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大人のレンアイってなんですか?  作者: 花澤 凛


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26/27

エピローグー1



 


「ただいま」

「おう、遅かったな」

「本国とミーティングあったからね」


槇の自宅に住みはじめて約1ヶ月。千佳子は週の半分、主に週末を槇の自宅で過ごし、残りの半分は自宅に戻っていた。何度か槇は千佳子の自宅にも泊まりにきた。「俺の家の方が綺麗だな」と失礼な言葉を残して帰っていったが。


「それ、なに食べてるの?」

「ん?これはせせりだな。盛り合わせ買ってきた」

「私の分ある?」

「好きなのつまめよ」


千佳子は「着替えてくる」とリビングを出ていくと思い出したように戻ってきた。


 「ビール、よろしくね!浩平♡」

 「……わーったよ」

 「ふふふふ」


 千佳子はるんるん気分で寝室に向かう。槇を「浩平」と呼ぶと非常に照れることがつい最近判明した。



 槇はまだ付き合っていない段階で千佳子のことを「千佳」と呼んでいた。今思えばその名前呼びも彼なりの愛情だったのかもしれないが、千佳子は基本遊び相手の名前は呼ばない主義だった。


 どこでポロッとこぼすかわからない。間違えると面倒臭いのだ。槇と付き合い始めた当初もその癖がなかなか抜けておらず「ねえ」とか「あなた」呼びだった。感情が昂ると「あんた」と言ってしまう。おまけに槇もそれを気にしていたらしい。


 だからか、初めて「浩平」と呼んだ時は驚きすぎて固まってしまっていた。その時の槇の様子が本当に面白くて。「え?今俺のこと呼んだ?」と大の大人がキョロキョロしていたのだ。本人の自宅で。


 思わず「あなた”浩平”じゃないの?」と笑ってしまったほどだ。



 いきなり名前を呼んだことで気を悪くさせてしまったかと思ったけど、ただ照れてるだけだった。この年になれば下の名前でなかなか呼ばれることがないらしい。だからか余計に恥ずかしかったようだ。


 そんな槇の反応が可愛くて、千佳子は最近無駄に槇の名前を呼んでいる。何度呼んでもちょっと恥ずかしそうなのが面白い。本人に言うと怒りそうなので言わないがずっとこのまま恥ずかしそうにしていてほしいぐらいだ。


 「ビール、焼き鳥、塩キャベツ♪」


 寝室のクローゼットに千佳子のスペースを作ってもらった。そこに部屋着やら普段着を置いている。その扉を開けて手早く着替えると再びリビングに舞い戻った。槇は千佳子に言われた通り、ちゃんとビールをだしてくれていた。残念ながらグラスに入れることはしないが(洗い物が面倒なので)千佳子の居場所を作ってくれることが嬉しい。

 

 

 


 「明日は?」

 「友人とランチしてくる」


 千佳子は明日綾乃と会う予定だった。なんとか丸く収まったことを伝えると「おめでとう!飲もう!」と返信が来たのだ。綾乃のこういうところが好きだ。千佳子は「ありがとう!飲む!」と返した。

 綾乃はもちろん、子どもを連れて来れないので旦那と都合を合わせてくれたんだろう。そしてその会合がようやく明日なのだ。もちろん夜は難しいので昼飲みではあるが。


 「ふーん?」

 「あ、信じてないわね」

 「そんなんじゃねーよ」


 槇はフンとそっぽをむく。千佳子は面白がるように頬を突っついた。


 「何よ、言いなさいよ」

 「言わねえ」

 「えーー、教えてよ。浩平♡」


 千佳子は缶ビールをテーブルに置くとわざとらしく胸を押し付けた。

 部屋着は槇のTシャツだった。つまりメンズ。槇にはちょうどよくても、千佳子にとって大きい。ゆったりとしたTシャツはもちろん襟元も開いている。普通にしていても胸元の膨らみの影が見えるのだ。槇と千佳子の身長差を考えれば姿勢によって深い部分まで見えてしまうだろう。自慢できる大きさではないが、ここ最近少し大きくなったのだ。槇様様ではある。

 千佳子は「ねえ」と槇に擦り寄りながら顔を近づけた。


 「…ぐっやめろ」

 「浩平♡」


 そんな槇は自分のTシャツを着た千佳子に「浩平」なんて呼ばれるとたまったもんじゃない。まじめに付き合ったことがなかった弊害がここにも現れてしまい、どうすればいいのか分からないのだ。


 適当にあしらえば千佳子が傷つく。そういうつもりはなくても自分の言葉は自分が思っている以上人を傷つけていたことを槇は過去の経験から知っていた。だからどうやってあしらえばいいのか分からないのだ。そして本気で嫌なわけではない。ここで「ひとり置いてくのかよ。寂しいじゃねえか」なんて言えるキャラならここまで困ることはなかった。たとえ嘘でもそんなキザな言葉は吐き出せない。

 

 「浩へ」


 どうすることもできなくてとりあえず唇を塞いだ。重ねた唇を二度三度味わうように合わせる。千佳子の目元がトロンと溶けて応えるように槇の首に腕が回された。槇はそれをいいことに千佳子の服の中に手を潜らせると地肌を撫でる。腰を背中を撫でて、いつものようにホックを外した。


 だけどここでいつもと違うのは千佳子だった。その腕を掴むとやんわりと拒絶する。千佳子は槇に「ねえ」と先ほどの質問の答えをねだった。


 「まだ聞いてない」

 「……」

 「教えてくれたっていいでしょ?」

 「……別に何もない」

 「嘘」

 「どうして嘘つかなきゃいけないんだよ」

 「顔がイヤって言ってるもの」

 「言ってねえ」

 「言ってる」

 「言ってねえ」


 

 「あーっはははははっ!ヒィいいいっ!あーおかしぃい!こどもか!中学生か!」


 翌日正午。綾乃と「乾杯」するなり千佳子は昨夜のことを愚痴り始めた。

 せっかくいい報告を先にしたかったのに、出てくるのは愚痴ばかりだ。


 「顔に書いているのよ?どこ行くんだ。それは本当に友人かって。なのに『言ってない!知らん!』って」

 「それで帰る千佳子も千佳子でしょ。彼泣いてるんじゃない?」

 「泣いとけばいいのよ、泣いとけば」


 千佳子はフンと鼻息荒くして「ビールおかわりください」とたまたま近くにいた店員を呼び止めた。まだ乾杯して3分だ。いくらここが洒落たカフェでビールが筒の細いグラスに入っていてもちょっと早い。


 「彼も予想外なんじゃない?だって一緒に住んでも千佳子結構出歩くでしょ?」

 「うん。普通に遊びに行くわよ」

 「土日べったりだと想像してたのに、あまり相手にしてくれないから拗ねてるんじゃない?話を聞いている限りだと友達少なそうだし」


 確かに槇の口から友人の話は聞いたことはない。出てきたのは可愛がっていた後輩ぐらいだろうか。その点、千佳子は綾乃もそうだが、悦子や倫子とも会っているし、他にも会う友人はいる。

 ちなみに先週悦子と倫子に会い報告した。坂本にも連絡を入れ、佐野のことを詫びた。「選ぶのは自由なんだから僕に謝らなくてもいいよ」と坂本は笑ってくれた。そして佐野にもいいひとを探してほしいことは念押しした。きっと何かあったんだ、ぐらいは勘づいているかもしれない。


 その頃、槇は自宅マンションで悶々としていた。

 千佳子が週の半分、大体木曜の夜から月曜まで共に過ごすようになったが、槇が想像している以上に彼女は自由だった。もっとべったりなのかと思っていたし、自分はそのつもりでいた。そのせいで気持ちも時間も持て余していたのだ。


 「……どうすりゃいいんだ」


 いつもなら昼過ぎぐらいまで寝て、映画を見ながら昼間から酒を飲んでまた昼寝をしてとぐーたらしている。夕方ぐらいに一人で飲みに出かけたり、今は少なくなったが仕事の付き合いに出かけたりもした。

 元々基本的にひとりで過ごしていた休日だったが、そこに千佳子が加わり恋人を尊重しようとしていたのだが、これが誤算だった。

 千佳子は恋人ができても一人行動するタイプで槇は置いてきぼりを食らっていた。

 そのため、今日もまたどう時間を潰そうかと考えている。そもそも千佳子は今夜こっちにくるのかすら分からない。昨夜素直になれない槇に千佳子が「じゃあ帰る!」と言って本当に帰ってしまったのだ。

 「一緒に住みたい」と言ったのはどこのどいつだ、と言いたいぐらい槇は千佳子の行動が分からなかった。ただまあ、あまりべったりしすぎないところは少しホッとした部分でもある。正確には拍子抜けした、という方が正しいが。


 

 

 木下家の愉快な日常を聞きながら仕事の話をしながらグラスを傾けていた休日の午後。時刻は2時をすぎた頃だった。遅くとも4時頃には綾乃を帰さないといけない。幼児のいる家は夕食も就寝も早いことを千佳子は理解していた。


【今夜どうすんだ】

 

 「噂の彼から?」


 千佳子の携帯に槇からメッセージが届いた。

 来るのか来ないのか、ということらしい。

 

 付き合っていない時は王様のように「来い」と命令していた槇が最近は千佳子の出方を伺ってばかりだ。それを千佳子は少し申し訳なくも思いながらも気長に付き合っていこうと思っている。


 【来てほしいの?】


 可愛くないことを言ってる自覚もある。

 槇が「来てほしい」と思ってることぐらいなんとなくわかるのだ。

 本当に来てほしくなかったら連絡などしてこない。千佳子が来ても出会わないようにとっとと飲みにでも出て行くだろう。こういうメッセージが来る時点で槇は千佳子が来るのを待っているのだ。そうわかっているのに千佳子は素直に「行く」と言えない。


 【どっちでも】


 それは槇も一緒だった。本当は来てほしいのに「きて」と言えない。どうして言えないのか。「行かない」と言われることが怖いからだろう。

 槇と付き合っていく中で知ったが、本当の彼は案外怖がりだ。それはきっと槇の家庭環境が原因だった。

 

 両親が離婚し、母親に引き取られられた槇だが、母は母で槇を養うことで精一杯。幼い槇と一緒に過ごしてあげることができなかった。運動会も授業参観も期待するたびに落とされた。裏切られ続けると期待することもアホらしくなる。

 本当は「来てほしい」のにそんなこと言えなかった。だから傷つかないように「どっちでも」というのだ。「来なくていい」とは言わなかった。本当にこなくなったら怖くて悲しいから。


 千佳子の存在が槇の中で大きくなればなるほど槇は予防線を張り回らした。それを千佳子は槇と向き合いながら丁寧に一本ずつ断ち切っていく作業が必要だった。


 【迎えに来て】


 迎えに来てくれるなら今晩そっちに行く、と千佳子は暗に告げた。

 槇はきっと「しゃーねーな」と言いながら迎えに来てくれるのだろう。


 帰りにどこか食事をして帰ればいい。昨夜のことを謝って、槇にちゃんと自分の気持ちを伝えてもいいんだと教えてあげなければと思う。



 「お前は、一体何をさせたいんだ…っ」


 カフェに迎えに来た槇は想像通り不機嫌だった。でも綾乃を紹介する時はにこやかな笑みを浮かべていた。槇は千佳子の会話の中で時々登場する「綾乃」をさりげなくチェックしていた。千佳子はもちろんそれに気づいていたが、値踏みするようないやらしい視線ではなかったので咎めなかった。

 帰宅途中、夕食をテイクアウトしたのに、食べる前にベッドに連れ込まれた。

 槇は相当お怒りだったらしい。感情をむき出しにして、でも心は正直に「寂しかった」と告げていた。


 「”寂しい”って言いなさいよ」

 「寂しくなんかねえ」

 「寂しくて、確かめたくて抱くんでしょ?」

 「ちがう」

 「認めた方が、らく、なのに」


 認めろ、と言うなら槇はとっくに認めている。

 でも認めたから、もっともっと深みにハマってしまったのだ。そこからどうやって抜け出せばいいのかわからない。

 

 

 「……週末にくるっていうから予定をあけてるんだ。なのにお前は平気で遊びに行く」

 「浩平も遊びに行けばいいじゃない」

 「来るって言われたら、家にいるだろう」

 

 律儀な槇に千佳子は笑う。だけど笑われた槇は何がおかしいのかわからなかった。


 「毎回出ていくわけじゃないじゃない」

 「大体どっちかいねーだろ」

 「そうだっけ?」

 「先週も、友人に会うって」


 槇は自分で言いながらひどく子どもじみた態度だと気づき急激に恥ずかしくなった。だけど、千佳子は彼の言葉で気持ちが聞けて嬉しクて、「よしよし」と汗ばんだ髪を撫でる。


 この人はどうしようもないほど心は子どもで、そのまま大人になってしまった。少々というかだいぶ面倒くさい。でも今は可愛くて仕方がない。


 「本当の気持ち教えて?どんなことでも受け止めるし、否定なんてしないわ。その代わりムカついたら怒るわよ」


 千佳子の言い分に槇はようやく笑みを見せた。そんなことぐらい知ってる。

 この1ヶ月一緒に住んでいる間に何度か小さな衝突があった。そのどれもがしょーもないことだが千佳子はそのしょーもないことにも付き合ってくれた。今だって「自分の気持ちを偽るな我慢するなちゃんと言え嘘をつくな」と言っているのだ。千佳子ははっきりものを言うし白黒つけたがるタイプだから隠すことを嫌う。


 「わからねえんだ」


 だから素直に白状した。この気持ちがなんなのかわからなかった。

 気づいたら千佳子のことを考えているし、一緒にいると楽しい。

 近づきたいしそばにいてほしい。でもいないといないでどこかホッとする時もある。それが申し訳なく思うのに、突き放されると怖い。この感情がなんなのかわからない。

 40も過ぎたおっさんなのに、と自分を見下ろす千佳子の頬に手を伸ばした。


 「それが恋なのよ」

 「…恋」

 「そうよ。本当の恋なの」


 千佳子は伸ばされた手のひらに頬を擦り寄せると槇の隣に寝転がった。

 本当は襲ってやろうかと思ったが、いつもより神妙なので茶化すのはやめた。


 「…本当の恋?もう42歳だぜ?あ、もうすぐ3だわ」

 「そうなの?いつ?」


 お祝いしよう、と千佳子は笑う。昔なら「そんなのいらねー」と簡単に切って捨てた。そうやって自分を守ってきたのだ。それに気づいたのもつい最近、千佳子に指摘されたからだろう。


 「…千佳は、こんな男で本当にいいのか?」

 

 千佳子はきっといろんな男性と付き合ってきたがそのどの人に対しても本気で向き合ってきたのだろう。だからきっと槇の機敏にも聡くてこうやって許してくれる。感情的だし暴力的だし意地っ張りで素直になれないのは傷かもしれないが、何も言わずに腹の中に溜め込まれるよりはわかりやすくてよほどいい。だからこそ、自分なんかでいいのか、とも思う。


 「あら、珍しい。弱気発言」

 「俺は自分の弱さに打ちのめされっぱなしだ」


 それは今まで向き合ってこなかったからだ、と千佳子に指摘され槇は反論できなかった。

 確かにその通りでそのツケを払う気がなかったのも事実。そして予想外の現実にこうしてあたふたしている。

 「40も過ぎたおっさんが本気の恋なんて誰得だよ。マジで」と言いたいぐらいには振り回されていた。


 


 


 


 

 

 

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