後押しを得て、私は微笑んだ。
「しかし過去を思えばこそ、今度こそ人間と精霊が手を取り合えると証明せねばならないでしょう」
今度は精霊にも変わってもらわなくてはならない。
この申し出は、当然ながら星穹は断れないだろう。
実際、これまではラトリアとの協調路線を取っていたのに、いまは個人の感情と全体への責任の間で揺れている。
これの後押しは、私も予期せぬ形でライナルトが告げた。
「貴公の協力者は竜だったか。件の者からは、よりよい形で種族が生き長らえるのであれば、ラトリアに拘るつもりはないと言を取った」
蒼茫はかなり渋ってたはずだけど、いつの間に説得に応じてくれたのだろう。
あの再会から、黎明には蒼茫への話を務めてもらっていた。ライナルト曰く「籠絡」、私としては「説得」を目指していたのだが、私に連絡が届かなかったってことは、会議の直前に了承したのだろうか。
彼、けっこう義理堅いのか星穹と組んだ以上は裏切れないと言っていたはずだけど……。
ライナルトの発言に、ガタン、と腰を浮かせたのは星穹でも、ウツィアでもなかった。
もともと表情は乏しい印象だけど、そこにはっきりとした感情を乗せているのは珍しい。事実、兄を見るヤーシャや、ウツィアが目を丸くしていた。
彼は一度星穹を見た。
しかしこちらの申し出を精霊が断れない。
ゆっくりと首を振る星穹に、シグムントはライナルトへ視線をおろす。
「……やってくれたな」
「ああ、これでよりよい治世となるのは間違いない」
褒め言葉として受け取ったライナルトだが、シグムントにそのつもりがなかったのは明白で、このやりとりに、これまで心労を被っていたキエムやイル族長は笑顔を隠しきれないようだ。
意外にもライナルトは星穹を慮る。
「しかし相談もせずにこの提案だ。一個人とはいえラトリアに恩がある貴公が、そう簡単に頷けるはずもない。精霊というのは人と非ずとも、殊の外、感情というものがあるのだと伺える」
さらっと言ってるけど、その発言の成分はすべて嫌味だ。
ライナルトはなぜか、あらぬ方向を見ながら言った。
「こうも譲歩しているというのに即断できぬというのは辛かろうと察する。そこで私から、貴公の決断に足る理由を授けたい」
やたら饒舌なライナルトの姿で、私は悟った。
だって、手筈は決まっていたのだ。
私から提案した後は精霊に時間を与えるため、一度休息を設ける予定だった。星穹にはオルレンドルの提案を呑むよう、ラトリアを裏切らない形で取引をするとライナルトが言っていたのに、これではまったく流れが違う。
つまり、彼、私に秘密で何かしていたのだ。
そうでなくては、この愉快そうな姿に説明がつかない。
私にまで秘密にして、一体なにを企んでいるのか。
その疑問は、彼が鳴らした指によってもたらされた。
「なんかその呼び出し、わたしが使い魔っぽくていや」
なにもない空間が、ふいに歪む。
まるで水面が揺らされるように揺れた空間から人が出現する。
私にとってはすっかり見知った光景だけど、見慣れぬ人々にとっては恐怖の業だろう。
会場は警戒とざわめきに溢れるが、それらを一切気に留めず、でも眉を寄せ、ぶつぶつ呟きながら現れる女の子、否、女の子「達」は予想外の人物だ。
お留守番しているように伝えたのに現れたのは、黒いドレスと赤いリボンでいつになく着飾ったフィーネ。
そして彼女が手を握りしめているのは……。
「なぜ我が……」
「だって貴女、王様だったんだもの。一度役目を引き受けたのなら、さいごまで面倒を見る必要があるの……って、おとうさんが言ってた。そう教えてあげたでしょ?」
「騙されている。悪い人間は信じてはならぬ」
「信じてないわ。おかあさんと黎明が信じてるから、わたしもそうしてるだけ」
緊張した場でも、雑談は止まない。
相変わらずほっそりと痩せてしまい、顔色は悪いままだが……。
精霊郷で「柱」になっているはずの白夜が、フィーネに手を引かれ、人の世界に顕現していた。
英訳版3巻Part2。カレンとリューベックwith見守るエルのダンスがカバーです。
すでに公開されているので、よければご覧ください。




