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想い出  作者: 彼岸  章華


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感激にて

 やはり、雄一郎さんは素晴らしい。

 これが、私がこの日再認識した事である。




「そうですね。僕が初めてその場所を知ったのは、もう何十年も前のことになるでしょうか」

 

 雄一郎さんが口元に手を当てながら、懐かしそうに呟いた。


「へえ。随分、昔の話のようだね。それにしても、その話って、男二人で話す事かい?」


 すると、雄一郎さんは口元に笑みを浮かべながら

「偶には、良いでしょう」

と言ったのだ。


 その瞬間だ。


 私は雄一郎さんの白髪交じりの黒く短い髪が、静かに揺らめいている姿を見たのである。


 相も変わらず、私はその姿に目を奪われた。


 なんと、言い表せば良いのだろう。

 星の欠片(カリスマ)という言葉が合っているのだろうか。


 残念ながら、私は雄一郎さんの姿を適切に現せる程の語彙力を身に付けていないのだ。


 唯一解る事は、存在感が違うという事だけである。これほど悔やまれる事は、他にない。


 そして、その美しい姿に見惚れながら雄一郎さんの話を聞くのが、私の密かな趣味でもあった。


 理由は単純だ。

 彼ほど所作が美しい人を私は見たことがなかったからである。


 なにせ私は、その美しさを見て、思わず

「これは、数千円払って美的姿(マナー)講師に、美的姿の基礎を一から習うのが馬鹿馬鹿しいね」 

 と、過去に言った事もあったのだ。


 それだけ、雄一郎さんの所作は、目を見張る物があったのである。


 これが、紳士的な男性の姿という事なのだろう。私には、出来ない事である。


「それにして、相も変わらず貴方の声は、不思議な感じがするね」


 そう。

 雄一郎さんの声は、特徴的なのである。


 まるで。

 海を泳ぐ鯨を眺める小魚がその大きさに驚くような。


 森の雄大さに感激する探検家が、新種の植動物を見つけて言葉を失うような。


 そんな感覚が、合っているのだろうか。



 すると、その時雄一郎さんが少し呆れたように口を開いた。


「その台詞を聞くのは、一体、何回目でしょうね?」


「軽く、十回は超えているだろうね」


 そしてその言葉に、私は慣れたように、こう答えた。


 その時だった。


 私の言葉を雄一郎さんが、

「そんなに同じ事を何回も言って、飽きないのですか?」

 と、言ったのである。


 だから、私は少し意地悪げに

「飽きないよ。呼吸するのに、飽きる人がいるかい?」

 と、そう言ったのだ。


 恐らく呼吸に飽きる人は、いないだろう。

 もし、いたとしても、呼吸を止めたら生存出来ないのだ。


 だから、いない筈である。

 

 そして、私は呼吸に飽きない。

 故に、同じ言葉を何度でも繰り返そう。


 雄一郎さんの声は、素晴らしい、と。


 なにせ、雄一郎さんの声は、まるで鋭利な刃物で沈黙を切り裂いているような、そんな鋭く、芯のある声をしているのである。


「おやおや。呼吸と同じように褒めてくれるとは、随分と嬉しい事を言ってくれるのですね」


「私は思った事を、そのまま言葉にしてるだけだよ」


 気分は、国王への賛歌を紡ぐ、国民である。

 推しを目の前に興奮する崇拝者(オタク)とも言える。


 だが、雄一郎さんの言葉が、このように響く原理については、一切理解が出来ないのだ。


「でも、そんなに良い声をしている理由は何だろうね。声帯かな、声量がある訳ではないのだろう?」


「そうですね。声が小さい、と怒られました事の方が多いのだ。しかし声帯については、僕自身が詳しくないので、何も言えませんよ」


「そっか。相も変わらず、不思議な良い声だね」


「ありがとうございます」


 だが、こんな事を言っているが、私は真剣なのである。


 なにせ、他にも不思議な事があるからだ。


「まあ。一番不思議な事は、貴方が話し始めた時に起こる、貴方以外の声が何も聞こえなくなる、あの現象だけどね」


「そうですね。知らない人が聞いたら、新手の宗教勧誘か何かだと、勘違いされそうです」


「恐ろしい事を、言わないでくれよ」


 それでは、凄まじい語弊を生みだしてしまうではないか。


 そんな見当違いを起こされても、私は弁解できるような語彙力を持ち合わせていないのだ。


 間違いなく、危ない人間判定が下されるだろう。


 そこで、私は

「小説を読み漁っている時に起こる、いつの間にか就寝時間が迫ってた時の感覚が、一番似てると思うんだよ」

と通算何度目かの弁解を雄一郎さんにした。


「何度も聞きましたから、知っていますよ。しかし、それは僕に夢中になっている、という事ですか?」


「言い方を考えてくれ。違うよ、貴方の話に夢中になっているんだ」


「おや?何か間違っていましたか?」


「大いに、間違ってたよ」


 変な勘違いをされるのだ。

 だから雄一郎さん、言動には気を付けた方が良い。


 そして、私の心が修行僧のような強靭な精神力であった事を感謝した方が良い。


 そうでなければ、私は羞恥心と煩悩に苛まれて、この場から全力疾走で逃げ出しているところだ。


 ちなみに、同じ大学の知り合いの頭の中が恋愛(ピンク)一色な奴に雄一郎さんの話をしたら、

「なんか、恋する乙女みたいだな」

 と言われた事がある。


 なぜだ?

 私は、雄一郎さんの説明をしただけなのである。それなのに、なぜ。


 それに、私は別に雄一郎さんに恋愛感情を持っている訳ではないのである。


 確かに、私は雄一郎さんの姿に焦がれ、この胸の内を彼に知らせる事がないように、思考に蓋をして生活をしている。


 だが、この感情は友愛であり、敬愛であり、尊敬なのだ。


 決して、脳内お花畑な奴らと同じような間違いを犯してはならない。


 ここでは、青春群青恋愛劇など存在しないのである。


 けれどこのままでは、欠陥(ボロ)が出るという事も、私はよく知っている。


 実際にそのような経験をした事もあるのだ。


 だから私は、無理矢理自分の思考を変えるために

「それより、今の私の頭の中は、貴方(あなた)の年齢が幾つなのかっていう疑問に夢中かな」

 と言ったのだ。


 このような事を続けていたおかげだろう。

 昔よりも人と話をするのが、昔よりも苦手ではなくなったのだ。


 思い返す度に嬉しいような、嬉しくないような複雑な心境になるが、結果としては、喜ぶべき事だろう。


「けど、貴方の過去なんて到底想像が出来ないな。これで学校を抜け出して、様々な悪戯をしてたとかだったら面白いけどね」


 しかも最近はこのような、少し意地悪なことも言えるようになったのである。


 成長している。


 そして、これらの言葉は茶化しながら言う事を、忘れないようにしなければならない。


 そうでもしなければ、察しの良い雄一郎さんの事だ。


 何かの拍子に、私の心の奥底にある感情に気付かれる可能性があるのである。


 すると、雄一郎さんはため息をつきながら、昔の自分の失態を思い出したのか苦い顔を浮かべた。


「まったく。僕は六十と少し年を重ねただけの老人ですよ。それに、あの時の僕はまだ少年といわれるような年の頃合いでしたから」


「沢山、悪戯したの?」


「してません。しかし世の理など知らず、毎日泥にまみれた服で野を駆け回る、呑気な子供だった事は確かですよ」


「本当かい、信じられないな」


 気が付いた時には、声が漏れていた。


 今とは似ても似つかない、とてもかけ離れた姿であったから信憑性が無かったのだ。


 誰が、美しい黒一色の統一された装い(シャツ、ズボン)という計算し尽くされた服装を着ている人の昔の姿が、泥だらけな少年だと想像出来る。


「人の成長は、服装にも影響があるんだね」


「小さい頃に西洋の貴族服に憧れていた子供が、大人になって着物を着ているのと同じ事ですよ」


 つまり成長すると、服も纏う雰囲気も変わるという事だろう。


 そのような事を心の中で思いながら、私は自分の服装を見返して、項垂れた。


 なぜなら今の私の服装は、洒落た装飾品は何も身に付けず、使い古された灰色の統一された装い(シャツ、ズボン)だけなのである。


 美しい服飾感覚(ファッションセンス)の欠片も感じさせない服装なのだ。


 解りやすく言うと、彼の服装と私の服装は()()()()()()のようなものであるという事だ。


 ああ。

 やはり、雄一郎さんは素晴らしい。

 誰も、雄一郎さんを超えられないのだ。

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― 新着の感想 ―
最初の予告から合わせて数話読ませていただきました。 現代純文学はわからないのですが、最初の挨拶は三田派のような演出のケレン味があって楽しく、本編は雄一郎さんがチャーミングで魅力的。そして作品と私の距離…
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