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6  謎の体調不良②

 部屋に入ってきたジルは後ろ手にドアを閉め、持っていた袋を近くのテーブルに置いた。


「……ええと。まずは……体調は、どうだ?」

「体調? ……あっ」

「ん?」

「……よくなってる」


 ジルに尋ねられて初めてセラフィナは今、自分の体がとても軽いことに気づいた。

 ジルに会うまでは体がだるくて辛くて、このまま死ぬのか……なんてことさえ考えていた。それなのに今は絶好調……とまでは言えないが、痛みや辛さがちっともない。食欲も普通にありそうだ。


「変なの。ジルが来るまでは、辛くて辛くて仕方がなかったのに……」

「……」

「……あ、そういえばさっきから、すごくいい匂いがするの。ジルから匂うようだけど……」

「これじゃないのか?」


 そう言ってジルは袋を持ち上げたが、中身を見ずともそれが理由ではないと分かったので首を横に振る。


「違うと思う。匂うのはそこからじゃなくて……ジルの喉元? 胸のあたりからだもの」

「……なんだそれ」


 眼鏡越しだけれど、明らかにジルは動揺している。そして自分の腕を持ち上げて服の袖口を鼻に近づけてから、首を傾げる。


「……特に、いい匂いがするとは思えない」

「本当に? でもさっき、こうやって……」


 そう、さっきもこうしてジルに近づいていたらいい匂いが強くなり、気がついたら――


「……フィナ、セラフィナ!」

「……んう?」

「君、また無意識のうちに……!」

「…………あ」


 またしてもあの芳香に包まれてなんだか夢見心地になっていたセラフィナが気づいたら、またジルに抱きついて彼の胸元でスーハー深呼吸していた。しかも彼の胸に寄りかかるとかそんな可愛らしいものではなくて、ジルの細い腰にがっしりと腕を回してホールドし、ジャケットのあわせに顔を突っ込んでいるという状況。


「……ひいぃっ!? ま、また私、変なことを……!」

「……」

「あ、あの、やっぱり私、変だわ。このままだとジルを押し倒して襲ってしまうかもしれない……!」

「それはないから、安心すればいい。……それにしても」


 またしても滑るように距離を取ったセラフィナを見て、ジルはずれかけていた眼鏡を押し上げた。


「……もしかして君は、無意識のうちに僕の匂いを嗅いでいるのか? しかも……その匂いで、体が楽になっているとか?」

「……なんだかそんな気がするわ。あ、あはは……そんなのあり得ないわよね……」

「いや、そういう病気なのかもしれないし、あるいは……」


 ジルはしばしうつむいて考え込んでから、顔を上げた。


「……もしかすると、『呪術』なのかもしれない」


 神妙な口調で告げられた言葉に、セラフィナは目を瞬かせる。


「呪術って……法律で禁止されている、魔女がするあれのこと?」

「うん」


 ジルはうなずく。


 この世には、「魔女」と呼ばれる者たちがいる。彼女らは生まれつき特殊な力を持っており、その能力は「呪術」と呼ばれている。


 今から何百年も前は当たり前のように呪術が使われており、優秀な魔女たちは権力者に雇われて敵対勢力を滅ぼしたり逆らう者を殺めたりした。だがあまりに非道な事件が数多く発生したため、長い時間を掛けて呪術が禁じられるようになった。

 今でも魔女の才能を持つ女児はたまに生まれるが、親たちは娘が悪しき魔女にならないように育て、場合によっては国の施設に預けて適切な教育を受けさせることもできるようになっている。


 だが今でも魔女は存在するし、彼女らが呪術によって生み出す道具――「呪具」がある。呪具を使えば魔女の力をあちこちに拡散させ、間接的に人を攻撃できてしまう。


 そういった呪術や呪具による被害を防ぐため、各国には多少の形の差はあれども呪術専門の研究機関が置かれている。ここフォルテシア王国の王城にも呪術研究所があるということだが、セラフィナは場所は知っていてもそこにお邪魔したことは一度もなかった。


(私がいつの間にか、呪術の被害者になっていたということ……?)


「本当に……?」

「分からない。でも、医者でもお手上げだったのだし僕の匂いで体調が回復するという意味不明な特徴がある。そういう場合、呪術に冒された可能性を考えた方がいい。幸い城には研究所があるし、検査だけなら比較的安価で受けられる。被害者だった場合、治療費なども免除されるからね」

「……そう、よね……」


 ジルの言うことはもっともだが、胸の奥がぞわぞわとする。

 もし本当に呪術のせいだったとして、いつの間に冒されていたのか。そしてなぜ、ジルの匂いで回復するのか……。


 黙ってしまったセラフィナを見て、ジルは腕を組んだ。


「今度――いや、明日すぐに、研究所に行こう。もちろん、僕も同行するよ」

「えっ、そんなの悪いわ」

「でも、どう考えても僕も関与してしまっている。検査を受けるとしたら、負荷実験をされる可能性が高い。それなら僕が側にいるべきだろう」


 確かに、負荷実験をする場合はセラフィナの体調が悪化した際に回復できる――と思われるジルが必要だ。あんな辛い思いを何度も経験したくはないが、だからといってこの謎を迷宮入りにするのはもっと怖い。


(……そう、よね。ジルの協力を仰がないといけないわね……)


「……ごめんなさい。お願いします、ジル」

「そんな低姿勢で言う必要はない。……君は被害者だ。そして言ってしまえば、僕もまた被害者である。被害者同士が協力するのはともかく、片方が一方的に謝罪する必要はないと、僕は思っている」


 淡々とジルが述べる内容は、理にかなっている。……こういうことをさらっと言えるジルは頭がいいし、同時に優しい人だとセラフィナは思っている。


「……ありがとう、ジル」

「どういたしまして。……じゃあ、君の体調のことは気になるけれど……ひとまず今日のところは僕も帰るよ。明日一日は書庫を閉めるから、その報告も今日のうちにやっておきたい」

「うん、分かった。……ありがとう」

「礼も何度も言わなくていいよ。僕の方が困るだろう」


 ジルは眼鏡のブリッジを押し上げて素っ気なく言うと、背を向けた。


「まずは、できる限り体調を調えておくように。……それ、よかったら食べてよ」

「ええ、そうさせてもらうわ」


 ついまた「ありがとう」と言いそうになったがジルがげんなりするのは目に見えているので、やめた。


 ジルを見送ってからドアの鍵を掛け、彼が置いていった袋を手に取る。中に入っているのは、ナッツやフルーツが入ったバターケーキだった。今の時間はもう菓子店などは閉まっているだろうから、ジルは仕事を終えたらすぐに城下町に走り、閉店前にこれを買ってきてくれたのだろう。


「……ありがとう、ジル」


 本人には言えなかったお礼を改めて言って、ケーキを箱から出す。

 ケーキは甘くていい香りがしたが……先ほどジルの胸元から漂ったあの芳香には勝てそうになかった。

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