プロローグ お礼
第三章、再開いたします。
「レキテーヌ年代記」 ジョルジョ・アンヴァー著
第三章 第二部 「ニース及びモンテューニュ」
第一部で述べた通り、レキテーヌ第一の都市がオルレアーノであることは揺るがない。そしてレキテーヌ第二の街が、ニースとモンテューニュであるという評価を、疑う者は少ないだろう。
この二つの街は本来別々の街ではあるが、双子の兄弟が互いを分かち合うことが難しいのに似て、この二つの隣り合う街は、不可分の存在である。
隣り合う二つの街というものは、大方仲が悪いというのが定番である。
ノイエタール地方のカラタンとフレールの街がよい例だ。
あの二つの隣り合う街は、事あることにいがみ合い、武器を交えた戦に発展したことも一度ではない。
だが、ニースとモンテューニュに、それは当てはまらない。
常に助け合い、互いを発展させてきた歴史がある。これは稀有な例外的事例といっても差し支えないだろう。
互いの強みと弱みを補完しあう両者の関係は、ある意味では理想の夫婦像にも例えられようか。
この二つの街の発展の礎は、初代・・・・・・
夏の終わりを告げる日の光が燦々と照り付ける草原で、ニースの領主エリック・シンクレアは愛馬アンゼ・ロッタに鞭を当てた。
力強い衝撃と共に加速すると、両脇に控えていた騎馬たちも一斉に後に続いた。
騎馬の一団は、アンゼ・ロッタにやや遅れはするものの、一塊となって草原を走り抜ける。
先頭をかけ抜けるエリックの表情には満足の色が浮かんだ。
「皆、上達したじゃないか。乗り始めたころに比べたら、見違えるようだ」
草原をひと廻りして馬を止めたエリックは、配下の上達ぶりを褒めた。
「まだまだですな」
春先から騎馬の訓練に勤しんでいたロランが、笑いながら首を振る。
「なんとか、若に付いていけるようになっただけです」
「この馬に付いてこれるのだから、大したもの。ロランの訓練の賜物だ。ありがとう」
エリックはアンゼ・ロッタの首筋をなでながら、謙遜する老家臣を労った。
この練度であれば、もうすぐ行われる蒐においても、醜態をさらすことはないだろう。
俺が王都に赴いている間も、相当厳しく仕込んだに違いない。
騎士になって初めての蒐なのだから、将軍閣下や若殿、セシリーにいいところを見せたい。
「武器の扱いはどうだ」
「形ばかりの剣を振り回せはしますが、戦で敵を倒すにはまだまだ」
「ものになるには、時が必要か」
「はい。これまで鋤や網を得物にしていた者たちです。来年の今頃には、少しは使い物になるかと。部隊として動けるのは来年ですな」
「そうなのか。来年か」
エリックとロランが辛口の批評に傾きかけると、シンクレア家、家臣筆頭のバルデンが口を開く。
「ご領主。そう、焦る必要もありますまい。ここしばらくは大きな戦もないでしょうから、ゆっくりと修練すればよいのです。軍団兵も、ものになるのは三年目を迎えた兵からです」
バルテンの指摘にエリックは大きく頷いた。
「そうだな。焦りはよくない。ロラン。引き続き彼らの指導を頼む」
「ははっ」
男たちが今後の訓練について話し合っていると、黒い小柄な馬に跨った女が近づいてきた。
「おーい。エリックー。私たち、そろそろ行くね」
白い外套を被った黒髪の若い女は、エリックに向かって気軽に手を振った。
「ああ、気を付けて行けよ」
「うん。四日ぐらいで帰るから」
「分かった。マリウス。エリカとユリアの護衛をしっかり頼む」
「承りました」
マリウスはきびきびとした動作で敬礼を返した。
彼はメルキアと王都での働きを評価して、新たに家臣として召し抱えることにした。
「じゃあねー」
「閣下によろしく伝えてくれ」
「はーい」
エリカはもう一度大きく手を振ると、街道へと姿を消した。
オルレアーノの店の確認と、司教座教会からの呼び出しに応えるためであった。
王都から戻ったエリックと江梨香は、休む間もなく働き続けた。
溜まっていたギルドの仕事をかたづけ、建築途中の教会の状況確認、江梨香の領地に関する報告を受けるなど、慌ただしい日々であった。
王都でのひと悶着の末、預かることとなった、ヘシオドス家のマリエンヌ嬢と、裁判での活躍が裏目に出てしまったディクタトーレのロジェストの二人は、完成したばかりの宿に逗留することとなる。
二人の落ち着き先も考えなくてはならない。
江梨香がオルレアーノに向かった翌日。
エリックのもとに、メッシーナ神父に付き添われたマリエンヌ嬢がギルド本部へと面会を求めてきた。
仕事の手を休め話を聞く。
波打つ亜麻色の髪を靡かせるマリエンヌ嬢からは、名門貴族の子女だけが持つ気品と美しさが漂う。
しかしながら、その表情は愁いをたたえていた。
「ご領主様。前にも申しましたが、エリカが私からのお礼を受け取ってくれないのです。何卒、お口添えください」
マリエンヌの嘆きにエリックは唸る。
この話はこれで二度目だ。
困ったことに、とでも言えばよいのか、エリカは王都で助けたマリエンヌ嬢からのお礼を一切受け取らない。
俺がメルキアで用立てたディアマンテルの代金や、各方面からの支援金の内、裁判終了後に残った金貨は、フィリオーネ金貨で400枚以上。更には換金しなかった「アリオンの雫」と呼ばれる大きなディアマンテル。こちらは金貨3500枚相当の価値がある。
これらの全ては解放後、本来の持ち主としてマリエンヌ嬢に引き渡されていた。
その莫大な財産から、マリエンヌ嬢はお礼を支払おうとしたのだが、エリカは絶対に受け取らないと宣言したのだった。
俺も受け取ったらどうだと勧めているのだが、頑なに首を縦に振らない。
どうにか説得した結果、エリカが持ち出した金貨に関してのみ、受け取らせることに成功した。
これだって、まる一日説得した結果である。さらなるお礼は不要だと一歩も譲らない。
「エリカはああ見えて・・・いや、見たままか。ともかく一度決めると、梃でも動きませんから。困ったものです」
「私財を投げうってまで、私の助命にお力を注いでくださったのです。何のお礼もしないとあっては、身の置き所がございません」
「お気持ちわかります。私からも何度か言っているのですが・・・」
「どうして受け取ってくださらないのでしょうか」
マリエンヌ嬢の言葉に腕組みして考える。
これまでも何度も理由を聞いたのだが、とにかく受け取らないの一点張りだ。
「私の当て推量になりますが、よろしいですか」
「お聞かせくださいまし」
「恐らくですが礼を受け取ると、エリカの行いが金貨目当てに貴方を助けたことになるから、ではないでしょうか」
「お金目当てだと」
「恐らく」
「誰がそのようなことを言うのでしょうか。そのような下劣な物言い・・・誰が・・・」
「もちろん誰もそんな事は言いません。あの状況で貴方をお助けして金を稼ごうなどと、誰も考えません。ですが・・・」
一度、話を止めて的確な表現を探す。
マリエンヌ嬢は行儀よく待っている。
「ですが、貴方からお礼を受け取ると、自分の行いが汚れると考えているのかもしれません」
「・・・汚れる。ですか」
「はい。エリカは騎士に叙任される前から、まるで物語に登場する騎士のように誇り高い女です。貴方をお助けしたのと同様に、アスティー家の令嬢セシリア様が、先のドルン戦役で行方知れずになった時は、進んで従軍し、また、多くの私財を投じ救出作戦を成功させました」
「はい。そのお話は、セシリア様から伺っております」
「あの時も、一切の報酬を受け取っておりません。将軍閣下からの騎士への叙任すらも、初めは断りました」
「まさか・・・」
「本当です。私もその場におりましたので驚きました。それらを合わせて考えるに、お礼を受け取ると、エリカの誇りが傷つくからではないでしょうか」
「なんと・・・」
「あいつは誇り高い騎士ですから、人助けは無償で行うと決めているようです。金儲けは大好きなので、分かりにくいのですが、恐らくはそうではないかと・・・」
俺の当て推量にマリエンヌ嬢は絶句する。
「"神々の娘"(アルカディーナ)の称号は飾りではないということですね」
それまで黙って会話を聞いていたメッシーナ神父が口を開く。
正にその通りだと思う。
「はい。人助けにお礼は不要と考えているのでしょう。まして、マリエンヌ様は、無実の罪で捕らわれておられたのですから」
エリックの指摘に、神父は大きく頷く。
「エリカ様らしい、愛に満ちた行いです」
「はい。ですがそれだけでもないと思います」
「他にもあるのですね」
「はい。あの裁判は、エリカにとっても自らの戦いであったのです」
「エリカ様、ご自身の戦いですか」
意味が分からないと、メッシーナ神父は首を傾げた。
「はい。そうでないと、あの状況下での頑張りが説明できません。エリカは本当に、銀貨一枚残さず、全財産を投じて裁判を戦いました。私も初めてエリカから王都での状況を説明されたときは、意味と理由がわかりませんでした。何のために全財産をつぎ込むのかと。ですがエリカは私に向かって、これは自分の戦いだと言ったのです。マリエンヌ様をお助けすることは、自分のためだと、だから報酬を受け取るわけにはいかないのでしょう。自分の戦いで人から報酬を受け取るのは、エリカの中で筋が通らない。罪のない貴方が獄から解放されることは当然。当然の結果に、お礼は不要だと」
一気にまくし立てたエリックは一呼吸置いた。
「そして、結果としてエリカは裁判には負けましたが、マリエンヌ様の命は助けることができた。エリカにとっては、それこそが勝利だったのです」
「なるほど。ご自身の戦いに勝利されたエリカ様にとっては、マリエンヌ様がご無事であったことが、何よりの報酬であったということですか」
「はい。神父のおっしゃる通りです。貴方が、マリエンヌ様が生きていることが、エリカにとって何よりものお礼であり、喜びであり、勝利の証なのです」
「なんとも、あのお方らしいですね」
「はい。ですからマリエンヌ様。エリカは既に貴方からの報酬をもらっているのですよ」
エリックの強い言葉に、目に涙をためていたマリエンヌは俯く。
哀れに思ったメッシーナ神父が助け舟を出した。
「しかし、エリック様。このままではマリエンヌ様の御心も晴れません。命を助けられたのにそのお礼も出来ないとあっては、マリエンヌ様の誇りも傷つきます。マリエンヌ様の御心を晴らして差し上げるのも、また神々の教えです」
全くもってその通りだ。
その通りなのだが、俺に言わせるとマリエンヌ嬢にも問題があるように感じる。
いや、問題と言っていいのかは悩むな。
ともかく、マリエンヌ嬢の問題とは、エリカへのお礼が高すぎることだ。
当初マリエンヌ嬢は、全財産をエリカに寄進すると言い出した。「アリオンの雫」を含め、フィリオーネ金貨にして4000枚相当の財産をだ。
これにはエリカでなくても戸惑うだろう。
説得の末に、全財産を差し出すことは撤回したが、「アリオンの雫」を譲渡することだけは譲らない。
俺もエリカの肩を持って「あれはヘシオドス家の家宝でしょう」と言ったのだが、だからこそ差し上げたいと返された。
金貨20枚程度であれば(これでも大金だが)、もしかするとエリカも受け取るかもしれない。これも一日がかりの説得になるとは思うが、将軍閣下に騎士の位の代わりに金貨をよこせと言った女だ。まだ見込みはある。
しかし、流石に金貨3500枚相当の宝石ともなれば、腰も引けるだろう。
俺だって受け取るかと問われれば否だ。
そんなものをもらっては、後が怖い。
だが、金貨20枚程度だと、今度はマリエンヌ嬢の気が済まないのだ。
エリカの尽力に見合っていないと。
それもまた正しいように思える。
エリカの王都での働きは、獅子奮迅という言葉こそ相応しい。他の誰に、マリエンヌ嬢を救い出すことができただろうか。
その働きぶりには若殿ですら、感心されておられたのだから。
エリカの働きが、金貨20枚かと問われれば、それ以上だと断言できる。
さらに言えば、金貨20枚で済ませてしまうと、マリエンヌ嬢の命の価値は金貨20枚であると公言したも同然となるのかもしれない。
金貨を20枚、持っている者の20枚ではなく、4000枚近い資産を持つ者の20枚だ。
同じ金貨20枚でも、重みが全く違う。
これでは名門貴族の令嬢として、受け入れがたいのかもしれない。
「安すぎる」と。
自身の命の価値は、少なくとも「アリオンの雫」と同等であるというのが、マリエンヌ嬢の矜持なのだろう。
自身の誇りにかけてもエリカに「アリオンの雫」を受け取ってもらわねば気が済まないのだ。
名門貴族というのも、厄介な生き物だ。
欠けた銅貨一枚すら受け取らないという女と、金貨3500枚相当の宝石でないと見合わないと主張する女に挟まれ、エリックは内心で頭を抱えるのだった。
「分かりました。私の方でエリカを説得する方法を考えます。何か理由があれば、あいつも受け取ると思います。お任せください」
「お願い申し上げます」
マリエンヌ嬢は救われたような面持ちで、深く頭を下げた。
やれやれ、請け合いはしたものの、どうしたものか。一度言い出したら聞かないからな、エリカのやつ。
「エリック様。私からも一つ、よろしいでしょうか」
マリエンヌ嬢に続き、メッシーナ神父が口を開く。
「はい。何でしょう」
「エリカ様の事についてなのですが・・・」
「エリカがなにか」
言いはばかる神父に、先を促す。
「その、エリカ様は王都からお戻りになられてから、あまりお休みになられていないように見受けられます。ギルドでのお仕事が忙しいのは分かるのですが、ご無理をなされているのではないかと」
「私もそれを案じておりました。エリカが、身体を壊さぬか心配です」
メッシーナ神父の指摘にマリエンヌ嬢も同意する。
「ああ、そのことですか」
確かに二人の言う通りだ。
俺たちが王都から戻って20日ほど経つが、戻った次の日からエリカは慌ただしく動き回っている。
いや、走り回っていると言った方がいい。
俺も忙しい日々を送っているが、エリカのそれには及ばない。
この頃のエリカは、日があるうちはギルド本部での寄合に出席し、現状の報告と新しい課題についての相談。その後、砂糖とカマボコの工房、ノルトビーンの畑、教会の建設現場、ラジック石の石切り場、自領であるモンテーニュ騎士領などを見て回り、問題点があればその場で対策を考え指示する。
日が暮れてからは、ギルドの帳簿をめくり、金と商品の出入りを隈なく計算し、間違いや不正が行われていないかを確認する。
それが終わると、各地から届いた手紙に目を通し返事を書き、一日の最後は、就寝直前まで俺との報告と相談に費やしていた。
今はユリアを引き連れて、オルレアーノの店の確認に行ってくれている。
本当にいつ休んでいるのかと、思うほど動き回っていた。
帰りの船上で、エリカからは頑張って働くとの宣言を受けているので、宣言通りの行動ではあるのだが・・・
「王都では色々ありましたから、エリカにも思うところがあるのでしょう。分かりました。身体を壊さないように、私からも注意しましょう」
「お心にとめていただき、感謝いたします」
神父がエリックに向かい頭を下げると、マリエンヌも後に続く。
「ご領主様。私に出来ることがあれば、何なりとお命じください。エリカに助けられたこの命、出来うる限りのことをいたしましょう。書に関しましては多少の心得がございます。祐筆でも何でもお任せください」
文字の読み書きができる人材は、今後のギルドの発展において必須だ。
マリエンヌ嬢の活躍できる場面は多いだろう。
「分かりました。エリカからお聞き及びでしょうが、将軍閣下からのお許しが出れば、マリエンヌ様には我がギルドの一員になっていただきます。既に幹部会では承認されているので、後は、閣下からのお許しだけです。エリカが閣下への嘆願書を届けるので、早ければ3日後にはお返事ができます」
「ありがとうございます」
前向きな返答に安心した二人は、エリックの執務室から出て行く。
それを確認したエリックは、大きなため息をついた。
二人の指摘通り、エリカの様子は少しばかりおかしい。何か思いつめたような表情で働いている。
上辺はいつも通りの笑顔だが、何かの拍子に陰りのある表情で俯いていることが増えた。
そして、その表情には見覚えがあった。
あの貌は、エリカがニースに来たばかりの頃のものと同じだ。
陰りの理由について、面と向かって尋ねてはいないが、心当たりはある。
そう、あれは王都での最後の日。
魔法によって守られた不思議な塔で、ガーター騎士団長とエリカは、長い間話し込んでいた。
いったい何について話していたのかは、聞いてはいない。
聞いていないのは、長い話が終わった後、エリカの目に涙があふれていたからだ。
俺はそれに驚いた。
女はすぐに泣くとは言うが、エリカは滅多に泣かない。
悲鳴と血しぶきが飛び交う戦場でも、理不尽と陰謀が渦巻く王都でも、決して涙を見せたりはしなかった。
あいつはどんな困難な逆境も、歯を食いしばって乗り切ってきた。
そのエリカが泣いている。
だとすると答えは一つしかない。
滅多と泣かないエリカが、唯一涙を流す。
それは故郷や家族に関わることだ。
この時ばかりは、エリカの目にも涙が浮かぶ。
きっと騎士団長から、故郷についての何かを聞き及んだのだ。だから様子がおかしくなったのだろう。
力になってやらねばならない。
とにかく、オルレアーノからエリカが戻ってきたら、しばらくの間は仕事の量を減らして楽をさせよう。
蒐も近いのだから、無理は身体に良くない。
エリックは、そう結論付けるのだった。
若き領主、エリック・シンクレアの悩みは深い。
続く
お待たせいたしました。
第三章。スタートです。お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。




