大人のレンアイってなんですか?ー4
________ピンポーン
綾乃と別れた後、千佳子は槇の自宅を尋ねていた。ドキドキしながらマンションのインターフォンを押す。でもその音は反復されるばかりで応答されることはなかった。何度か繰り返し押してみたものの結果は同じ。帰ってきていないのか、と千佳子は携帯を取り出して画面をスライドさせた。
メッセージアプリを開いてスクロールした。いつもならメッセージアプリを開けば上の方に位置する槇のアイコンが今はもう2回ほどスクロールしないといけないぐらい下になっている。それをタップしてメッセージを打ち込む前に電話のマークをタップした。
〜〜〜〜〜♪
「今どこ?」「会える?」そんな言葉が喉から飛び出てきそうだった。
いつ出るだろう、とそわそわしながら呼び出し音を聞き続ける。
しかし、ついぞ受話器を取る音は聞こえなかった。耳に届くのは軽快な音だけ。
「……なによ、出なさいよ」
千佳子は腹が立って何度か掛け直した。でも繋がらなかった。
いつもならすぐに出てくれるのに、今夜に限って出ない。
「馬鹿野郎!!」
千佳子は携帯に向かって叫ぶとそのままポケットに入れた。
でもすぐに携帯が振動する。慌てて取り出して画面を見た。
かけてきたのは佐野だった。画面を見て落ち込んだがそれを声に出してはいけない。千佳子は小さく深呼吸をして画面をタップした。
「…もしもし?」
『あ、もしもし?今平気ですか?』
「大丈夫よ」
『よかった。あの、今週末時間ありますか?よかったら出かけませんか?その、最近ずっとその…ホテルばかりだったし、ちゃんとデートしたいと思って』
千佳子は佐野を素直に尊敬した。曖昧な関係でいる千佳子をこんなふうに誘える彼がすごいと思う。だからこそ申し訳なくも感じた。今の千佳子はショックの方が大きい。それは槇に会えなかったから。会いたくて家に来たのに電話にも出てくれない。しかも、佐野から電話がかかってきたことに対して落ち込んだのだ。「槇じゃなかった」と。失礼にも程があるのに。
「…デート?」
『天気もいいですし、外に行きましょう!山梨のワイナリーとか』
「……やっぱりお酒なのね」
『え?駄目ですか?ワインが好きだって前に言ってましたよね?』
「昔ね」
『でも飲めますよね?』
「飲めるけど」
『じゃあそうしましょう!』
佐野も最近千佳子のことを理解してきたのか、自分の意思を押し通すようになってきた。
でもきちんと千佳子の反応を窺っていることはわかる。それに嫌な推し進め方ではない。
_______詳細は、メッセージで送りますね。
佐野はそう言って通話を切った。
千佳子は未だ着信が返ってこない携帯眺めて、そのまま槇の住むマンションを振り返って見上げる。槇の部屋はどのあたりだったかと漠然数えて立ち止まって眺めた。どのへんなのか正直わからない。でも灯りのついている部屋は少なかった。
千佳子はマンションに背中を向けるとさっき歩いてきた道を再び歩き始めた。
駅に向かっていた足をふと止めた。自宅に帰ろうと思っていたが、もう一軒、槇が今居そうな場所を知っていた。そこだろうか。千佳子は踵を返す。
コツコツとアスファルトを叩くヒールの音がやけに響いた。
「お、いらっしゃい!」
平日のこの時間はサラリーマンでいっぱいだった。
千佳子は大将と目が合うとニコリと笑いかける。
「ひとりかい?」
「ええ。…来てます?」
千佳子は店内を見渡して槇の姿がないことに肩を落とした。
大将もそんな千佳子に苦笑する。
「今日は来てないよ。昨日は来たけど」
「…なるほど。すみません、出直します」
「はいよ!」
大将は快く返事をしてくれた。千佳子は陳謝して扉を閉める。
なんだ空振りか、と落ち込みながら駅へと向かう歩道を歩いていた。
その時だった。
「…!」
人混みに紛れていたが槇らしき人を見つけた。
槇は平均以上に背が高いせいで頭ひとつ分飛び抜けている。だからすぐに分かった。あの長身は槇だ、と。
ただ近くに同じく背の高い外国人が連れ立って歩いていたため千佳子は気づけなかった。槇の隣には千佳子より若くて可愛らしい女性が一緒にいた、なんて。
…なによ、あれ。
槇を見上げて話す女性はとても楽しそうだった。そんな女性に対して槇はどうでも良さそうな顔をしているが、まんざらでもないのだろう。その証拠に、女が槇のスーツの袖を掴んでいてもふり解く素振りはない。
途端に急激に頭が冷めていく。それなのに千佳子の心は槇と共に食べたもつ鍋より熱く煮えたぎっていた。
しかし千佳子には権利がない。槇に「その女は誰か?」と問いただす権利はがなかった。
恋人じゃない。ただ都合のいい関係だ。
要はその女と同列だった。ただ槇を好きだと気づいただけ。そして拒絶されただけだ。それならその女より序列は下かもしれない。
「…ふざけんじゃないわよ」
喉からこみ上げてくる感情を奥歯を噛み締めて蓋をした。
みるみるうちに目頭が熱くなる。悔しい、恥ずかしい。こんなふうに泣きたくないのに感情が落ち着かない。
千佳子は何度か深呼吸をして涙を拭った。燃え上がる気持ちを必死に抑えながら「私は大人」だと自分に言い聞かせる。感情に任せてこんなところで迷惑をかけるわけにはいかない。大人ならもっと状況をよく見て適切な行動ができるはずだ。
近づいてくる彼らを千佳子は待つ。不意に槇と目が合った。が、すぐに逸らされた。
その瞬間、堪忍袋の尾が切れる。気がつけば槇を追いかけて通せんぼをしていた。
「どうして無視するのよ!」
「見りゃわかんだろ。連れがいるんだよ」
槇はうんざりした顔で千佳子に視線を向ける。
そんな視線を向けられたことに千佳子は悲しくて悔しくて仕方なかった。
「だから私の電話も無視したの?」
「電話?しらん」
あからさまな態度にとうとう脳の血管が切れそうになった。いや、プツンと音がしたかもしれない。
槇は「後で折り返すから」と千佳子の横を通り過ぎようとした。これ以上話しかけるなという無言のオーラだ。彼の雰囲気からヒシヒシと拒絶を感じる。
連れの女性は居心地悪そうに千佳子を見て槇が歩き始めたのでちょこちょことついていった。
そのひとつひとつの動作が千佳子とすべてが対照的だ。カッとなって足を伸ばす。槇はバランスを崩して、前のめりで躓き、地面に座り込んだ。
「知らなかったら知ればいいじゃない!!どうして知ろうともせずに逃げるのよ!!弱虫意気地なし臆病者!!ただ怖いだけじゃない!!」
午後八時半過ぎの飲食店街は人でごった返している。しかし千佳子の声はよく通った。
必然的に注目の的になり、周囲の人は千佳子の声に何事だと足を止める。
男女の痴話喧嘩を面白そうに眺める好奇的な視線にさらされながらもここで止まることなどできなかった。
「お前なあ!」
「図星でしょう!?何が『自分のテリトリーに毎日人がいるのが嫌』よ!したこともないのに決めつけないでよ!!大体、あんたでしょうが、先に私を連れ込んだの!!!」
「同意だったろうが!!」
「ホテルがわりに連れ込んでよく同意っていうわね?!もう一回小学生からやり直したらどうなの!?」
遠回しに頭が悪いと言われた槇はカッと怒りを表した。千佳子は槇に間髪入れさせないように言葉を続ける。
「だいたい人の気持ちが変わって何が悪いのよ!変わらないわけないじゃない!!ちょっとぐらい考えなさいよ!!何年社会人してんのよ!なんでもリスクを考えて行動するでしょうが!だいたいねぇ、先に内側に入れた挙句気持ちが変わったからハイサヨナラって随分と人をコケにしてるじゃない!今すぐここでぶら下がってるソレ、踏み潰して不能にしてやろうか?ぁあ”?!」
千佳子は槇の開いた脚の間にダンっと足を踏み鳴らした。
7センチのヒールが思い切り削れたかもしれないが後ですべて請求してやるつもりだ。
「ねえ、そこのあなた。逃げるなら今よ。こいつ、本当にクズすぎるから。この間も前に関係持った女に迫られて一人で追い返せなくて私に泣きついてきたんだから」
千佳子は道の片隅に突っ立っていたその女に勧告した。
まさか、この私の前で堂々と連れていくなんてしないわよね?という圧力をかけることも忘れない。
「その時にこの男のせいで女に焼酎のお茶割りをぶっかけられたの。全身真緑よ。氷が入ってて痛いし冷たいし臭いし。それなのにクリーニング代だけ払ってハイサヨナラってしようとしたのよ。自分に都合のいいことばかりで全くこっちのことを考えない最低のクズなの。別にあなたがそれでもいいならいいけど、被害者である私がいうわ。あなた、可愛いし若いんだからもっとマシな人選びなさい」
自分のことを棚に上げて千佳子は堂々と言い切った。
その女性は千佳子と槇の間で視線を彷徨わせて「あ、あの失礼しますっ」と踵を返したのだった。




