分かってるけどわかりたくないー7
「おう」
「…なによ」
「どうしてそう喧嘩腰なんだよ」
佐野とは食事をした後健全に別れた。
テーブルを挟んで対面に座っていた佐野は、千佳子の隣に座ることもなく、かといって帰りがけに何かしてくることもなかった。
お互いビール2杯ほど飲み、腹を満たして帰った。時刻はまだ夜の八時なのにだ。
「メガネ持ってこいってヤる気満々、みたいなメッセージ送りつけてきたのは誰よ」
「それでくる方もくる方だけどな」
「じゃあ帰るわよ」
千佳子が脱ぎかけた靴をもう一度履き直す。
槇は千佳子の腰を抱くと屈みこんでキスをした。
「やめっ、んんんっ」
ぐいっと顔を押し返す。だが腰を抱き締められて顎を掴まれてしまったせいで千佳子の力では槇に適うわけがなかった。おまけに舌が入ってきてそれどころじゃない。
「もう、ちょっと!いきなりがっつきすぎ!!」
「餃子食った?」
「食べたけど、そんなの当てなくていいから!」
ナハハハハハと笑う槇は楽しそうに部屋に入っていく。
このまま帰ってやろうか、と一瞬背中を向けたくなったが、リビングに入る手前で槇がこちらを向いて待っている姿にもう諦めるしかないと腹を括った。
(そもそもあんなメッセージをもらって来た時点で私もその気なんでしょうに)
この男に「来てそんなつもりはなかった」なんて冗談は通じない。
残念ながら、千佳子もどちらかといえばその考えの人間だ。
佐野のような初心さは生まれた時からきっと持ち合わせていなかったのだろう。
「で。餃子食ってビール飲んで?それで?」
ソファーに座れば当たり前のように槇が隣に腰をかけた。
一応お客様仕様らしく、空のグラスは目の前に置かれている。
だが、その前にはウイスキーとアイスボックス、マドラーといかにもな仕様。大きなテレビでは、今人気バライティー番組が放映されており、時折笑い声が部屋の中に響き渡った。
「そ、それだけよ!ってかなによ。人を風俗嬢みたいに呼ばないでくれる?」
「俺は一度もそういうの利用したことねえぜ?」
「自慢じゃないでしょ、それは」
槇はグラスの中身を口に含むとそのまま千佳子に移してきた。
準備できていない千佳子は全てを受け入れることができずに口の端からウイスキーを垂れ流す。
「ちょっ、ゴホッ、熱っ」
喉が焼けるように熱い。
この酒は一体何度なんの、と千佳子がウイスキーボトルに手を伸ばした。
「40度!高いわ!」
「酔わすにはちょうどいいだろ?」
「いいわけないでしょうがっ」
思わずクワッと吠えた。だが槇は鼻で笑うだけでその手は千佳子の腰をいやらしく撫でている。
「撫で方!」
「今更かよ」
「だーかーらー、来て早々これはないでしょって言ってるの」
「嘘つけ。初めからその気できたクセに」
「話を逸らすな!」
「そのつもりなら今でも後でもいいだろうが」
今日の槇はいつもより丁寧だった。てっきりいつもより激しくされるのかと思えばそうじゃないらしい。いきなり始まったそれなのに、千佳子の予想よりはるかに優しかった。だけど、いつも通り性格が悪いのは変わらない。
「くさっ!超臭い!」
「まぶしー閉めろっ」
「アル中で倒れるわよ!!」
翌朝目を覚ました千佳子はまずこの部屋の空気の悪さに驚いて飛び起きた。
カーテンを開けて窓を全開にする。ここでようやく自分が全裸ということに気づき慌ててベッドの中に逃げ込んだ。
「ねえ、服ないの?服」
「ない。テキトーに着ろ」
千佳子は槇の部屋のクローゼットを開けて服を物色する。
ついでに顔を洗うために風呂を借りることにした。
「だいぶマシになったわね」
風呂に入りメイクを落としコンタクトも外してメガネになったことに解放感を感じながら槇のスウェットを着た千佳子は再び寝室に戻ってきた。
槇は煩わしそうに片目を開ける。
「…エロいな。今度メガネかけたままでスる?」
「そういうのが趣味なの?」
「男は幾つになっても憧れがあるんだよ」
ちなみに槇は白シャツを着てくれという。
中は面積の少ないランジェリーを希望した。
「意味がわからないわ」
「理解してもらわなくてもいい」
千佳子はベッドの縁に腰をかけながらまだ濡れたままの髪をバスタオルで拭く。脚を組み携帯をチェックしていると、拗ねているのか甘えているのか分からない槇の腕がお腹に回った。
「腹へった」
「そうね。冷蔵庫に何かあるの」
「つまみとビールと水」
「昨日何食べたの?」
「酒飲んで終わり」
そりゃ腹が減るわ、と思ったのはきっと千佳子だけじゃないはず。
槇は自宅にいるときはあまり食事をしない。
「どうして?」
「ごみ捨てが面倒臭い」
「究極の面倒臭がりね」
酒と氷なら確かにゴミは出ない。ウイスキーも瓶が開くのに時間がかかるだろう。ゴミ捨てに行くのが面倒くさいという槇の言い分に千佳子は呆れる。
「俺のシャツなのに女の匂いがする」
「私が着てるからね」
「この匂いだけで抜ける、痛っ」
本当にこの男は。デリカシーもクソもないのね!
千佳子が思わずでかかった言葉を飲み込んだのは、叩かれたにも関わらず、槇は小さな子供が母親を求めるように千佳子の腰に顔を押し付けたから。
「知ってる?相手の匂いがいい匂いっていうのは遺伝子的に相性がいいからなんだって」
「そんなの、キスした瞬間にわかるわ」
槇がふっと鼻で笑う。いつもの槇のはずなのに、なんだか胸がくるしい。




