無色にて
他人を嫌う理由なんて、その人が苦手だったからという理由だけで事足りる。
絶交も、同じだろう。
さて。
話は終わった。
真剣に話を聞いてくれた雄一郎さんに、感謝しよう。
「えっと。長くなったけど、これが私の一等好きな場面だよ。どうかな、気に入ってくれたかい?」
「ええ。とても興味深い話でした」
「そっか。なら、良かった」
これでもし、面白くなかった、興味が湧かなかった、などの言われていたなら、私は人目を憚らず、泣き喚いていた事だろう。
「ですが、ここまで聞くと、なぜ貴方がこの作品をそんなに嫌っているのか、余計に見当がつかなくなってしまいましたよ」
それは、いったい、どういう?
「なにせ、貴方は詐欺師がお好きなのでしょう?」
ああ。
なるほど。
つまり、雄一郎さんは好きな登場人物がいるのに、なぜ、この映画を嫌っているのか、それが理解出来なかったのだろう。
だが、それは貴方が、私の紹介した映画の登場人物しか知らないからこそ、出てくる言葉なのだ。
なにせ、今私が紹介した人物は、氷山の氷一粒にも満たないからである。
「えっと。それは、貴方がこの映画を調べ終わって、作品を観た後に、解る事だよ」
だが、わざわざ、その事実を伝える必要性はないだろう。
なにせ、面倒臭い。
そして恐らく、雄一郎さんは私がこの映画を嫌いな理由の一つが、この作品に登場する悪人である、と誤解しているのだろう。
実際は、違う。
なぜなら、私の嫌悪を対象は、物事を深く考えず便利な物に縋りつく、その精神を持った大衆だからである。
「変わっているね」
は、常套句だから気にしない。
私に言わせれば、悪人はそれぞれ流儀に則って生きているのだから、格好良い存在なのである。
なぜなら、意味の解らない正義感を振り回し、形振り構わず他者を弾圧する大衆とは天地の差があるからだ。
そして、現状で最も重要な事は、先程の私の心理が嫌悪している対象である大衆と似たような状態になっていた、という事だ。
詳細に言えば、自己嫌悪という現象が、私の精神を抉っただけなのだが、結果的には同じ事だ。
ああ。
首が痛い。
どうやら無意識のうちに、手入れの行き届いていない私の鋭く長い爪が、己の首を掻き毟っていたようだ。
雄一郎さんに止められて、初めて気がついた事。
恐らく、痛みも気にならない程の嫌悪感が私の心と体を支配していたのだろう。
それ程、嫌だったという事だ。
ああ、見られた。
岩山に、篭りたい。
海の底に、眠りたい。
とても、とても、恥ずかしい。
そう。
結局私は、雄一郎さんに人生の一遍に恥ずべき醜態を、痴態を晒しただけだったのである。
ああ。
この短期間で、私は一体幾つの墓穴を掘れば気が済むのだろう。
その瞬間、私の百面相を見た雄一郎さんが、心配そうな顔付きで聞いてきた。
「顔色が優れませんよ。大丈夫ですか?僕が、何か言われたくないような事を言ってしまったのでしょうか」
「それは、ないよ。個人的な事だから、詳しくは言いたくないけど、貴方のせいじゃない事は確実だ」
危なかった。
心の中で羞恥心と自己嫌悪の舞を独りで踊っている事を、知られるところだった。
人間は成功体験に酔いしれている時が、一番、愚かである。
やはり、この言葉は正しかったのだ。
だから、私は自身の犯した痴態に耐えきれず話を逸らすために、巫山戯た調子で今までの会話とは一切関係のない話を、雄一郎さんに尋ねたのだ。
それは
「ところで、一つ気になったんだけど貴方は自信の好奇心が危険だと感じた事はあるかい?」
という、何も変哲もない言葉だった。
言葉だった筈なのだ。
なのに、その言葉を聞いた瞬間、雄一郎さんの顔色が変わったのである。
ああ。
言わなければ良かった、と心の底から後悔した瞬間でもあった。
なにせ私は、雄一郎さんがいつものように揶揄ってくると思って、その言葉を放ったのだ。
だが、現実は違った。
「まさか、ありませんよ。冗談でしょう?」
その顔には、色がなかった。
赤面、喜色、憤慨、落胆、批難、安堵、焦り。
その全てが、存在しなかった。
雄一郎さんの顔が、見えなかったのである。
いや、これでは語弊がある。
本心が、見えなかったのだ。
そう。
声は笑っているのに、表情が無表情だったのである。
どうやら、恥ずかしくなって、無表情を保っているような素振りでもなさそうなのだ。
そして、その瞬間。
雄一郎さんの黒く深い瞳が、私を射貫いた。
その瞳に映る表情は、何を伝えようとしているのだろう。
残念ながら、私には何も、解らなかった。
とある過去の偉人は、
「人間の頭で想像できることは、実現可能な未来での出来事である」
と、このような事を言った。
しかし、私はその言葉に異を唱えよう。
そのような事を信じていては、現状と相容れず、私の頭が狂れてしまうからである。
さて。
こうして私の過去最高の意趣返しは、無残にも後悔と嫌悪を生む結果になったのだ。
「おや、どうされました?僕の顔に何かありましたか?」
多分、雄一郎さんは無意識の内に、あの顔を表に出したのだろう。
「いいや、なんでもないよ」
だから、私は野暮な真似はしなかった。
そう。
本音は、隠すものだ。
そうでなければ、建前という言葉は存在しないだろう。
単純に、怖いのも理由にある。
なにせ、今の私は、何でもない素振りをしているが、実際は手の震えが収まらないのだ。
その時だった。
雄一郎さんが、微笑を浮かべて
「そうですか。なにかあれば、遠慮なく言ってくださって良いですからね」
と、言ったのだ。
先程の無表情は、消えていた。
「そう。それなら、その寛大な心に感謝するよ」
しかし、質問はしなかった。
なにせ、私の貧相な精神には、そんな無鉄砲に藪をつつくような勇気は、存在していなかったからである。
そう。
今の私には、精神的な安定など、
「品切れ、欠品、補充不可」
だったのだ。
ああ。
こういう時だけは、いつも窓辺で羽を休めている小鳥が、少しだけ羨ましくなる。
そう思いながら、私は窓辺にいる小さな虫が餌を集めている姿を、盗み見た。
ああ。
やはり、私は鳥にはなれないらしい。




