30 断罪刃
「……魔性器變……」
囁き終える寸前、肩からは魔剣の刃が凄まじい速度で引き抜かれていった。さすが歴戦の危機察知だけど、置換はすでに完了しています。
「何を、した」
勇者セイギは、私の血でまみれた魔剣の切っ先を、私の喉元に突き付けて、真顔で冷たく問いかける。
「痛いのも、そんなに嫌いじゃないのですが……勇者サマったらあんまりへたくそだから、がまん出来なくて」
「ッ……お前が僕に何をしたのかを、聞いてるんだッ!」
「あら、おわかりでしょう? ご自分のカラダのことですもの」
私は微笑を浮かべたまま、両手で左右から魔剣を包み込む。いびつな刃の側面を、淫らに這いずる指先──秘撫「天使の先触“双翼”」。
「──ヴッ!?」
目を見開いて魔剣をびくびくと震わせながら彼は、内股になって腰を後ろに引く。
剣先から空中に漏れ出た精気を両手で回収しつつ、私は背中から展開させた右の片翼で追撃します。──収納する前より大きな、紅い翼刃で。
「──おごふッ!?」
それを咄嗟に魔剣で受け止めた直後、彼は悶絶して白床をのたうち回る。
無様な醜態を見下しながら左の翼も展開した私は、紅い双翼を交差させて、転げ回る彼の魔剣を鋏み込んで床に磔けにします。
「まま待て、それは待ってくれ……! そうだ、僕は女神さまに頼まれて、世界を救うために戦ってきただけでっ……!」
地べたに這いつくばって、運命を悟り泣き喚く彼に、私は淡々と問いかける。
「──ねえ、勇者サマ。あなたはこれまで、いくつの懇願を踏みにじってきたのかしら?」
きっとリリスなら──いいえ、リリスは回答など待たない。
「ごめんあそばせ」
「ひィ……あぎッ…………」
バギンッ
紅い翼の鋏で、白床ごと魔剣をねじ切りました。
──瞬間。どこかでニャアと猫が鳴いた。
いつの間にか、私の足元で二匹の仔猫──黒猫と、美しい蒼銀の毛並みの猫が、踊るようにじゃれあって、やがて一つに重なり消えていきました。
同時に私の記憶のなかの靄がきれいに晴れ渡り、前世でリリスが彼に、今の私とまったく同じことをしていたと、思い出す。
琳子とリリスの記憶が、まっすぐ一本の線につながった。
──猫たちの消えた足元で、記憶をつないでくれた張本人は全身びくびくと痙攣させています。
勇者として、同時に男としての象徴を目の前でねじ切られた彼は、白目を剥いて泡を吹き、各種の汁を垂れ流していました。
それでも魔剣の肉色の断面から噴出していた鮮血はすぐ止まり、自動完癒による再生がはじまっています。
さすがは無敵で不死身の勇者サマですね。
「そういえば女神さま。もしかして、私もゴルゴーンと同じように、彼に殺られたとお思いでした?」
「……ちがう、の……?」
女神は、無に近しい表情で問い返してくる。
蒼銀に染まった髪をかきあげつつ、私は答えた。
「ふふっ、おもしろい女。こんなのが私を殺せるわけないじゃない」
はやくも半分まで再生した魔剣を、再び双翼で床に縫い付けながら、無言の女神にさらに追い打ちをかけます。
「それと、これは推測でしかないのだけど。神様の方から私たちに干渉できるのはたぶん生死の瞬間だけ──神は遍在すれども全知全能ならず、という感じですか?」
そもそも遍在する個々の情報共有がどうなるのか、疑問は色々あるけど、少なくとも神様は思ったほど万能ではなさそうです。
女神から答えはない。私は構わず続ける。
「だから女神さまは、彼の末路を知らないのでしょう? うちの世界に来た彼は、まだ死んでいない──」
そして魔剣の刃が修復され切った瞬間、再びねじ切った。彼はすべての体液をまき散らし、のたうち回る。
前世と同じように、何度でもそうしましょう。──不死の肉体を持つ彼の、精神が砕け散るまで。
「──私の棲処だった迷宮の底で、廃人になって汚物に埋もれています」
それが愚かにもリリスに挑んだ、無敵で不死身の勇者の末路でした。




