最終話 ふたりだけの秘密
「……本当はこのことを、一生誰にも言わないつもりだった。でも僕は……本当に、君のことが好きになった。好きな人に自分を偽り続けるのは、辛いと分かった」
ジルはそう言い、「でも」と息をついた。
「君は、言いたいと思ったときに言えばいいと言ってくれた。……だから最初に、トリスタン・ガロさんに教えた」
「あら、そうなのね」
少し意外な気がして、セラフィナは目を瞬かせた。
「ものすごく深い理由があったわけではないけれど、まずあの人に教えるべきだと思ったからだ。……最初が君じゃなくて、ごめん」
「いいえ、あなた自身が決めたことなのだから、何も言わないわ。それに心配性なトリスタンのことだし、あなたの正体が分かったらきっと安心できたでしょうからね」
そう言いながら、ジルの話を聞いてこれまでのいろいろなことのつながりが見えてきた。
(ジルはクレベルソン閣下の戦友だから彼にも臆することがなかったし、クローヴィスの名を聞いたら不機嫌になった。そして……あれほどの戦闘能力を持っていたのね)
「前に王妃殿下が第二書庫にいらっしゃったことがあったけれど……あれも、旧知の仲だからなの?」
「え? ……ああ、そういうこともあったね」
そこでジルはちょっと嫌そうな顔になった。
「あれは……僕と懇意にしている女性がいるってことを聞きつけたシメオンが、余計なことをしてくれたんだ」
「余計なこと?」
「……あいつ、ずっと女っ気がなかった僕に春が来たとかほざいて、陛下にチクったんだ。陛下も、僕が君と仲よくしているということで興味を持たれたようで。でも今の僕は陛下たちとは無関係の一般市民ということになっているから、ルセリアが書物を探すという口実で来たんだ。そのときにあれこれ聞かれたんだよ」
「そうだったのね……」
王妃と二人きりで本を探しているとき、シメオンに「嫉妬してるのか」のようなことを聞かれたことがあったが……彼はきっと、分かっていて尋ねたのだろう。
「……これが、あなたの『秘密』なのね」
「……うん。君たちの秘密に比べれば全然たいしたことがないけれどね」
「あのね、ジル。前も言ったと思うけれど、秘密の重さなんて付けるべきではないわよ」
カップを置いて、ジルに言う。
「確かに、私とトリスタンたちの抱える秘密はラミレス家にとって重大なものだけど……その秘密とあなたの素性に関わる秘密に優劣を付けることはできないわ。あなたは、これから先静かに暮らすために秘密を抱えることにした。それだけの話でしょう」
「……そうだね。ごめん、変なことを言って」
素直に謝ってから、ジルは少し目を伏せた。
「……セラフィナは、僕の正体を知っても態度を変えないね」
「変えてほしかった?」
「どうかな……。君が『百人斬りの剣士』に憧れていると聞いたときには、自分のことなのに嫉妬してイラッとしてしまった。でも……僕はもう、ジル・オルランドとして生きていくことに決めた。だから……やっぱり、態度を変えられなくて嬉しい……んだと思う」
ぼんやりとした言い方ではあるが、これが彼の素直な気持ちなのだろう。
セラフィナは微笑み、そっとジルの手を取った。
いつも丁寧に本を扱う、セラフィナの大好きな人の手だ。
「……この手が箒の柄を持って戦うなんて、思いもしなかったわ」
「……あー、あれは護身用のために置いているんだ。中には鉄の芯が入っていて。僕の得物は剣だけど、さすがに兵士でもないのに帯剣はできないから」
「……もし陛下たちに何かが起きれば、ジルはまたああして戦うかもしれないのね」
「……。……ごめん」
「謝ってほしいわけじゃないの。ジルの……あなたの気持ちを聞きたいの」
セラフィナがはっきりと言うと、少しずつうつむいていたジルは顔を上げてきゅっと表情を引き締めた。
「……。……僕は、クローヴィスの名を捨ててもなお、陛下たちの役に立ちたいと思っている。だからもし、今君が言ったようなことが起きれば……僕は剣を手に、戦う」
「……そう」
「でも、もう自分を偽ったりはしない。それに、僕は必ず君のもとに帰ってくる。君がここに来たときにその顔を見られるように、絶対に生き延びる。そして……生涯、君だけを想う。それだけは……誓うよ」
「……ええ。それだけで十分よ」
やはり、ジルは「ジル」になったとしてもその気質は武人なのだ。国王ヴィクトルのために剣を捧げる「百人斬りの剣士」の魂は今もなお、彼の中に息づいている。
でも、それでいい。
セラフィナは、ジルがここに帰ってきてくれると約束してくれるだけで十分だ。
「……ねえ、ジル」
ジルの手をぎゅっと握り、彼の肩に寄りかかってセラフィナは言う。
「……私、あなたが好きよ」
「っ……」
「あの呪いにかかる前から……好きだったの。あなたの過去がどんなものでも、これからどんな決意をしても……あなたを肯定し、支えたい。私の大好きな人を応援したいって思っているわ」
「……セラフィナ」
ぐっ、とジルは拳を固め、セラフィナのつむじに頬をすり寄せた。
「……僕も、君が好きだ。ずっと、君だけのことが好きだ」
おもむろに二人の顔が上がり、視線が絡み合う。唇が寄せられて――同じ温度を持つそれが静かに重なった。
きっかけは、あの呪いの本だったかもしれない。
だがセラフィナは、ジルを好きだというこの気持ちは間違いなく、自分自身の本音だと思っている。
あきれた顔をするジルも、真剣に本を修理するジルも――武器を手に戦うジルも、全部好きだから。
英雄王戦争終結から、七年後。
王城の第二書庫の司書がとある貴族の令嬢と結婚する、という噂が流れた。
噂自体はめでたいものだし、令嬢の友人たちをはじめとした多くの者たちが祝福の言葉を贈った。密かに令嬢に恋をしていた男たちは涙したそうだが、分厚い眼鏡を装着した無愛想な婚約者の腕に掴まる令嬢の幸せそうな顔を見て、令嬢の想いを応援せざるを得なかったという。
令嬢はラミレス家の一人娘だったため、司書が婿入りする形になった。だがいろいろ相談した結果、夫の方は司書の仕事を続けることになったという。
無愛想でやたら態度がでかくて人付き合いの悪い司書だが、分厚い眼鏡を外した目元はなかなか男前であることと、案外運動神経がいいこと、そして――自宅に帰るとそれまでの不機嫌も吹っ飛んでデレデレになって妻を溺愛することは、夫婦だけの「秘密」だったという。
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