新世界
自分の天幕に戻った江梨香の前に新しい来客があった。
「アルカディーナ様。今、よろしいか」
「はい。隊長さん」
江梨香を訪ねてきたのは、戦地で彼女を護衛する神聖騎士団の代表であった。江梨香は彼の事を便宜上、隊長さんと呼んでいた。
「従軍司祭長様がお呼びです。御足労願えますか」
「はい。よろこんで」
理由も聞かずに了承する。これまでの経験上、理由は教えてくれないことが多いからだ。
またもや偉い人からのお呼び出し。これも厄介ごとに違いない。
そんな覚悟を決め、近衛軍団の陣営地へと赴き、教会の紋章が大きく刻印された天幕へと入っていく。
中では聖職者にしては屈強な肉体をした、従軍司祭長様が待っていた。
「エリカ様。慣れぬ僻地での行軍。体調は如何ですかな」
この人はランカスター公爵と会話した時に、公爵の隣にいた人だ。つまり偉い人。
「はい。元気いっぱいです」
言葉通り、元気いっぱいに応えると、司祭長様の顔に笑みが走った。
「それはなにより。であるならば、我々のお願いを聞いていただけますかな」
いきなり本題きた。
「はい。喜んで」
教会からのお願いという名の命令。断れるわけもなく。社会人の辛さよ。
「ありがたいことです。お願いというのは・・・」
そこから、司祭長様のご説明が長々と続く。
教会の人って、みんな話が長いのよね。結論だけ言うと、去年の戦いで倒れた戦士たちの慰霊祭を行うので、それに参加しろってことだった。慰霊地は去年奇襲を受けた森の奥とのこと。
「はい。喜んでお手伝いいたします」
まあ、一応教会に所属している訳だし、慰霊祭を手伝うぐらい文句なんてない。
そう思ったんだけど。
「いえ。手伝いではありません。貴方がアルカディーナとして、全軍を代表し慰霊祭を主催するのです」
「えっ」
「むしろ、我々が貴方をお手伝いいたします」
あれ? 私が主体的に動くの。
いやいや。私はなんちゃって坊主だから、儀式のやり方なんて知らない。最近になってようやく朝晩のお祈りの作法と、代表的な讃美歌を覚えた程度。皆様の前でそんな大事な儀式なんて出来るはずもなく。
「無理です。できません」
私はNOと言える日本人。無理なものは無理よ。
「これは、北部方面軍司令長官閣下の御発案です」
「・・・・・・」
ラ、ランカスター公爵。
呼び出しを食らった時の、嫌な予感が的中しはった。
「あのう。どうしてそんなお話に」
断れないことが確定したけど、せめて理由だけでも知らないと、この感情を咀嚼できない。
「それはですね」
つい先ほどのお話し。
公爵閣下は将軍様とか軍の偉い人たちと、今後の予定について話し合っていたらしい。
話し合うと言っても、予定は前もって決まっているので、その確認作業をしていた時の事。公爵閣下が言いました。
「今、思いついた。戦士たちの慰霊についてだがな」
「はい、閣下」
従軍司祭長が応える。
「慰霊の儀式は、エリカが司る事とせよ」
「エリカとは、エリカ・ド・アルカディーナの事でございますね」
「うむ」
「承りました。理由を伺っても」
「深い意味などない。だが、珍しくも神々の娘が従軍しておるのだ。あ奴がその任に相応しかろう。うら若き美しい娘が儀式を行えば、王国の為に倒れた戦士たちの魂にとっても良き慰めにもなろう。違うか」
「仰せ、ごもっともにございます」
って、ことらしい。
うら若き美女は誉め言葉だとは思うけど、嬉しくない。だってのしかかる責任の重さが半端ないもん。
「でも、私、儀式のやり方なんて知りません」
無駄な抵抗とは知りつつも、一回は抗ってみる。
「ご心配には及びません。慰霊祭までには覚えて頂けるよう、我々も最大限の努力を惜しみませんぞ」
「あ、ありがとうございます」
最後の救命ボートがひっくり返った。
こうして私の暇な時間は、きれいさっぱりと喪失しましたとさ。
全軍の足並みが揃った王国軍は針路を北へと取り、去年の進軍路をなぞる。その数およそ二万の大軍。彼らは数回の野営の後に、第五軍団が奇襲を受けた場所へとたどり着いた。
道には破壊された荷車がひっくり返り、人骨が散乱する地獄絵図。鎧や剣などの金属は持ち去られ、ぼろぼろの布切れのみが、かつての人の形をどうにか留めていた。
全軍は、埋葬と片づけを行いながらさらに進軍を続け、慰霊祭が執り行われる場所へとたどり着く。
目的地は第五軍団に先行して壊滅的被害を被った、第四軍団が奇襲を受けた場所。そこは、第五軍団の損害が如何に軽微であったかを証明するものであった。死体を見るのに慣れている王国の軍団兵ですら、嗚咽とすすり泣きを止める事が出来なかった。
エリックは馬上から散乱する人骨を見渡し、彼らのいまわの際に何があったかを想像できた。
算を乱して森へと逃げ込んだ所を、待ち伏せされ討ち取られた兵士。最期の抵抗なのか、荷車を集め簡易的な防御施設を作り、文字通りに最後の一兵まで奮闘したであろう形跡。包囲され一方的に嬲り殺されたであろう、折り重なった亡骸の群れ。戦闘終了後に、虐殺されたと思しき捕虜たちの処刑場。何よりも嫌悪感を掻き立てたのは、何かの儀式の生贄に捧げられたと思しき亡骸たち。
恐怖よりも、腹の底からこみ上げる震えるような怒り、胸の奥に痛みが走るがごとくの悲しみ。それと、最期まで戦い抜いた戦士たちへの畏敬の念を抱かせる光景であった。
全軍は、埋葬と清掃、そして慰霊碑の建設に取り掛かる。二万人もの男たちが存在しているとは思えない静けさの中、作業は進んでいくのであった。
「失われた軍団旗を探せ」
総司令官の命令が下される。
第四軍団は、その象徴である軍団旗を失っていた。
王国軍にとって、それは最大の恥辱である。全ての兵が懸命に捜索したが見つからない。恐らくは持ち去られたのであろう。今回の遠征にもう一つの目標が追加される。
全ての作業がひと段落し、日の光が傾き始めた頃。アルカディーナである江梨香を先頭に立て、慰霊の儀式が始まる。
いつもの白い軍装に、高価な緋色に染められた打掛を頭から被り、神聖語による追悼の聖句が小さく聞こえる。
その後、軍楽隊による讃美歌が演奏され、従軍している聖職者たちが死者の魂を慰めるべく歌った。
うろ覚えの讃美歌を歌いながら江梨香は、今すぐにでも逃げ出したい気持ちと、喉が血を吹くまで叫びたい衝動に突き動かされた。
想像を絶する惨たらしい現場と、それを巻き起こした戦争という理不尽に、脳が膨張するような痛みが走る。
やがて鎮魂の讃美歌が終りを迎え、森に静寂が戻ってきた。従軍司祭長が儀式の終わりを告げようと顔を上げた時、江梨香の体は自然とそれを制するかのように動いた。
「アルカディーナ様。どうなされた」
小声で尋ねる司祭長に小声で返す。
「少し、待ってください」
「はっ」
何か違う。何かが足りない。これでは終われない。これでは慰霊したとは言えない。
言語化できない想いが身体中を駆け巡った。そんな江梨香の顔に、木々の隙間へと沈んで行く夕日が降り注ぐ。
透き通った空気の中、淡いオレンジ色へと染まっていく西の空。赤や黄色に色づき始めた木々の葉から零れる光の粒子。それはとても美しい風景。
国境を越えた、深い森の中で倒れた多くの人々の恐怖と無念。その思いに対して、自分は何が出来るのであろうか、という問い。その答えは明白である。何もできない。死者に対して生者が出来ることなど、たかが知れている。だが、だからと言って何もしない訳にはいかない。何かしなければならない。そんな堂々巡りの思考の末に、江梨香の口から一つの歌が零れ落ちた。
子供の頃に覚えた歌。日本人であれば一度は聞いたことがあるであろう何気ない歌。死者を慰める鎮魂歌などではなく、夕日と共に家路へとつく歌。そんな歌が深い森に鳴り響いた。
遠巻きに儀式に参列していたエリックの耳にも、江梨香の歌声が届いた。
江梨香との距離は200フェルメ以上はあろうか。普通であれば歌声など聞こえない。先の讃美歌も薄らと聞こえていたにすぎない。しかしながら、その歌は、江梨香が一人で歌っている歌だけは、はっきりと耳に届いた。どこか懐かしい旋律に、神々の使う言葉が乗っていた。
周りの者たちも、その不思議な現象にざわめく。
「エリック様。エリカ様の、エリカ様の歌声が聞こえます」
エミールが不思議そうに眼を見開く。
「ああ、聞こえる。魔法を使ったな」
「魔法・・・これが魔法ですか」
「風の魔法だろう。無意識かもしれないが」
コルネリアが言うには、魔法使いとしてのエリカの能力は傑出しているらしい。儀式も呪文も唱える事無く、神秘の力を発現できる、天賦の才であると。であるのなら、歌いながらでも魔導の力を発現できるのだろう。
遠目に見えるエリカの姿は光っているようだ。あれは光の魔法の発露なのか、それとも沈みゆく夕日が最後の光をエリカに託したのか。夕日を受け黄金色に輝く木々の下、その姿は神々しく見えた。
さほど長くもない神聖語による歌が終わると、次は王国の言葉の歌声が流れ始めた。旋律は変わらない。エリカが先の歌を翻訳して歌っているのだと気づく。
ロンダー語によるその歌が流れだすと、兵たちの間に静かな、しかし熱い興奮の波が立ち上がるのを感じる。
てっきり王国や神々の栄光を称える歌か、鎮魂の歌かと思っていたが、全く違う内容だと分かった。
夕暮れと共に家族の待つ家へと帰る。ただ、それだけの歌であったが、何という郷愁。何という優しい歌であろうか。
エリカの歌声に身をゆだねているエリックの瞼に熱いものが集まる。
それを流すまいと、歯を食いしばって堪えた。
周りの兵の中にはこらえ切れず、目を覆う者もあらわれた。
エリカの短い歌が終わると、深い森は言いようのない静寂に包まれる。そして、小さく見えるエリカが、頭を深く下げる独特のお辞儀をすると、大きな拍手と大地を轟かすがごとき歓声が沸き上がった。
あいつは時々、本物の神々の娘になる。
続く
紀元前九年 テウトブルグの森(正確な現在地は不明)で壊滅した、クィンティリウス・ヴァルス率いるローマ軍三個軍団と補助兵団に哀悼の意を表して。
本文は、歴史家のタキトゥスの記述を参考に描いております。
参考文献 「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」 塩野七生著 新潮社




