大人のレンアイってなんですか?ー3
「振られた?」
その数日後、千佳子は綾乃を呼び出していた。
「話ながら整理したいことがあるから付き合って」と言えば、何かを察したらしい綾乃が旦那から時間をもぎ取ってきたらしい。こういうフットワークの軽さは今も昔も綾乃は変わらない。それは理解のある旦那がいるからだとわかっている。羨まし反面、今はとても感謝していた。たとえ理解できていなくとも子どもに聞かせていい話ではない。
「…違うわよ。断られただけよ」
「それって振られたってことよね?」
綾乃はキョトンとしながら首を傾げた。
今ちょうど時系列で現状を話していたところだった。
槇に「一緒に住みたい」と言えば「無理」と言われたところで綾乃が「フラれた」と言った。認めたくなくて「フラれていない」と言ったが綾乃が「それはフラれたというのでは?」と不思議そうにしている。
「…そうよ。それで悔しくて」
「佐野さんを食ったのね」
「…最初向こうから誘ってきたのよ。その後はまあ、ずるずると」
「でた!曖昧な関係」
「何よ、それ。でたって」
「今流行ってるのよ!知らないの?『嘘つきは恋人のはじまり』ってドラマ!その主役のふたりがね、曖昧な関係なのよ。うふふふふ♡」
聞けば遠恋中の彼氏がいるヒロインは自分に好意を持って近づくヒーローと曖昧な関係になっているらしい。そのヒロインの心情が「彼氏がいても好きな人ができてしまったことのある女性」たちの心をくすぐり共感の嵐を呼んでいるらしい。ひとつ間違えれば炎上しそうな話なのに「綺麗な恋なんてない!」「人間だから欲深くていい!」「寂しい気持ちわかるし、彼と好きな人比べることもわかる!」とSNSが違う意味で萌えているんだそう。
「しかもベッドシーンが結構濃厚なのよ。地上波じゃできないわよ、あんなの。さすがネットTVね」
綾乃がうんうんと頷いている様子を眺めながら「そんなに面白いのか」と携帯に視線を落とす。
「で?千佳子は一回フラれたぐらいで諦めるの?そもそもまだ好きって言ってないでしょ?」
綾乃の言葉に弾けたように顔を上げる。
「昔言ってたじゃない。落としたい男には何度も告白するって。3回ぐらい真剣に言えば大体の男が『そんなに俺のこと好きならまあ付き合うか』って付き合ってくれるって自信満々に言ってたでしょ?」
千佳子は綾乃の言葉に過去の出来事を振り返った。
確かにあの当時、千佳子には怖いものはなかった。女としての自信もあり、仕事も楽しくて人脈を築くことに精を出した。おかげでそれなりの男と付き合ってきたし、いい男もクソ男も知っている。
「ほら、25歳ぐらいの時に付き合ってた人。15歳ぐらい年上で千佳子がプッシュしまくって付き合ったイケオジいたでしょ?年齢がうんたらって断られたって言ってたのに何度も果敢に挑んで落としてたじゃない」
つい今の今まで忘れていたが、そんな人と付き合った記憶はある。
確か、いくつか会社を経営していて、早くに結婚したがワーカーホリックすぎて奥さんと別れた男性だった。
「あの時ほら。同期で集まった時に言ってたでしょ。皆『千佳子の外見があればね〜』って苦笑してたけど千佳子は『契約取るのも同じでしょ?一回断られたからって諦めるの?だから数字取れないのよ』って呆れてたけど、その後その場を慰めるの大変だったのよ?」
その後のことはチラッと千佳子も他の同期から聞いた。千佳子の言葉を聞いた主に男性陣がすごい千佳子に嫉妬していたという。
「そういえば『女はいいよなー?ちょっと微笑んだだけで契約取れるんだろ?』って僻んでた奴いたわね」
「そうそう!その後千佳子が『だからモテないのよ。男だからとか女だからとか言ってる奴は一生数字からも女からもモテないわ』ってビール飲みながら言ってたの、すごく記憶に残ってる」
綾乃がうんうんと言いながら焼き鳥を頬張る。
「あの時の千佳子、イケイケだったじゃない。『断られたからってそこで終わる関係ならそれまでだけど、欲しいなら何度も挑戦しないと』って言ってたでしょ?『言わなきゃ意識しない男もいるし、言ってみないとわからないって。言ったら終わり、じゃなくて言わないとスタートラインに立てないのよ』って」
「…よく覚えてるわね」
千佳子はまさか綾乃がここまで自分の言葉を覚えていると思っていなかった。だから素直に驚いた。
「…覚えてるわよ。だって、雅…旦那のこと言われてるようでグサグサ刺さったもの」
綾乃は苦笑する。
「その彼がどうして千佳子と住みたくないって言ったのかは分からないけど、家にいれてる時点である程度許してると思うの。普通に泊まってけって言うぐらいだもん。他の女性より千佳子は近い存在よ」
「…うん。わかってるわ。これは自意識過剰じゃなくて、ある程度は気を許してもらってるってわかってる。わかってるから」
「フラれると思ってなかったんでしょ?彼ならなんだかんだ『いいよ』って言ってくれるって」
「…そうよ。そういう甘い気持ちもあったわ」
「それに貸しひとつ、だっけ?それもあったしね」
「そうね」
「じゃあ、千佳子はちゃんとその彼に『好きだからそばにいたい』って言わなきゃ」
千佳子は隣の彼女を横目で見た。まさかそれを槇に言えと言うのか。
「言ったら離れていく人よ?」
「でも恋人はいたでしょ?過去に」
「……いたけど」
「その子たちは『好きだから一緒にいたい』って言わなかったと思う?むしろ言ったから『勝手にすれば?』ってなったんじゃない?」
目から鱗だった。槇にそういう発言はNGだと思っていた。
だって自分から提案したし、そもそも寄りかかってくる女は嫌いな男だ。
「千佳子はさ、きっとその男よりお金もあるし、服やジュエリーや強請ることないでしょ?一緒にいて、自然体で居られればその彼だって考え直すかもしれないし」
「……そうね」
「結婚もいろんな形があるわ。子ども、ほしいなら少し考えたほうがいいけど、千佳子はどっちでもいいんでしょ?」
「そうね。年齢的に考えても焦ったところでどうしようもないし」
「あとは…“結婚”とか“家族”に呪縛のある人かもしれないけど」
呪縛、と聞いて千佳子はちらっと槇がこぼした言葉を思い出した。
彼の両親は離婚した。姉が父についていき、槇は母とふたり生きてきた。
姉とは父の葬儀で久しぶりに会い、その後は年に数回食事をするようになったと言っていた。でもそれでも『家族』という意識はなさそうだった。小さい頃に離れ離れになってしまったら仕方ないかもしれない。
千佳子の両親はありがたいことに健在だ。旅行が好きでよくふたりで出かけている。さすがにもう70を過ぎているので近場ばかりだが、ついこの間も箱根の温泉に行ってきた、と電話で話した。
「DVを受けた子どもは自分が親になった時に同じことをするっていうじゃない?だから子どもを作らない人もいるって聞いたことあるわ。そういう傷があったりするとやっぱり怖いんじゃない?DVだけじゃないけど、親に対するトラウマというか」
千佳子は飄々とした槇しか知らない。
酒を飲み、好き勝手におもちゃのように人を抱く槇しか知らない。
彼が何を好きで、何が嫌いで、どういうときに安らぎを覚えるのか。
何に怖さを感じて、何に楽しさを感じるのか。
知らないことの方が多くて愕然とした。
「……何も知らないわ」
「だったら知ればいいじゃない」
「……そうね」
「契約取るときは相手を入念に調べるでしょ?」
「…うん」
綾乃は千佳子が今日やっと心から笑った顔を見てホッと胸を撫で下ろした。
店に入ってきた千佳子は、類を見ないほど落ち込んでいたのだ。
どれだけ落ち込んでも「悔しい」が先に感情に出る子だった。
それなのに彼女の表情からは「寂しい」しか感じられなかった。
「で、その食っちゃった彼はどうするの?」
「……」
「物足りないんでしょ?」
「……誠実でいい人よ」
「でも千佳子はそういう人求めてないでしょ?」
ゔっと言葉に詰まった。いつもの千佳子なら「キープしとくわ」って簡単に言える。でも今はどうしてか言えなかった。それは彼が本気で千佳子に心を砕いてくれているとわかるから。そういう人にはきちんと向き合わないのは千佳子の心情に反する。
「そもそも間違いだったのよ。『おかえり』って家で待ってくれる男性なんて千佳子には合わないわよ」
「そんなことわからないじゃない」
「だって千佳子男だもん。対等にビジネスの話をしたいし、対等に自分を扱ってくれる男が好きでしょ?」
「そういう男性で家で待っててくれる人がいいの!」
「じゃあ、その佐野さん?だっけ?その人でいいじゃない。フリーランスのエンジニアで自分で自分を養ってるってことは社長でしょ?ドMだけど」
「ドMはいいのよ。別に」
「でも物足りないんでしょ?」
「育てるのは楽しいわ」
「師弟関係ね」
でもそうじゃない。そうじゃないと千佳子も知っている。
あの目で見られたかった。千佳子を女として見るハイエナのような目が。
飢えた獣のように渇望したオーラが。
「ドMの扉が開いたのね」
「ドMにドMって言われたくないわ」
「あらー。私はドMじゃないわよ。ふふん。この間だって」
「いいわよ、そんな話」
「え?聞いてよ」
「いやよ。あの綺麗な顔してドMだなんて、綾乃の旦那どれだけ兼ね揃えているのよ。羨ましすぎるわ」
千佳子は本心からそう言ったのに綾乃はちょっとだけ顔を顰めた。




