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デッドエンドのその先へ  作者: 美真
初等科編
17/30

消えた台本



 夕焼けの光が差し込む放課後の廊下には、二つの長い影が並ぶ。


 コツコツと足音を響かせながら、菫子と杏子は茜色の廊下を歩いていた。



 絵の提出も無事に済み鞄を取りに教室へ戻ろうとした菫子に、杏子が「私も一緒に行ってもいい?」と話しかけてきたのだ。それに軽く驚くも、特に断る理由は無い。菫子はコクリと頷くと、二人は一緒に教室まで戻ることになった。


 廊下には二人以外誰もいない。

 静寂な廊下に響くのは、二人の軽い足音だけ。


 「一緒に行きたい」と言った割に杏子が話を振ることは無く、そのことに疑問を抱くも菫子にも特に話す話題は無い。美術室と変わらず無言の二人は、ただただ教室に向けて足を動かしていた。

 ただ一点気になる点といえば、杏子がどこかそわそわした様子を見せていることだ。チラチラと菫子を見ては、口を開きかけるも言葉を紡ぐことは無い。そんな様子に菫子の疑念がさらに増すが、それでもやはり杏子から悪意的なものは感じられず。


 やはり少し自意識過剰だったのかなと菫子が己の思考回路を反省していれば、いつの間にか教室の前に到着していた。


 杏子がドアの取っ手に手をかけようとした時、ガラッと内側からドアが開かれ、その手は宙を掻く。

 そして教室から現れた人物に、菫子は小さく「ゲッ」と声を漏らした。


「――香坂さん」

「――杏子さんに……桐島さん? 珍しい組み合わせだね」


 教室から出てきたのは、機嫌が良さそうな顔をした理沙とその友人たち。理沙は菫子と杏子が一緒にいるのに驚いたのか一瞬二人を物珍しそうに見るも、次第に嫌な笑みを浮かべていき、最後にはふっと鼻で笑い「さようなら、また明日ね」と二人に告げて颯爽と去って行った。

 他の女の子たちも理沙に続いて去って行ったが、廊下からは「昨日の話はつまらなかったね」「他の子役の方が上手かった」等とドラマと杏子を批評する声が漏れ聞こえだ。

 理沙の執念深さに、菫子はうわぁとドン引きしちらりと杏子の様子を窺う。しかし、当の本人はしれっとした顔で自分の机に向かっていた。

 聞こえていない筈は無いのに、この態度は。菫子は恐る恐る杏子に問いかけた。


「……あの、五条さん。大丈夫ですか?」

「え? なにが?」


 菫子の問いに杏子は歩みを止めて振り返る。その表情はきょとんとしていて、質問の意図測りかねているようだ。ならばと、今度は言葉を濁さず菫子はもう一度問いかける。


「今の香坂さんたちの……色々、言われているでしょう?」

「あぁ、全然平気だよ。あんなの言われ慣れてるから」

「……慣れてる?」


 しかし、菫子の心配など何のその。「あんなの可愛いもんだよー」とけらけら笑う杏子は、本当に理沙からの悪口に傷ついていないようだった。


「ママがよく言ってるんだ、アンチがいるのは有名な証拠だってね。それに演技のこと色々言ってたけど、それって見てくれてるってことでしょ? だから、むしろ嬉しかったり」


 そう言って力強い瞳で二ッと笑う杏子からは、子供ながらもプロとしての意識の高さを感じさせられた。

 母親の教育の賜物か、自身がすごいのか。どちらにせよ、この子は強いな、と菫子は尊敬の念を抱いた。


「……すごいですね」

「そんな事ないよ。……それに、私も色々言っちゃったから」


 だが菫子が称賛するも杏子は首を振って謙遜し、少し眉を下げて沈んだ声を出した。

 色々、とは、理沙に言った言葉の数々だろう。


「ついかっとなって言っちゃったんだよね。ママにも怒られちゃった」


 「私もまだまだね」と恥ずかしそうに頬を掻く杏子。そして暫し何かを考え込むように俯くと、きゅっと口を結びぺこりと菫子に頭を下げた。


「……桐島さんもごめんね。ホントは、もっと前にちゃんと謝ろうと思ってただけど……なんか、言いずらくって……」


 巻き込んだ意識はあったのか、その声からは後ろめたさを感じさせられ、ちゃんと自分の言動を反省しているように映る。その姿と謝罪の言葉に、菫子は目を瞬かせたと同時にその胸に安堵が広がった。

 確かに巻き込まれたことには腹が立っていたが、被害は理沙の視線が鋭くなっただけなので、はなからそれほど恨みもない。問題だったのは、杏子が菫子に悪意を持っているかどうかだけ。それもこうして直接謝ってくれた今、悪意は無いと安心していいのだろう。

 杏子にバレないよう、菫子はふぅーと詰めていた息を吐き出した。


「あ、でも! 合格しそうっていうのはホントだよ! 桐島さんすっごく可愛いから!」


 とりあえず安心、と気が抜けていた菫子に何を思ったのか、焦りながら「髪も綺麗だし、目だって大きくて――」と口早に菫子を褒めちぎる杏子。その必死さが可笑しくて、菫子からふふっと思わず笑いが溢れた。


「五条さんにそう言っていただけて光栄ですわ。でも、香坂さんのことは気にしないでください。三年生の時からあのような感じですから」


 だから別に怒っていないと、菫子は杏子を安心させるように笑顔で告げる。すると杏子は目を丸くして「へぇー」と感心したような声を上げた。


「どうかしました?」

「あ、うん……。桐島さんって、噂と全然違うんだなーって思って」

「えっ、う、噂、ですか……?」

「そう。だって――」


 杏子の言う『噂』に悪い予感しかしない菫子。優しげな笑顔から一転、引き攣った笑顔に変わる。

 その顔を見てない杏子は鞄の中を覗き込みながら答えようとし、ピタッと動きを止めた。


「……五条さん?」

「――――ない」

「え?」


 途中で口を閉ざした杏子に怪訝な顔を向ける菫子だが、目を見開いたまま凍り付く彼女のただならぬ様子に、ざわりと胸騒ぎが起こる。


 そして、杏子は叫んだ。



「――――台本が無いっ!」



 声と共に慌てて鞄をひっくり返して荷物を漁るが、そこに台本は無い。机の中や周りを見回しても、それらしき影はどこにも無かった。

 口元に手を当て「どこかに持って行ったっけ……」と必死に記憶を漁る杏子。だがはっと何か思い出したように顔を上げると、その勢いのまま教室を飛び出してしまった。


「ちょっ、五条さんっ?」


 急に走り出した杏子に、教室に残された菫子は唖然とする。とりあえず状況を飲み込もうと、注意深く周りを見回した。


(台本が無い、ねぇ)


 杏子の机の上にも、中にも、周りにも、やはり台本は見当たらない。一応他の机や教卓を見てみるが、結果は同じ。

 何処に置き忘れたのかと考えるも、菫子が知る限りでは教室以外で読んでいるところを見たことが無い。それに杏子の慌てようからも、教室の外に持ち出していないことが予想できる。

 ならば残されているのは、『誰かが意図して台本を持って行った』ということ。


 となれば怪しいのは――



 菫子の脳裏に過るのは、すれ違い間際に見せた理沙の笑顔。



(……それしかないよね)


 思い至った結論に、菫子は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 おそらく杏子も同じ結論に達し、追いかけていったのだろう。


(うーん……どうするか)


 教室のドアをじっと見つめる菫子は、杏子を追うべきか迷っていた。行ったところで役に立てるとも思えないし、むしろ事態が悪化しそうな気がしていたからだ。

 だが知ってしまった以上、放って置いては後味が悪すぎる。


「――あーもう!」


 このまま一人でぐるぐると考えていても、埒が明かないのは目に見えていて。なら後悔しない方を選ぶしかないじゃないかと菫子は自棄になって叫ぶと、杏子を追うため走り出す。




 そしてやっとのことで追いついた時には、既に階段の踊り場で杏子と理沙たちが睨み合っていた。

 そこはまさしく修羅場。


「だから、どこに隠したの」


 真っ直ぐに相手を射抜くその瞳と険のある声は、理沙たちが犯人だと確信を持って告げている。

 理沙たちはその気迫に一瞬怯むも、とぼけた顔で杏子を挑発した。


「知らないって言ってるでしょ?」

「杏子さんこわーい」


 ニヤニヤと隠し切れていない笑みが犯人だと言っているようなものだが、確たる証拠が無ければ問い詰めることは難しい。もし冤罪なら、完全にこちらが悪役になってしまうから。

 どうしたものかと菫子が策を巡らせていると、杏子がぎゅっと拳を握り込んだのが視界に入った。これはまずい! と咄嗟に動く。


「五条さん、今すぐ先生に伝えて警察に連絡しましょうっ!」


 突然菫子は杏子の怒りを散らすような大きな声を上げ、握り込まれた彼女の手を胸元で握りしめて大袈裟に縋り付いた。菫子、迫真の演技である。

 どんな理由であろうと、芸能人である杏子に暴力沙汰などあってはならない。意識を少しでも理沙から遠ざけようと、必死の形相で杏子に詰め寄る菫子。

 そして思惑通り菫子の行動に面を食らった杏子は、少しだけ落ち着きを取り戻していた。


「せ、先生は分かるけど……警察って?」

「確かに生徒の誰かがいたずらしたとも考えられますが、杏子さんは芸能人。もしかしたら外部の人間が侵入して盗んだとも考えられます。となれば不審者が学園に侵入したことになりますから、警察を呼ばないといけません! 例え生徒がやったとしても、仕事で使用する台本を盗むなんて悪質ですわ! これで撮影に支障が出れば、慰謝料請求だって出来るはずです!」


 わざと理沙たちの動揺を誘う言葉を並べた菫子は「ささ! とりあえず早く職員室へ行きましょう!」と杏子の手を引っ張り職員室へ向かうふりをする。

 案の定理沙たちは明らかに狼狽し、「え、警察?」「ど、どうしようっ」と小さな声で話し合っていた。その慌てように内心ニヤリとほくそ笑み、このままボロを出せと菫子が悪役らしいことを思ったその時――



「あれー、こんなところで何やってるの?」



 ピリピリとした空間に、似つかわしくない陽気な声が響いた。

 いいところなのにっ、とうっかり出そうになった舌打ちを飲み込んだ菫子は、階段下にいる少年に苦い顔を向ける。


 階段を上がってきたのは、相変わらず食えない笑みを浮かべる朔也だった。


「さ、朔也さまっ!」


 恋い焦がれる朔也の登場に、理沙は頬を紅潮させて嬉々の声を上げる。他の女の子たちも同様に顔を赤く染め興奮していた。

 そんな彼女たちに優しい笑顔を向ける朔也だが、菫子を見るとニンマリと笑い楽しそうに話しかける。


「それで何かあったの? 菫子ちゃん」

「……実は」

「聞いてください朔也さま! 桐島さんたちが酷いんですっ!」


 誰が見ても揉めてると分かる状況に、野次馬よろしく朔也が聞いてきたので仕方なく答えようとした菫子だが、その声は理沙によって遮られてた。

 菫子を押し退けて朔也に泣きついた理沙の瞳には、しっかり涙の膜が張っている。傍から見れば理沙が被害者のようだ。それを見て、理沙って案外女優に向いてるんじゃないかと、菫子は場違いなことを考えていた。

 そして理沙たちは菫子が反論しないのをいいことに、ここぞとばかりに菫子たちを非難する。


「杏子さんの持ち物が無くなったのを、私たちのせいにするんですよ!?」

「そうなんです! それに警察だなんて大袈裟なことまで!」

「きっと自分で無くしたに違いないわ!」

「……へぇー。それが本当なら酷いねー」

「そうですよねっ!」


 朔也の発言に、味方につけたと思った彼女たちの目には輝きが戻り、ふふんと勝ち誇った顔を菫子たちに向ける。しかし朔也はといえば、やはり楽しそうな笑みで菫子を見ていた。



 菫子は悟る。こいつ私が追いつめられているのを楽しんでやがる、と。




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