分かっているけど分かりたくないー2
翌日、千佳子はいつもより上品な服装で待ち合わせ場所に向かった。
槇ならどんな恰好でも気にしないが(いや気にしろ)滅多に着ないワンピースに袖を通した。かっちりしすぎると仕事っぽくなるので適度にカジュアルさを求めたそれはいつか着ようとクローゼットの肥やしになっていた一枚。昨年買ったものなので時代遅れではないが、着てみて自分らしくないな、と苦笑した。
「春日井さん」
そ待ち合わせ場所はホテルに併設されているカフェ兼ラウンジだった。
ドレスコードはないにしろ、カジュアルすぎるのもと思ったが、意外とデニムのおばさま方も多い。
「佐野さん」
予定より7分早く到着したが、佐野はそれよりも早かったらしい。
「おまたせしました」といえば佐野はさわやかな笑顔でゆるく首をよこに振った。
「いえ、少し早く来て作業をしていただけなので」
佐野の言う通りテーブルの上にはノートパソコンが開かれていた。
込み合う前に来て場所をとってくれていたのだろう。
店内はランチ終了後の客とお茶に来た客でちょうど入れ替わりのタイミングだった。
「お食事は済みました?」
「ええ、軽くは」
実際朝と昼が一緒になったようなものだ。
もともと朝はフルーツをつまむだけ。そこに近くのベーカリーで購入したパンをかじっただけだ。
「食べられそうなら頼んでいただいて大丈夫ですよ。あ、お酒もあります」
それはありがたい。千佳子は素直にうなずいた。
佐野は千佳子にソファー席に座るように勧めると、テーブルにメニューを広げて甲斐甲斐しく世話を始めた。
「こういう男って嫌ですか?」
アルコール度数の低いフルーティーなグラスワインで乾杯した後、飲み会から今日までの10日間のことを話した。佐野は主に仕事の話ばかりだった。先日ひとつ納品が済んで少し一息つけたらしい。だが目の下には隈ができている。家の中で引きこもりな上ずっと仕事をしているって大変だ。この人は仕事をしながら死んでしまうのでは?と少々失礼なことを思ってしまった。
ちなみに、千佳子は仕事のことに加えて昨日綾乃に会ったことを話した。
もちろん槇の話はしない。佐野にどんな印象を持たれるかわからないからだ。
(坂本さんのメンツをつぶすことになるしね)
まあ坂本はそんなこと気にしないだろうけど、と内心で独り言ちる。
「…こういう男とはどういう?」
「世話焼きなんです。焼きすぎて嫌がられることもあったので」
佐野には年の離れた妹がおり、生まれたあとは母に代わって世話をしていたという。妹も兄に懐き、佐野は佐野で妹をわが子のように世話をしたらしい。
「それほどあなたを知っているわけではないから何とも言えませんが、少なくとも今の時点では嫌ではないです」
千佳子は苦笑しながらどこか胸を撫でおろす佐野を見る。
もっと自信のあるような男かと思えば色んなコンプレックスがあるらしい。
千佳子の知る男とは真逆なタイプだった。真面目で優しくて、言い方は悪いがきっと面白味のない男だ。
多分、賭け事をしたこともクラブに行ったこともないと言いそうなほど箱入り息子のようだ。
初対面で質問攻めはNGと言われた。千佳子は基本的に気になることがあればその時聞き出したいタイプだった。だが、質問ばかりすると面接されている気がする、という調査結果がある。そのため千佳子も今いろんな質問を飲み込んでいるところだ。
(こういうの考えるのが面倒くさいのよね)
はじめは、駆け引きのようで楽しかった。
質問のパターンをいくつか覚えれば話は弾んだ。しかしそれはつまらなかった。つまらないし味気ない。
つまり仕事。人事面談。部下との面談、中途採用の面接をすることもある千佳子にとってそれが非常に仕事というか作業に思えて仕方なかった。
「なんでも聞いてくださっていいですよ。その代わり、僕も聞きます」
だが佐野は今日は無礼講だと言って笑った。千佳子が少し黙ってしまったせいだろうか。気を使ってくれたらしい。その心配りに「それじゃあ」と当たり障りのないことを尋ねる。
「最近食べたもので美味しかったものってなんですか?」
食と天気は基本誰にも通じる話題だ。お店の名前が出ても家庭料理が出ても話の幅を膨らませやすい。
「…仕事おわりのビールですかね。あれはいつ飲んでも格別ですね」
佐野は少し考えて慎重に答えた。それほど慎重に答えなくても、と思いつつも彼の答えに素直に共感できるため「わかります」とひとつ頷く。
千佳子は酒の中で一番ビールが好きだ。20代30代は気取ってワインやらシャンパンなどを飲んでいたし実際当時は美味しく感じた。
でも40代に近づくにつれて、焼酎のお湯割やら緑茶割も好むようになり結局一周回ってビールに戻ってきた。
「お酒ではビールをよく飲まれます?」
「そうですね。元々弱くて酒も苦手で果実酒ばかりだったんですけど、30過ぎて急にビールが美味しく感じ始めたんです。舌が馬鹿になったんですかね」
ははははは、と笑う佐野はもうさほど緊張しているようには見えなかった。多分今日がホテルのカフェではなく居酒屋ならもっと早くに砕けられたかもしれない。
ビールは少なくとも100種類以上あると言われている。おまけに材料やアルコール度数によってそれがビールではなく発泡酒だったりエールだったりと名前が変わるらしい。
「ビールによって、美味しく飲めるグラスなどもあるんですよ。このビールだと筒が低いものがいい、とか、瓶のままそのまま飲む方がいいとか」
佐野はビールが好きらしく色々な豆知識を披露してくれた。
まるで誰かに話したくて聞いてほしいと一生懸命な小学生のよう。
千佳子は美味しく飲めるなら、その原材料が麦でも米でもなんでもいい。
アルコール度数が高かろうが低かろうが自分が美味しく飲める程度なら特にこだわりはなかった。
「ビール検定?」
「そうなんです。実は一級持ってるんです」
何でもかんでも資格を作ればいいというものではないと思うけど。
千佳子はその言葉を飲み込んで呆れるような目を向けた。
だがそんな彼はまるで「褒めて」と言わんばかりに尻尾をふりふりしているように見える。
「次はビアソムリエをとりたくて密かにテイスティングの練習をしたりとかしています」
ちょっとだけ自慢するように言う佐野は自他ともに認める凝り性で一つの物事に集中すると周りが見えなくなるらしい。そんなことでこれまで一応交際した女性もいるが、あまり長く続かなかったという。
「彼女そっちのけで好きなことしてますし、会ったら会ったで世話を焼いて少々口がうるさくなったりして鬱陶しがられて」
最後は「つまんない」と言われるという。
「気づいたらこの年ですし、婚活したところでと思ったんですけど春日井さんのような自立している女性が多くて逆に僕は嬉しい悲鳴です」
まるで温泉に浸かっているように「ここは天国」と表情を緩めている。
確かに、この間の飲み会に来た女性たちの多くは何かしから自分で仕事をしたり生計を立てたりしている。倫子は派遣で働きながらハンドメイドのネットショップを運営しているし、悦子はカウンセラーの資格をとってシングルマザーを応援する子育て支援の会社を立ち上げた。そんな二人を見ているとずっと会社員をしている自分は生ぬるいとも思う。もちろんリスクがあるので一生雇われでいいとは思うが、その中で極力稼ぎたいので実力主義の会社を転々としていた。
「…自立、ね」
「ええ。自分で生計立てて自分の面倒を見れるなら立派な大人です。他人にご機嫌伺いされる人はちょっとごめんなさい」
「…佐野さん、結構お口が滑らかですね?」
「え?そ、そんなことは…?すみません。意外と毒舌だと言われます」
「や、毒舌とは思いませんが」
自分と比べれば全然だ。佐野は「本当?」と千佳子の言葉の真意を図るように顔色を伺う。千佳子はさすがに口には出せないため曖昧に頷き返した。




