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大人のレンアイってなんですか?  作者: 花澤 凛


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大人のレンアイってなんですか?ー6



 「建設的に話をしましょう」


 佐野は暗に「いい大人だろ?」とお互いにそっぽを向いている二人に言い聞かせた。大将は「おぉ!」と驚きながら開けっぱなしにしていた扉を閉める。


 「あれ、お仕事はいいのですか?」

 「うん。大丈夫」

 「「……」」


 千佳子と槇が二人して大将に呆れた視線を向ける。大将はそんな二人の視線をスルーして佐野に笑いかけた。


 「さ、やろう」

 「…そうですね。えーっと。ではどうしてこうなったか、ということなんですけど、これは大将に聞いた方がいいかもしれません。客観的に話が聞けるので」


 佐野は二人に視線をやり特に口を開く様子もなかったので大将に視線をやった。そして、大将は自分の知る、ざっくりとした話を伝える。もちろん、先ほどの千佳子がブチ切れて店を飛びだした話ではあるが。


 「…なるほど。千佳子さんは告白したのに、彼は気を持たせただけで答える気がなかったと」

 「そうだな」

 「まあ、その話を切り取ると彼が非常に悪者に聞こえますが…」


 千佳子が黙ったまま俯く。槇は弁明もしなかった。


 「…あなたはなぜ、千佳子さんを追いかけたのですか?そしてどうして僕に苛立ちましたか?」


 槇グッと奥歯を噛み締めた。その顔は不本意極まりないと表情が物語っている。


 「大将、ちなみに彼には追いかけるように葉っぱはかけましたか?」

 「…あ、ああ。まあ、そうだな」

 「で、あなたは大将に言われたから追いかけたのですか?」

 「…そうだよ」

 「でも、僕達を見つけた時、別に見て見ぬふりしようと思えればできましたよね?」


 槇は無言を貫いた。そんな様子を見て千佳子はもうどうでもよくなってきた。



 真綿で包み込むような柔らかく優しい誘いに千佳子のグサグサに刻まれた心がふわりと温かくなる。大将は「お。やるな」と思いながら槇をちらりとみる。「このままじゃ持ってかれてしまうぞ」という大将の視線に槇はグッと言葉を飲み込んだ。


 だけど千佳子が「いやだ」と首を横に振った。槇は心のどこかでホッとしながら佐野を見る。佐野は千佳子を聞き分けのない子どものように扱った。


 「…どうしてですか?千佳子さんは結婚したいんでしょう?」

 「……そう、だけど」

 「彼を想っても結婚はできないですよ?」

 

 わかってる。わかってるわよ、そんなこと。

 千佳子は心の中で何度も繰り返した。


 「…でも」

 「僕は千佳子さんの理想の旦那になれると思いません?」

 「…そ、れは」

 「条件は合ってますよね?それに僕は千佳子さんが好きですし、大切にしますよ。この人みたいないい加減な気持ちじゃありません」


 畳み掛けるように佐野は千佳子に伝えた。落ち着いた声だが、どこか棘も感じる。

 大将は「おお、これは昼ドラ並みにドロドロだ」と内心浮つきながら彼らのやりとりを見守った。


 はぁ、と槇が顔を両手で覆って俯いた。

 その態度に千佳子はまた傷つく。立ち上がって槇を見下ろしていたけど、千佳子はもうこの空間に居たくなかった。


 「千佳」


 でもそれを引き止めるように槇が千佳子を呼んだ。どこか泣きそうな顔で初めて千佳子が見る槇の隠したい部分だった。


 「…俺は、大事にするってことが分からない。大事にしていたつもりだったけど悉く人が離れていくんだ。あぁ、俺は人を大事にできないやつなんだと思うとさ、だったら適当な距離で離れた方がいいんじゃね?って思うんだ」


 槇はよいしょ、と立つと鞄を持つ。

 千佳子はようやく心の奥底に秘められた槇の弱さを知って胸が痛んだ。


 「俺は、お前を傷つける。それでもいいか?」


 槇はまっすぐ千佳子を見て言った。喉の奥が熱くてうまく言葉が出てこない。唇が震えるし、勝手に涙が出てくる。それでもようやく向き合ってくれたのだから何か言わないと、と千佳子は必死に言葉を選んだ。


 「…わ、私だって、きっと傷つけるわ。でも、ちゃんと向き合ってくれるなら何度だってやり直せると思うの。ずっと目を背けて生きてきたならすぐに難しいとは思う、けど」

 「うん」


 槇はもう観念したように片手で千佳子を抱きしめた。

 「悪かった」と一言だけ呟く。その言葉に千佳子が「ほんとに!」と返せばいつもの槇らしからぬどこかしんみりとした表情に千佳子はそれ以上何も言えなかった。



 


 「硬いわね」

 「文句言うならどけろ」

 「いやよ」


 居酒屋から槇の自宅までタクシーで五分程度だった。ふたりは大将と佐野に頭を下げてその場を後にした。佐野は「よかったですね」と眉を下げて笑ってくれたが、千佳子は佐野に謝罪しきりだった。後日きちんと改めて会うつもりでいる。


 「冷たいわ」

 「保冷剤だからな」

 「ハンカチとかないの」


 そして槇の自宅に来てそうそう、千佳子は真っ赤な目と腫れぼったい瞼をどうにかしたくて槇に「何か冷やすものを」と催促した。槇は冷凍庫から保冷剤を持ってきたが、包むものも何もなく直に当てている。それにぶーすか文句を言いながら千佳子は甘えるように槇の脚を枕にしてソファーに寝転んだ。

 すっぴんも裸も見られているので今更泣いた後の顔など見られても平気だ。でもなぜか槇が畏まっているのか、千佳子から話しかけないと話が続かなかった。


 「…もの好きだな、お前は」


 槇は呆れるように千佳子を見下ろしながらそれでも嫌がることはなかった。

 千佳子は脚が引かれないことをいいことに枕にしておくつもりだ。


 「フリーランスのエンジニア、仕事は一応途切れずにあるんだろ?飯も作れて顔も悪くない。お前の好みは知らんが、B専でなければ十分だろ」

 「そうね」

 「あのな」

 「でも仕方ないじゃない。私だってこんなの予想外なのよ」


 千佳子は保冷剤で隠した目元からチラリと槇を窺った。槇は槇でまた溜息を吐きそうになりながらどこか堪えているようだ。


 「結婚したい、のはしたいわ。でもそれ以上に好きになった人と一緒にいたいの。私は、…あなたと一緒にいるのが思っていた以上に楽しかったのよ」


 千佳子は照れを隠すように身体の向きを変えた。槇に背中を向けて顔を隠す。


 「卵と紅生姜と七味で真っ赤になったドロドロの牛丼を分けて食べたり、どーでもいい話をしながら缶ビールで乾杯したり。この年になるとね、物欲はあまりないの。ううん、あるけどそんなの自分で買えるし、買えるだけお金はあるわ」


 槇は千佳子の話をただ黙って聞いていた。

 そして背中を隠す髪を一房持ち上げる。


 「でも、それを誰かと分かちあいたいじゃない。仕事で嫌なことがあった時、誰かに話を聞いてほしくなるし、人肌が恋しくなることもある。美味しくなくてもいい。同じもの食べて美味い、まずい、って笑って。そういうのでいいの。そういうのを一緒にできる人があなたならいいって」


 


 千佳子は隠していた気持ちを素直に吐きだした。誕生日にプレゼントを贈りあったり、時々は良いものを食べに高級レストランに行ったり、そういう特別なことも欲を言えばしたい。

 

 でも、槇とは何気ない毎日の方がきっと楽しいだろう。お互い大雑把だし感情的になりやすいし全然大人になれない。好奇心に導かれるまま、欲望のままに突っ走るタイプだ。


 「…究極を言うとね。別に一生結婚できなくても良いの。でも、他の女を抱かないで。私、すごくやきもち焼くし、多分めちゃくちゃキレるから」


 「……それは今回のことでスッゲーわかった。俺のことめちゃくちゃ好きだろって」

 「そうよ」

 「でも同時に、だからこそこれ以上深みにハマらない方がいいと思った。自分で近寄っといてサイテーだけど、本能的に潮時だと思ったんだよ。今までもそうやってこっちに踏み込んできた女たちを遇らっていたし、泣かれても怒られてもそれを貫き通せたんだ。でも、なぜか今回はそれができなかった」


 なんでかな、と槇が自重気味に笑う。

 千佳子は恐る恐る振り返りながら泣き腫らした目で槇を見上げた。


 「私のこと好きでしょ」

 「……うん」

 「やっと認めたわね」


 槇は逃げ場を失った犯人のように両手をあげた。降参だ、とどこか苦虫を噛み潰したように笑っている。


 「何その、不本意って顔」

 「不本意だよ。こんなにも本気になるつもりはなかった」

 「……大事にできないから?」

 「…あぁ。大事にできなくてまた自分に落胆することが怖いんだ」


 お前の言う通り、ただのヘタレで根性なしだよ。弱虫で意気地なしだ。

 

 槇はどこか諦めが滲んだ声でそのまま続けた。千佳子は起き上がると槇に手を伸ばす。小さな子どもが縋るように千佳子の腕をすり抜けて腰を抱いた。


 「俺の両親がそうだった。喧嘩ばかりでいつも傷つけあってた。姉も結婚はしたが離婚した。父も再婚したらしいが、結局最後は一人で死んだ。離婚するとかしないとかで揉めていたらしい。その女は父の葬儀にも出ずに、姉が喪主を務めたんだ」


 そんな家族を見たせいか槇もどこか「あぁやっぱり」と腑におちた。

 恋人ができても続かないし、彼女が泣いていてもどこか嘘くさく見えたりする。好意をむき出しにされると遠ざけたくなって、かと言って顔色を伺われると鬱陶しい。


 それを当時の彼女に言えば「人としてオカシイんじゃないの?」詰られた。槇なりに大事にしていた人だった。だけど彼女は最後に罵って去っていった。それ以降、同じことが何度か繰り返された。その度に落ち込んで納得して諦めた。


 「傷つけ合うなら初めからそのつもりならいいって、色んなことを諦めた。それが楽だったし期待なんかしたところでいつも落とされるだけだ」


 「……そういう人こそ、本当の愛を知った方がいいのよ」


 「ふっ、“そんなのあるもんか”って今までの俺なら言った。でも今、千佳の前でそれを言うのは失礼だと言うことぐらいは理解してる」

 


 


 千佳子の肩に顔を埋めていた槇はその顔をあげた。鼻が触れる距離で見つめ合い、どちらからともなく顔を傾ける。目を閉じて二度三度唇を重ねる。

 涙に濡れた頬のせいか、少ししょっぱさを感じた。


 「……間違ってもいいの。傷つけあってもいいの」


 千佳子はここで槇にちゃんと説明した。上部だけで伝えたところでこの男の傷を癒すことはできないだろう。だからこそ本心を伝える。


 「その度にちゃんと向き合ってくれればそれでいい。人間だから『変わること』はあるわ。でも今日みたいにちゃんと説明して。納得した上でちゃんと答えを出したいの。もちろん、私もちゃんと言う。隠し事はしないわ」


 千佳子は槇の目を見てしっかりと頷いた。槇は目を丸くすると「ふ」と口元を緩める。


 「お前は嘘つくの下手そうだもんな」

 「そうね。だからなるべく嘘は吐かないようにしてる」


 槇は小さく笑いながら甘えるように千佳子の首筋に顔を擦り付けた。

 その仕草がまるで野良猫が懐いたよう。自分を信頼してくれている感じがして嬉しくなる。


 「そういうところ本当男前だな」

 「よく言われる」

 「……もっと可憐で可愛い恋人がよかった」

 「殴るわよ」


 思わず肩より上に握り拳を作った。そんな千佳子を見て槇は楽しげに笑う。


 「だって嫌だろ。自分より男前って。金持っててさっぱりして付き合いやすくてさ」

 「だから貰い手がなかったのよ」

 「自分で言うな、自分で」


 槇は千佳子の握りしめた手を包みながらそれを下ろす。

 そしてもう一度千佳子が嫌がらないことをわかっていながら押し付けるように唇にキスをした。


 少しカサついた唇が千佳子の唇を撫でていく。口紅が取れて乾いた唇が槇の体温でじわりと暖かくなるのを感じた。いつもの、身体を重ね始めるような渇望したキスではない。飢えた獣のようなキスとは真逆の、安心感でお腹いっぱいになった子犬が甘えるように舐めるようなそれだった。


 千佳子はこんなふうに愛を伝えてくれる槇を愛おしく思いはじめる。

 ついさっきまで太々しくブスくていた顔が今はただ無心に千佳子に甘えていた。


 槇の手が勝手知ったるように千佳子のブラウスの下から潜り込む。

 片手でパチンとホックを外すと背中を撫でながら千佳子の目を見つめた。

 この雰囲気で「だめ」なんて言うほど野暮ではない。もう身体の隅々まで知られている間柄なのだ。今更恥ずかしがることはなかった。


 「んくっ」


 槇の舌が千佳子の口内を撫で回す。槇は千佳子をソファーにやさしく押し倒しながら先ほど解放された膨らみを手のひらに包み込んだ。手つきは優しいのに、どこか早急さを感じさせるようにキスが続く。


 息が苦しくて酸素を求めるように顔を逸らした。槇の唇が舌が、千佳子の首筋から鎖骨に滑っていく。


 白い肌に色づく紅い花。チリっと伴う痛みが嬉しかった。千佳子はその痛みに溺れながら、自分の胸や腹に顔を埋める槇の頭を撫で回した。


 「…おい」


 だけどここでピシッと槇が動きを止めた。せっかくいい感じに身体に熱が集まってきたのに。千佳子は「なに?」と槇のつむじ見ながら返す。


 「お前はアイツと寝たのか」


 人のことをあれだけ批難したくせに?と槇のこめかみに青筋が浮かんだ。


 


 

 

 

 

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