8 研究所にて②
その後、セラフィナはラモンからいくつかの質問を受けたり、女性研究者の前で服を脱いで触診を受けたりした。その後ジルも予想していた負荷実験を行った結果、昼過ぎくらいから例のだるさと気持ち悪さが出てきた。
すぐにジルが呼ばれるかと思ったらそうではなくて、ジルがしばらく持っていたというハンカチや彼の衣類、はたまた彼の呼気入りの瓶などを渡された。
これに付き合わされるジルに申し訳ないし、やはり自分はとんでもない痴女なのではないかと思うと恥ずかしくて死にそうになった。だがそういう実験なのだということは事前に聞かされていたし、ジルも進んで協力してくれている。ここでセラフィナが恥ずか死ぬのは研究者にもジルにも失礼だ。
いろいろな実験をして、最後には部屋に入ってきたジルの胸元に顔を突っ込んでその匂いを堪能することでセラフィナの完全に症状が治まったのを見て、ラモンは興味深そうにカルテにペンを走らせていた。
「……うーん。これはまさに、呪術の影響だね」
とん、とカルテをペンで叩いたラモンは言い、落ち込むセラフィナをいたわしげに見つめた。
「しつこいようだけれど、セラフィナさんは魔女に接触して呪具の作成を依頼したり、呪具と分かっていてそれに触れたりはしていないね?」
「はい……」
「ジル君も同じく、そういうことはしていないね?」
「もちろんです」
ジルも強い口調で言った。
魔女に呪具の作成を依頼するのはれっきとした犯罪行為だが、呪具と分かっていて触れた結果呪術に冒された場合にも治療費全額負担などのペナルティがある。嘘をつけばそれまでではあるが、本当にセラフィナは心当たりがない。
ラモンはいったん席を立って部屋を出て、分厚い冊子を手に戻ってきた。
「これまでに何件もの呪術被害者を診てきたけれど、呪術は魔女によってその姿を変えるから、全く同じ症例が出てくるとは限らない。でも今回の場合……おそらく、これに近いだろうね」
そう言ってラモンは冊子を開き、そのページの内容を簡単に教えてくれた。
「これは今から二十年ほど前にあったケースだけど……ある女性が意中の男性の心を射止めるため、魔女に催淫効果のある呪具の作成を依頼した。呪具作成にはその媒体となるものが必要だけれど、彼女が選んだのはタオルだった」
「……タオルに、催淫効果……?」
「まずはそのタオルを女性が懐に入れておいて、自分の匂いを染みつかせる。男性は騎士団に所属していたから、訓練後で汗を掻いていた男性にそのタオルを渡す。そうすることで男性はタオルに染みついた女性の匂いに体が反応し、女性を見て発情して襲ってしまったそうだ。しかもその呪術には依存性もあり、女性から長時間離れていると体調を崩し、近くに来て体臭を嗅ぐと安定する……そのため、彼女に恋しているかのような錯覚に陥ってしまうんだ」
ラモンはすらすらと語るが、淫靡な内容にセラフィナだけでなくジルも絶句してしまった。セラフィナとて良家の令嬢だから知識として色恋のあれこれは教養として知っているし、使用人仲間の恋話を聞いたりもする。
だがこういう形で聞いたことはなくて……しかも隣に若い異性であるジルもいるから、なんだかすごく気まずい気持ちになってきた。今はちょっと、隣を見る勇気はない。
「ええと……それで?」
「女性は既成事実を作れたと喜んだようだが、その男性は婚約者がいて大問題になった。間もなくタオルが怪しいとされて研究所に持ち込まれ、呪具であることが判明した。尋問を受けた女性は魔女に依頼したことを吐き、懲役刑を受けることになった」
「……」
「……ということで、今回の君たちの症状はこのケースに近いと思った。ジル君が手にしたことで彼の情報が呪具に認知され、それがセラフィナさんの手に渡ることでジル君に執着するようにした。先ほどのケースに当てはめると、ジル君が女性側、セラフィナさんが男性側だね」
「ジルはそんなことっ……!」
「分かっているよ。もしジル君に悪意があったなら、こうして君に付き添ってやって来たり負荷実験に付き合ったりしないだろうからね」
思わず声を上げたセラフィナを優しく制し、ラモンはそこで少し険しい顔になった。
「……となると、君たちにこのような症状を起こさせた媒体となる呪具があるはずだ。セラフィナさん、ジル君。セラフィナさんに症状が起こるようになった日の前日くらいに、ジル君からセラフィナさんに渡したものはないかな?」
「……」
ラモンの言葉に二人は黙り――そしてほぼ同時に、声を上げた。
「……ノート!」
そう、確かあれは、セラフィナが体調を崩す前日のこと。
スカートを切られて落ち込んでいたセラフィナはジルの厚意で司書室で休ませてもらい、そこを出たところで謎のノートを手にしているジルを見かけた。そのノートにはジルの名前が書かれているが彼のものではなく、何気なく受け取ったら――
「わ、私、ジルから変なノートを受け取ったときに、ぴりっとしたんです! 冬の妖精にいたずらされたときみたいな!」
「ばっちりだね。それはきっと、呪具に込められた呪術が発動した証しだ。……そのノートはどこに?」
「ええと、ジルが書庫の落とし物箱に……」
ラモンはすぐさま、ジルへと視線を向けた。
「ジル君、ノートは今も箱にあるのか?」
「……今朝、片付けのために書庫の鍵を開けたのですが……ノートはなくなっていました」
そう答えるジルの声は、少し裏返っている。
「落とし物箱は毎日見るわけじゃないから、いつの間になくなったのかは分かりません。……申し訳ありません」
「それも仕方のないことだ。おそらくだが……君たちを嵌めようとした犯人がおり、そのノートを回収してしまったのだろう」
「証拠隠滅のために処分したということですか?」
「いや、もし処分したのならその時点で呪術の効果は切れる。だが現在も続いているのだから……犯人は君たちに呪術が発動したのを確認してノートを回収して、今も手元に持っているはずだ」
ラモンの言葉に、セラフィナはごくっとつばを呑み込んだ。
誰なのか、なぜなのかは分からないが、セラフィナとジルを嵌めようとした者がいる。その者は今も、呪具であるノートを持っている。
「……セラフィナに掛けられた呪術を解くには、どうすればいいのですか」
ジルが固い声で問うと、ラモンは指を三つ立てた。
「まずは、呪具の制作者である魔女を捕まえること。ノートがなくても魔女本人がいれば、解除も可能だ。……ただ、すぐに魔女を見つけることはできないし、遠くまで逃げられたらおしまいだ」
「……そうですね」
「それから、そのノートを犯人から回収するという方法。基本的に呪具を破壊してしまえば、呪いは終了する。ノートの場合、火を付けるだけで燃えるから処分もしやすい。そしてセラフィナさんにとって体の負担がほとんどないし、犯人を捕まえられたのなら治療費などを全額請求することもできる」
「……それじゃあ、犯人の手元にずっとノートがある場合は……?」
「無理矢理呪術を解除することも、できなくもない。だがその場合、時間も掛かるしどうしても治療費が高くなる。そして……セラフィナさんの体にかなりの負担が掛かる。これまでの事例だと体力や視力、聴力の低下。それから女性の場合、妊娠が難しくなることもある」
「それは絶対にだめだ」
セラフィナが何か言うよりも早くジルが強い口調で言い、身を乗り出した。
「魔女を捕まえること以外にできることとしたら……ノートさえ取り返せたら、呪術を解除してくれるのですよね? それなら……僕は、二つ目の方法を採ってもらいたい」
「ジル……」
「……あのときうかつに君にノートを渡さなければ、こんなことにならなかった。もしくは君の言うとおり、焼却処分していればよかった。……これから先も君が苦しむとしたら、僕にも責任がある」
ジルが重苦しい顔で言ったため、セラフィナは……少しむっとして、彼の脇腹を肘で小突いた。
「そういうこと、言わないでくれる?」
「でも……」
「こうなったのは、ノートをあそこに置いた犯人のせいでしょう。渡したあなたのせいだとか受け取った私のせいだとか言っていたら、私たちがお互いに対して気まずくなってしまうじゃない。こうなったら犯人を私たちの共通の敵にしてしまった方が……あなたとの仲もこじれないと思うの」
渡した側の責任と、受け取った側の責任。
それもあるかもしれない。あるかもしれないが……それではどちらも、「自分のせいで相手を巻き込んだ」と負い目を感じてしまう。
悪いのは、あんな呪具を書庫に置いていき……さっさと回収してしまった犯人だ。被害者同士で罪を背負い合うべきではない。




