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大人のレンアイってなんですか?  作者: 花澤 凛


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白よりのグレー5



 「よう」


 千佳子はあの居酒屋に行くのを自粛した。好きな店だったが、万が一槇に会うと気まずい。

 趣向を変えてしっぽりとしたバーにきたが、そこには槇がいた。


 「…どうしてここにいるの」

 「ここも俺の通ってる店」


 オフィス街にある隠れ家だ。オーセンティックな音楽が流れている。

 新宿だけでも酒の飲める店は山ほどある。こんな雰囲気のいいバーだって探せばいくらでもあるだろう。それなのにどうしてここで出会すのか。


 「あの日は悪かったな」

 

 知らない人のふりをして離れて座るのも回れ右するのもどうかと思い千佳子は槇の隣の椅子を引く。少し高さのある椅子に腰を掛ければ、隣から謝罪の言葉が飛んできた。


 「あれからあの店にも来ないし、俺は大将に『客が逃げたのはお前のせいだ』って怒られるし」

 「事実でしょ」

 「…まあ、そうだけど。連絡先も知らないし、謝るにも謝れなかったからこの二週間ずっと気持ち悪くてさ。まあ今日会えてよかったよ」


 槇はグラスに残ったアルコールを一気に飲み干すと席を立つ。「チェックで」との言葉に今度は千佳子が慌てた。 


 「ど、どうして帰るのよ」

 「俺がいたら飲み辛いだろ?」

 「あ、謝ってくれたし別にいいわよ」

 「そう?でもさ、ここじゃあまり大声で話せないしそれなら別の店に行こうぜ」


 槇に誘われて千佳子は座ったばかりなのに腰を上げた。

 店員に「すみません」と頭を下げる。

 だが槇が「彼女のテーブルチャージ分もつけて」と言っていたのを聞いてちょっとだけ見直す。


 

 「俺さ、噛むくせあるんだわ」


 場所を移して近くの居酒屋に来た。

 金曜の店内は騒がしく誰もこんな話を聞いていない。聞いていないとはわかっていても「コンビニ行ってくるわ」ぐらいのノリで自分の性癖を話すことではないと思う。


 「気をつけてるんだけどさ、ついな。傷つけてすまん」


 あの日、自宅でシャワーを浴びた時に気がついたが、肩に歯形がついていた。

 いつ噛まれたのか覚えていないが、犯人は彼しかいない。


 その件について槇は頭を下げてくれている。

 

 「彼女にもそんなことするの?」

 「彼女だからこそするんだろ」

 「それで逃げられるんだ」

 「一応性癖は見定めているつもりだけどな」


 嫌がられたこともある、と槇は苦笑する。


 「壊されるかと思った」

 「よく言われる」

 「なんとなく結婚できない理由がわかったわ」

 「言うな」

 「でもソレって大切よね」

 「だな」


 槇はどこか諦めた顔でお茶割を飲みながらふうと息をついた。

 槇は結婚したいと思っていないようだ。母子家庭で育ち、父に引き取られた五つ離れた姉も今はシングルマザーだと話す。


 「結婚不適合者なんだよ、俺は」


 しかし、その顔はどこか諦めきれない様子が滲んでいた。

 

 「家族連れとか見るといいなと思わなくはない。でも、俺は父親を知らないし、家族もわからない。それに、自分以外の誰かに時間を取られるのは嫌だし、好きなことできなくなるのも嫌。結局俺はわがままで自己中だ。こんな奴は結婚しない方がいいしな」


 羨ましい、悔しい、ずるい、寂しい。

 槇の言葉に乗せられた感情が伝わってくる。

 

 その感情を千佳子もよく知っている。

 

 「私たち、同志ね」


 正確には違うが、他人を羨んでしまうあたりは同じ立場だった。

 千佳子は結婚までの退屈凌ぎであり、新しいおもちゃを見つけた気分だ。


 「…確かにな」

 「ねぇ、連絡先教えてよ。話したい時とか、誰かと食事をしたいときは呼んでもいい? その代わり槇さんも連絡くれていいから」


 女だって性欲はある。40になると減ると言うが千佳子の場合まだ未婚だからかしっかりとしたメスの欲求が強かった。そういう夜は誰か傍に居て温もりを分かち合いたい。褒められた関係ではなくてもそういう相手がいるのと居ないのとでは心の余裕が違う。

 

 「それは…噛むぞ?いいのか?」

 「そこは善処して。でも私は婚活するわよ?優しくて『おかえり』って言ってくれる旦那さん見つけるんだから」

 

 千佳子は宣誓した。つまりふたりは恋人ではないが、ソーユーコトを含めた相手になる。セフレよりは恋人に近いが「結婚」はできない。


 それは互いに求めるものが似ており、お互いにそれを持っていないからだ。

 だからこそ千佳子も槇も恋人として認識しなかった。

 自分達はきっとこれぐらい気軽な関係でいい。言うなれば部活仲間のような。いやそれは綺麗すぎか。

 

 「まずはそうね。近々あの居酒屋に行きましょう」


 ただ年齢のことを考えると長くは続けられない関係だ。

 それならこの期間を楽しむべきだろう。人生は短い。どんなことも楽しまないと損だ。


 「それは頼んだ。まじで。俺も行き辛いからさ」

 「もつ鍋美味しかったのよ。その代わり今度は奢りよ?」

 「わかったよ。女王様」


 へいへい、と呆れたように槇は肩をすくめる。

 千佳子はこんな関係も悪くないと思った。


 束の間の本命を見つけるまでのグレーゾーン。

 人生最後の遊びだと心に刻んだ。


 

 

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