144.魔法使いという投資
学園。そう、学園だ。
自治領と同時に、なによりも必要な要素を音にして聞いたとき、私はジグムントが眉を吊り上げるのを確かに目撃した。
しかし背後に控える支配者より、先に腰を浮かせて反応したのはウツィアだ。
「学園ですって」
「自治領はヨー連合国が考えていたもので、こちらがさらなる補完を加えた」
「も」ではなく「が」と言っておくのが、オルレンドル主導ではなくヨー連合国の提案でもあるという強調だ。ウツィアが気付いているかは不明だが、視界の端でキエムが満足げな表情をしている。
実際、ヨー連合国が三国会議開催瀬戸際にもかかわらずオルレンドルの提案に乗ってくれたのは、精霊達を隔離する方向で持って行くつもりだったかららしいので、彼らにとってこちらの申し出は渡りに船だ。
おまけに場所はファルクラム領をオルレンドルが丸々提供する。
土地の奪い合いに余念がない五大部族としては損がなく、それなりに利益のある話だ。しかも今回は利害が一致している上に、交渉はほとんどオルレンドルが担う。高みの見物……とは言い過ぎだが、ほとんどは傍観者として、淡々と自国が不利益を被らないか目を光らせるだけでいいから、キエムはやや余裕のある表情だ。
ここで主導権を握ったまま話に移りたいが、その前に呼び出さねばならない人物がいる。
私はウツィアの背後、ジグムントの隣に空いている空間へ微笑みかけた。
「これは人間だけでなく、精霊にとっても遙かに利がある話。精霊を率いる自覚があるのならば、疾く姿を現しなさい」
種の存続を担う立場だと弁えているのなら、或いはラトリアと組むのが精霊のため人のためと言い張るのなら、この言葉に反応しないわけにはいかない。
実際、私の言葉に反応して、何もなかった空間には、いつの間にか星穹が立っている。
彼が訝しげに私を見やるのは、続きを促しているのだと判断して口を開いた。
「オルレンドルがこのような提案をしたのは、三国と精霊に、平等に利益があるからです。星穹、あなたは精霊が人の世に舞い戻って後、人間にどのような影響が出るか説明できますか?」
「それが特別自治区に関係が?」
「十分あります。答えなさい」
実はラトリアが我を通すつもりで、交渉も何もない可能性もあったから、内心ちょっとだけほっとしているが、その内面は絶対に見せないと決めている。オルレンドル皇帝の伴侶は、他国に対して対等であり公平ではあっても、決して媚びてはならないからだ。
私の問いに、はじめウツィアは異議を唱えかけたが、星穹自身がそれを制した。
「人口増加による土地の問題。人類間の確執、魔法技術の伝達による世界の混乱については、すでに説明しているはずだ」
「もちろんそれもあります。というよりそれが主流でしょうが、その前問題があるはずでしょう?」
これは私が実際『向こう』を見てきたから頭にたたき込まれている知識だ。
「精霊の帰還により世界に溢れる魔力によって、今後は人間にも魔法を使える者が増えるでしょう。それは新しく生まれる命の他に、すでに在る命にも等しく機会が訪れるはずです」
星穹は否定しない。
「あなた方と共存できていたときは対処法も知り得ていたでしょうが、いまは魔法もとっくに廃れて久しい。その者達が、魔法使いを異端と迫害する未来があり得ます」
「迫害とは、また極端なことを言う」
星穹が眉を顰める姿に、私は少しだけ安心したと同時に心配になった。
それは彼が人を知らないだけかもしれないが、根本的には同族へ対する想いと同じように、人の善性を信じているからではないかと感じたからだ。
でも、私はとっくに『迫害』の例を知っている。
エルネスタだ。
「出すぎた者は打たれます。わたくしはそういう人間の性を否定しません」
いくら国が精霊と共存します、今後魔法使いが生まれます、と宣言したとして、いわゆる突然変異の出現に皆が対応できるとは思わない。オルレンドルは混乱を抑える政策を取るつもりだけど、目が行き届かない地方では間違いなく混乱を招くだろう。例えは変わってしまうが、私の親近護衛を努めるジェフの妹であるチェルシーがそうだった。かつて心を壊してしまった彼女が、ジェフに連れられ故郷の村に戻ったとき、理解を得られず追い立てられたように、『違うもの』に対して追放、もっと悪くて隔離となる未来だってある。
…………エルの場合は、自分が優れているという意識があって、そのために周囲とのすれ違いが起きていたせいもあるけど。
「精霊と魔法使いが理解を得られるようになるには、時間が必要でしょう。人には精霊に、精霊には人に対して理解を深めるための拠点として、オルレンドルはファルクラム領を提供します」
「それが学園だとおっしゃりたい?」
「そう。あなた方にも、人間へ力の使い方を教授するという形でかかわってもらいたいのです。教師と生徒という形でしたら、それこそ形から入るにうってつけでしょうから」
相手を知れば、種族の境目は多少やわらぐだろう。
また、人間側に対しても力を持つ意味を考えてもらいたい。
これに対し、シスが「あのな」と遠慮と謙遜の字もなさそうに、声を上げる。
「過ぎた話をとやかく言いたくはないんだけど、前にあんた達が精霊郷への退去を決めたのって、結局人間側の理解もなかったのが問題だろ」
「その時代のことは詳しくないが、個人的な考えを述べるなら否定はしない」
ウツィアがぎょっと星穹を見るのは、きっと私たちの提案を拒絶してくれると思っていたから……かもしれない。しかし星穹は、統治者を持たない精霊の代表だ。為政者としての考えは捨てきれず、その対応にシスは手を振った。
「だから今度は、それを根本から解決するために取り組みましょうねって話だ。僕の知る『昔』じゃ、あの頃は確かに法が整ってなかった。魔法使いが魔法使いのための組織を作って、そこに所属して……って形で成り立ってたから、国が入る余地がなかったように見えるし」
シスはそれで狙われた挙げ句、『箱』にされたものね。
彼は組織や立場に囚われたくはないが、自身の経験則から、初めからある程度の秩序を整えた方が平和になるだろう、という考えだ。
「だから学園設立の暁には、いまんとこ一番精霊に詳しい僕が仲介役を担うつもりだ。それがいま、ここにいる意味と思ってくれよ」
「それは貴公、ひいてはオルレンドルが主導を担うということではないか」
「じゃあなんだ、僕にただ働きをしろってか?」
「……ただという概念自体が、俗物的であると考えぬのか」
「僕には僕の事情があって協力するんだ。ご大層な思想を持つのは勝手だけど、こっちに押しつけるのはやめてくれないかな」
シスは精霊に対しても遠慮がない。
普段から人間に対するように、歯に衣を着せぬ物言いで捲し立てた。
「オルレンドルは土地も提供するんだし、そこに所属して、かつこれから苦労する僕が恩恵を受けるのは当然だ。君の方こそ、人に合わせるフリをしたいんだったら、もう少しがめつくなっとけよ」
スパスパ言ってくれるのは心地良いけど、これ以上は喧嘩になりそう。
扇子で手の平を打つと、想像以上に小気味よい音が響き、一同の注目が私に戻る。
「不詳の師が失礼しました。良くも悪くも精霊の気質が強く、不快にさせてしまったかもしれませんが、師なりに精霊を憂いていることはご理解ください」
そして、と私は星穹や諸国の不安についても解消するべく言葉を紡ぐ。
「オルレンドルからはこちらのシス……シクストゥスをファルクラム領に派遣するつもりですが、我が国だけではありません。皆さまにも、それぞれ魔法に明るい者を、代表として派遣していただきたいのです」
精霊や魔法使いはほぼ一点に集中させるが、その監督は各国から派遣された者達で執り行う。
「みんなでなかよく」とは表向き、つまり互いが互いを監視し、抜け駆けしないように見張ってくれと暗に伝えたのを、その場にいる者達は正しく理解した。
すべては人と精霊を正しく繋げたいという気持ちから生まれたものだけど、綺麗事はここまで。
ここからはライナルト、ひいてはヨー連合国が本当の意味で、こちらの提案を呑んだ、彼らにとっては真の目的だ。
「各国からは、魔法の才がある者。将来誕生するであろう魔法使いの卵を送っていただきます。もちろん特別自治区では戦闘行為は一切禁止といたしますが、自治領区外、また卒業後の彼らには関与いたしません」
続きは、『学園』に纏わる思惑に気付いたジグムントが引き継いだ。
「卒業後は、自国に戻る魔法使いが多いだろうな」
「未来の魔法使いの意思を止める権利は、誰にもございません」
……精霊から魔法を学んだ魔法使いは、大半が自国に戻ってきてくれるだろう。
手っ取り早く言ってしまうと、特別自治区の設立は戦力増強と文化の発展が見込めるので、三国共に利益がある……と、これがヨー連合国を説得しおおせた内容だった。




