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大人のレンアイってなんですか?  作者: 花澤 凛


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大人のレンアイってなんですか?ー7



 

 朝日が顔を覗かせた頃、ふたりはベッドの中からそれぞれ会社に連絡をしていた。千佳子の掠れた声と気だるげな喋り方は電話口の相手を十分騙せたようだ。


 「明日も休めって言われたわ」

 「たまにはいいんじゃねーの」

 「そっちは?」

 「俺も有給が有り余ってるからそれで処理しておくってよ」


 ふぅと互いに小さくため息をつき、表情を緩ませる。

 槇が「ん」と腕を伸ばし、千佳子はその腕に頭を乗せた。

 まだ熱の引かない身体を寄せ合う。ついさっきまで繋がっていたそこに今はもう存在はない。だけど何度も執拗に刻まれた杭だ。まだ感覚はある。


 「……なんだよ」

 「よく保つわね」

 「まぁ、2、3週間ほどヤッてなかったしな」


 誰かさんと違って、と槇の声がまた不機嫌になる。これだけ気持ちを傾けていたのにどうして離れようと思ったのだろうか。千佳子はてんでわからない。

 やっぱりだいぶ捻くれているのだろう。ここまできても槇の口からちゃんとした愛の言葉もなかったのだから。


 「私が他の男に抱かれたの嫌だった?」

 「…面白くはねえな」

 「それ、ヤキモチっていうのよ」

 「…そうかよ」

 「嫉妬って知ってる?」

 「うるせーな」


 見上げた顔はひどく不貞腐れていた。こっち見んな、と目元を隠される。

 でも千佳子はその手をそろっと退けて、その腕を自分の肩に回した。


 「ねえ、ギュッとして」

 「…ん」


 槇は少し躊躇いながらも千佳子の肩を抱き寄せて抱え込んだ。千佳子は嬉しさを隠すように槇の顎の下に潜り込む。少し赤くなった耳を見た槇は目元を和らげると、くしゃくしゃになった髪に顔を埋めた。


 素直になれないのはお互い様だった。ただ、千佳子は好きなら好きだとはっきり言うタイプだ。本当は槇の言葉でちゃんと気持ちを聞きたい。でもそんなことしなくても十分に好意は伝わってくる。その証拠に今も少し不器用ながら抱きしめてくれるし、こういう甘い雰囲気を嫌がりはしない。

 もっと言えば昨夜は本当にひどかった。佐野と寝たことを知った槇の怒り方が、だ。「付き合ってなかったじゃない!」と千佳子が言っても「俺に告白しておいてよく他の男と寝れたな!!」ともうそれはそれはものすごい剣幕だった。顔は鬼のようだったし、槇の背中には氷山が見えた。

見た目だけは整っているので余計に迫力があった。


 事実槇の言う通りなので、千佳子は反論はしなかった。その代わり「拒否らなかったらこんなことにはならなかったのよ!」と言ってやった。つまりまあ、槇のせいだ。


 「あのさ」


 千佳子は槇の声に小さな反応を返す。だが散々、日を跨ぎ空の色が変わるまで感情をぶつけあったのだ。それは言葉だけでなく身体で。時には千佳子が槇に刷り込むように何度も肌を重ねた。その証拠に千佳子の声は今ひどく掠れて聞き取りにくい。「ん?」と返した反応は思ったよりも声が出なかった。


 「…毎日は無理だけど、その」

 「ぅん」

 「……来るなら来いよ。…その代わり、無理だと思ったら帰れって言うかもしれない…」


 しゅんと尻すぼみになる言葉に千佳子はクスクスと笑う。40も過ぎたいい大人の男が、とても勇気を振り絞っている様子におかしくなったのだ。千佳子を傷つけないように、嫌な思いをさせないように。そして、千佳子を傷つけてしまったことで自分がガッカリしないように。精一杯伝えようとしてくれている。

 

 


 「何がおかしぃんだよ」

 「だって」


 人が真剣に、と槇は目を釣り上げる。千佳子は掠れた声が時おり聞こえないぐらい大笑いしながら目尻から溢れる涙を拭った。


 「嬉しくて」


 槇はまた千佳子に揶揄われると思った手前、素直な気持ちを聞き逆に言葉に詰まる。何を言ってくるのか、何を言われるのか構えていた分、千佳子の嘘偽りない柔らかい表情に何も言い返せなかった。


 「大切にしようとしてくれてるって」

 「…っ、お、おう」

 「ふふふ」


 千佳子は槇の背中に腕を回す。ぎゅうと抱き締めて「ありがとう」と呟いた。途端に槇の身体がピシリと固まる。千佳子が不思議そうに見上げれば、槇の視線が面白いほど彷徨っていた。今まで真剣に誰かと向き合い、誰かと付き合ってこなかったせいで、こんなふうに純粋な気持ちを向けられることに慣れていないらしい。



 一体どれだけ打算と適当さで付き合ってきたのかと呆れたが、そのおかげで槇は今まで一人だったのだろう。勝手に「自分には無理だ」と思い込みその殻に閉じこもってしまった。その頑なな心がちょっと悪い男に見えて関心を寄せた女性は多数いたものの、結局彼女たちも槇が自分の思うように動いてくれないとわかれば離れていった。千佳子のように正面切ってぶつかってきた女性がいなかったのだ。


 「じゃあ、明日からくるわ」

 「(…今日じゃないのかよ)」

 「え?なに?」

 「なんでもねーよ」

 「寂しいなら寂しいって言いなさいよ」

 「寂しくなんかねえわ!ってか、いきなり大量に荷物持ってくんなよ。限度があるからな」


 素直じゃないわね、と千佳子は肩を竦めるが、十分進歩はしている。

 いきなりそれ以上を求めても仕方がない。なんたって人生の半分ほどそうやって生きてきたのだ。すぐに矯正できるはずがない。


 千佳子は笑いながら「はいはい」と適当に返事をした。もちろんまだ槇に抱きついたままだ。

 

 「本当にわかってんのかよ」

 「わかってるわよ。意外とモノが多いのね」

 「そうか?まあ好きなものを集める癖があるからか」


 主に酒と酒瓶だ。昔は外国の珍しい煙草や葉巻きも集めていたという。

 だがそれらは、仕事を通じて出会った人に売った。なんでも相当のコレクターで示された金額があまりにも大きかったせいでもある。

 当時の、まだペーペーだった会社員の槇にしてみれば一攫千金もいいところだった。ということで、あっさりと手放した。元々スモーカーでもなかったのもこれ幸いということだろう。


 

 

 比べるわけではないが、佐野の家はもっとシンプルだった。

 彼の寝室に入ったことはないが、性格的にもきちっとしているのだろう。

 槇の寝室は基本暗い。ダークな色合いで揃っているせいでもあるが、全体的に冬っぽいのだ。濃灰色というのは寂しさを感じてしまう。

 

 「……なんか余計なこと考えてるだろ」

 「なにも?」

 「ふーん?」


 何かを咎めるような視線に千佳子が苦笑する。きっと何を考えていたのか、何と比べたのか槇はなんとなく理解しているのだろう。そういうところは鼻がきく。かといって掘り起こしてくるわけではないが。


 「……佐野さんにちゃんと連絡しなきゃね」


 だけど、こうしてふたりがきちんと向き合えたのは、佐野のおかげだ。

 大将だけではきっと埒があかなかった。あのままでは千佳子が泣きながら自宅に戻り、槇と接触を絶ってしまう未来しか見えない。


 「不本意だけどそれは」

 「だったらとっとと認めればよかったのよ」

 「誰だって思わねーだろ。告ってきた女が他の男に抱かれてるって」

 「わかったわよ、もう」


 相当嫌だったらしい。槇がこの話題を出すのはもう何度目かわからない。

 セックス中、何度も「あいつに抱かれてどうだった?」と訊ねてきた。その度に「どうもない」と言ったけど槇は信じていない。事実佐野と身体は重ねたし、それなりに楽しい時間は過ごした。でもここまで感情が揺さぶられるほど、心が乱されるようなことはなかった。それを正直に打ち明けて『槇に逢えない夜を紛らわした』と伝えれば槇は渋々許してくれた。


 「…私の中ではずっとあなたに抱かれてるつもりだったんだけど」

 「……あいつはそれほど上手いのか」

 「違うわよ、そうじゃなくて」


 ずっと佐野を通して槇を見ていたのだ。今思っても相当ひどいことをしていたと思う。誘ってきたのはあちらでも利用したのは千佳子だ。やり場のない感情を消化させたかった。あとはまあ、槇への当てつけだ。ちょっとぐらいヤキモキすればいい、と思った。それは千佳子の予想以上に効果抜群で内心ほくそ笑んでいる。


 「どちらにせよ、ちゃんと会って謝ってくる」

 「…うん」


 槇は行くな、と言いたげに千佳子の背中を抱く腕に力を込めた。

 でも「自分もいく」と言わなかった。そんなところが槇らしい。

 でもそれでよかった。ついてきたらきたらで余計ややこしくなるのは簡単に想像がつく。


 


 「そうですか。よかったです」


 その週末、千佳子は佐野を呼び出した。佐野は千佳子から呼び出されるとは思っていなかったらしい。待ち合わせのカフェでざっくりと経緯を説明すれば、困ったように笑い、それでも「よかった」と言ってくれた。


 「本当にありがとう。そしてごめんなさい」

 「全然。僕だって、いい思いをしましたから」

 

 千佳子はいい思いがなんなのかわからずキョトンと首を傾げた。

 自分と寝ることがそれに当てはまるとは全く考えていないのである。


 「…たとえ千佳子さんの気持ちがなくても、僕にとって確かに好きな人でした。あなたが拒否しないから、その優しさにつけ込みましたから」

 「でもそれは私だって同じよ」

 「そうですね。僕の知るあなたはいつも余裕で、彼の前であんな風に泣いたり拗ねたりするんだと知って、打ちのめされましたから」


 佐野はどこか自嘲的に笑う。でもそれを批難することはできなかった。

 千佳子はただ黙って視線を落とす。少し氷の溶けたコーヒーグラスの中身が量を増していた。


 「…でも、楽しかったわ。これは本当よ」

 「はい。知ってますよ。僕を虐めて楽しんでましたよね」

 「…それはまあ、そうね。反応が可愛くて」


 つい目を逸らしながら「少しやりすぎたかしら」なんて零せば佐野は肩を揺らして笑う。


 「自覚、あったんですね」

 「う…、まあ、そうね…」

 「っ、ハハハハハハハっ」


 佐野が眼鏡を外して目尻に浮かぶ涙を拭った。その涙が笑いすぎの涙かどうか正直わからない。でも彼がそれで許してくれるらしいので千佳子はただ笑われることでやり過ごした。


 「もし、穏やかな時間を過ごしたくなったらいつでも連絡ください」

 

 帰り際、佐野は無理に笑顔を作りながらそういった。千佳子は少し迷って「ええ」と頷き返す。


 「多分、佐野さんと過ごす方が一般的には幸せなんだと思うわ。でも今の私には彼が大切なの」

 「はい、わかってますよ。ただ、僕としてはせっかくの出会いなのでこれで終わりというのも寂しいな、と思いまして。でもすぐに友達なんて無理です。すみません」


 ううん、と千佳子は首を横に振る。男女の付き合いなんてそんなものだ。だけど縁があって出逢った。これで終わりというのが寂しいという佐野の気持ちもわかる。


 「…いつか、佐野さんに素敵な人が現れた時に、相談ぐらいはのりますよ。たとえば、ビール工場に連れて行くタイミングとか」


 千佳子は冗談も含めて指摘した。佐野は泣き笑いのような顔で「ここでダメ出しですか」としょげる。でも本人も女性をリードすることに慣れていないことは自覚があるので「その時はお願いします」と頷いたのだった。



 


 

 

 


 

 

 

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