発明にて
天才の発明を、凡人は消費する。
そして、天才の偉大さを理解しないまま、一生を終えるのだ。
私は、その言葉を胸に抱きながら
「よし。それじゃ。最初は第一部の主人公から紹介しよう。彼女は世紀の大発明をした天才科学者だ」
と、雄一郎さんに告げた。
すると、雄一郎さんは残念そうに、
「天才、科学者ですか。どうやら、僕の考えは、外れたようですね。獄中の方か、役人の方が出てくると思っていましたから」
と、言ったのだ。
「そうか、残念だったね」
何故、その考えに至ったのだろうか。
それは聞かない方が良いだろう。深淵は覗きたくない。
「ええ。それで、その科学者の方は、どのようなお方なのですか?」
そして、その質問に答えるには、一言で足りる。
「彼女は、人の評価に囚われすぎた天才だよ」
事実、彼女は天才だった。
だからこそ、彼女は周囲の人々に理解されず孤独な人生を歩む事になったのだろう。
天才は友人は兎のぬいぐるみ以外いなかったと、第二部の回想で話していた。
映画の第一部は、天才の発明品が世界に驚愕と安泰を与え、若き日の天才を非難した人々が揃って天才を称え始める場面から始まる。
そんな第一部の最後は、悲惨だった。
主人公である彼女が、過去の後悔から自身の造った発明品を利用者に飽きられぬよう、無我夢中で改良を続けているからである。
そう。
碌な睡眠も栄養も摂らずに、研究に没頭していたのだ。
そして、後ろ姿だけが虚しく映し出された時の、あの何とも言えない感情は、今でも覚えている。
「第二部の主人公は、天才科学者の開発協力者の同僚の女性だよ。後に犯罪者と共犯関係になる重要人物だ」
「同僚は解りましたが、共犯者とは?」
「それは、映画を観れば解る事だよ。詳しくは言わない」
そう。観れば解るのだ。
映画の冒頭で悪人になった天才科学者と天才の狂信者である同僚の彼女を見れば解る。
しかし、天才と助手が追手から逃れる場面が突然映し出された事は、印象的だった。
何の説明もなしに逃亡者になった天才を眺める事になったのだから、当然である。
そして、詳細が理解できない鑑賞者を前に、映画の中盤で驚愕の真実が明かされるのだ。
それは、天才が発明した発明品が、人類の生活に悪影響のあるものであったという事実だった。
しかも、その真実を彼女達が捻じ曲げて世間に公表したというのだ。
冒頭の追手の驚きに相まって、天才として称えられていた人物が、一瞬で悪人に転落した光景は信じらなかった。
そして、度重なる驚きに、目が離せなくなってしまった事も事実であった。
そして、ここで冒頭の映像に繋がるのだ。
天才は過去の開発の苦しさを、二度と味合わないために。
同僚は天才にもう一度幸せにするために。
だから、彼女らは真相を知った人間から逃亡する事になったのだ。
終盤では、人間不信になった天才が自身の罪による自己嫌悪で今まで築いてきた豊かな人生を破綻させる様が映された。
そして、同僚である彼女も天才の後を追うように、その人生を破滅させる場面が映されたのである。
しかし、二部は比較的安泰だった。
高層住宅が爆発したり、銃火器の撃ち合いがあったりしたが、それでも被害の数で考えるなら、圧倒的に平和だったのだ。
「第三部の主人公は、とある都市に住んでいた青年だ」
「おや、科学者の方の関係者ではないのですか?」
「違うよ。三部目の主人公は彼女達とは一切関係ない一般人だ」
なにせ、第三部の舞台は天才が亡くなった後の都市が主題なのだ。
映画の初め、鑑賞者は青年が天才の発明を使って生活している姿を見ることになる。
その青年が第三部の主人公だ。
彼は普通の人間だった。
憧れの存在に脳を焼かれる事もなく、他者に願望を押し付けて狂う事もない。
そんな、至極平凡な人だったのである。
そう。
周囲の人達と同じように、便利だからという理由で使える物を使い潰し、用済みの品は道端に捨てるような普通の人間だったのだ。
しかし、映画の中盤で物語は大きく動き、平凡な青年は異端者に変わる。
青年は
「彼女は、我々の救世主だ」
と言いながら思考を停止させ、天才の発明品に心酔する大衆に疑問を持ち始めるのだ。
そして、異なる考え方をする者を弾圧する大衆の行為が正しいのか、自らの頭で考えるようになるからである。
これは、凄まじい変化だった。
「普通を普通の事だと思わずに疑問を持つ」
これは並大抵の事では出来ないからである。
しかも彼は一度、思考する事を放棄した人なのである。
思考を放棄すれば間違える可能性がない人生を歩めるのに、態々間違える可能性がある未来を歩むのだ。
周囲の人達からしてみれば、恐ろしい精神性だろう。結果、その選択は彼に大きな変化を招く事になる。
素晴らしい変化だった。
称えられるべき行動だった。
しかし、そんな思いは虚しく、世間は彼を置き去りにして進んでいく。
この長編映画の終焉は、忘れようにも、忘れることの出来ない。
映画中盤で流れていた人通りの激しい繁華街は砂埃と鉄屑に塗れ、緑豊かだった美しい公園は、人のいない汚れた廃墟に様変わりしていたからだ。
そして年を取り、老人と呼ばれるような年の頃合いになった青年が
「この世はくそったれだ」
という言葉を吐き、廃れた都市に向かって歩み始める画面で、この映画は終わる。
「これが、この三部作の主人公達だよ。調べれば、すぐ出てくると思う。題名は」
「いえ、題名は言わなくて結構です。自分で探しますから。帰ってからの楽しみにします」
「あんまり、良いとは言えないけどね」
訂正しよう。
思い出すだけで、反吐が出るくらいには良い作品だ。
こんな後味の悪い映画は、中々お目にかかれないだろう。
故に、そのような宝探しのような気分で探さない方が良い。
しかし、この説明を聞いても気になるとは、やはり、雄一郎さんの趣向は良く解らない。
それは、いつも通りか。
お読みくださり、ありがとうございます
それでは、次回作にご期待ください




