5 謎の体調不良①
異変を感じたのは、スカートを切られた翌日の午後のことだった。
(なんだか、体がだるい……?)
「セラフィナ、顔が青いよ。体調悪いんじゃないの?」
「……そうかも。ちょっと、ふらふらする……」
「ええっ、それなら休みなさいよ!」
「あんた、真面目だから休暇がたくさん余ってるでしょ! ほら、休め休め!」
「ご、ごめん。そうさせてもらうわ……」
同僚たちに背を押されて、セラフィナは使用人頭のもとに休暇申請に行った。セラフィナが受ける嫌がらせに関しては全く力になってくれない上司だが、体調が悪いので休みたいことを告げると「あなたは仮病を使う人ではないですからね。無理せず休みなさい」と心配そうな顔で送り出してくれた。
(体調不良で仕事を休むの、初めてかも……)
自室に帰ってたくさん水を飲んだセラフィナは、まだ日の高い時間ではあるが部屋着に着替えてベッドに入った。
子どもの頃はよく熱を出したり夜中に戻してしまったりしたため、家族を心配させた。だがある程度の年になるとむしろ怪我にも病気にもめっぽう強くなり、健康こそが自分の取り柄だと胸を張って言うくらいになっていた。
(何だろう……だるいし、ふらふらするし、力が出ない……)
熱っぽくはないし、頭痛や腹痛などもない。ひたすら脱力感があり、体に必要な栄養素の何かが著しく失われているような感覚だった。
(一日休めば元気になるかな……?)
ひとまずは養生しよう、と眠くはないが目を閉じた。
一日すれば治るだろうと思っていたが翌朝になってむしろ状態は悪化しており、セラフィナ自身かなり焦っていた。
(ううぅ……気持ち悪い……ぐらぐらする……)
起き上がることもできず、ベッドの上でのたうち回るだけ。もしかして自分はこのまま、自室のベッドで最期を迎えるのだろうか……と思っていたが、昨日のことを心配した同僚たちが様子を見に来てくれたおかげで、ベッドで白骨化する未来は回避できた。
「うわ、あんた、余計ひどくなってるじゃん!」
「お医者様を呼ぼう!」
「使用人頭様にも言っておくから、無理しないでよ!」
「あ、ありがとう……」
優しい仲間たちに礼を言い、駆けつけてきた医者の診察を受ける。
だが、一通りの診察を終えた医者は困惑の表情で「過労でしょうか……」と自信なさそうに言った。
「これといった病名が思いつきません。糖分が不足している状態によく似ていますが、砂糖水を摂取してもこれといった変化は見られませんからね……」
「……お医者様……私、死ぬんですか……?」
思わず弱音を吐いたセラフィナに、医師は首を横に振ってみせた。
「死なせないよう、尽力します。まずは水分をしっかり摂り、食べられるものは食べて体力をつけなさい。どれほど優秀な医者がいても、最高の特効薬があっても、患者本人の体力が尽きてしまったら話にならないのですよ」
彼の言うことはもっともだったので苦しいながらにうなずき、同僚が差し出してくれた水を飲んでみずみずしいフルーツも口にした。幸い、食欲はある方だ。吐き気もないので好きなものを食べるように、と言って医者は帰っていった。
医者の手配や仕事の振り替えだけでなく、着替えや飲食物の準備までしてくれた仲間たちに礼を言い、彼女らのいなくなった部屋で一人、セラフィナは不安と戦っていた。
(……どう、しよう。全然よくなる気配がない……)
もし、このまま治らなかったら。このまま苦しい状況が続いて……治る方法も分からないまま、力尽きてしまったら。
怖い。死にたくない。元気になりたい。
誰が犯人か分からない嫌がらせも、我慢する。
だから、元気になりたい。……死にたくなかった。
ぐすぐす鼻をすすりながらまどろんでいる間に、夜になっていた。先ほど仕事を終えた仲間たちが様子を見に来て、新しい水を汲んだり菓子をくれたりした。「使用人頭様も、心配なさっていたよ」「早く元気になってね」と励まされている間は安心していられたが、一人になるとまた孤独に襲われてしまう。
(助けて。誰か、助けて……!)
ぎゅっとシーツを握りしめて恐怖と戦っていると……コンコン、とドアをノックされる音が響いた。
「……誰ですか?」
「僕だよ、ジルだ」
(えっ、ジル……?)
ドア越しなので少しくぐもっているが、確かにジルの声だ。肘を使って上半身を起こすと、ドアの向こうでガサガサと音がした。
「見舞いと……一応、食べ物も買ってきた。具合が悪いならまた今度にするけど……」
「……ううん、ありがとう。今、開けるわ……」
セラフィナが体調を崩していることを使用人仲間は知っているだろうが、ただの友人であるジルのもとまでは知らされていないはず。もしかすると、最近よく愚痴を吐いたりしていたセラフィナが来ないから心配になって、訪ねてきてくれたのかもしれない。
(ここまで来てくれたのだから、ちゃんと顔を見ておかないと……)
そう思いながらドアに向かい、鍵を開ける。そうしてドアを押し開いたのだが――
ふわり、といい匂いがした。
食べ物や花などの匂いとはまた違う……心安らぐような、甘くて心地よい香り。
(……え?)
急にいい匂いが漂ってきたためぽかんとするセラフィナだが、ドアの前に立っていたジルはこちらを見てきゅっと眉根を寄せた。
「……顔が青いな。ごめん、すぐに帰るから……」
「待って、ジル――!」
セラフィナは、差し入れの入っているらしい袋をずいっと押しつけてこようとした彼に近づく。とたん、あの甘いような香りが一気に強くなった。
(……あ、何だろ。すごく、気持ちがいい……)
ぬるま湯に浸かっているかのような心地よさと、かぐわしい香り。こうしていると、それまでの体のだるさや死への恐怖が一気に薄れていくようで――
「……い、おい!」
「……」
「いきなりっ……! 頼むから、ちょっと離れてくれ!」
「……え?」
近くでジルの焦ったような声がする。いつも淡々とした物言いをする彼にしては珍しい……と思って、いつの間にか閉ざしていたまぶたを開ける。
そうして、気づいた。
セラフィナはいつの間にかジルに抱きつき、その喉元に顔を押しつけていたのだということに。
(……え、えええええーっ!?)
「うぇっ!? ご、ごめんなさい!」
一気に目が覚めた気持ちになり、ずざぁっと後退する。ジルの目つきは眼鏡のせいでよく分からないが、頬が赤く染まっているのはよく見えた。だが……彼のことを笑えないくらい自分も真っ赤になっているだろうことは、顔が放つ熱で容易に想像できる。
(わ、私、ジルに抱きついていた……!?)
「あ、あの、私、全然そんなつもりは……! でも、ごめんなさい!」
「……いや、うん、そこまで謝らなくていいよ。あと、今は夜だからちょっと静かに……」
「え、ええ……」
ジルの言うことももっともなのできゅっと口を閉ざす。彼はあたりを見回し、「……よかった、誰もいないな」とつぶやいてから、今の間に取り落としていたらしい袋を拾った。
「……悪いけれど、ちょっとだけ部屋に入れてもらっていいか?」
「……ええ、もちろんよ。どうぞ」
夜中に異性を部屋に入れるなんて、トリスタンに言えば叱られてしまいそうだ。だが、今ここでジルを帰すという選択肢はなかった。




