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36 襲撃の後で

 ジルが「シメた」ことにより、呪術の犯人が分かった。

 襲撃者が吐いた名前は、「グリセルダ・レベール」。トリスタンに執着している貴族の令嬢だった。


 セラフィナはジルと一緒に呪術研究所に駆け込み、寝ていたラモンに起きてもらった。最初は眠そうだった彼は一連の話を聞くなり覚醒して、すぐに調査班をレベール家に向かわせてくれた。


 襲撃事件ということで騎士団の協力も得られて、レベール家を包囲。連行されたグリセルダは真っ青な顔で、「こんなはずじゃなかったのに」とわめいていたという。


 グリセルダ・レベールは、王城勤務の兵士であるトリスタンに本気の恋をしていた。だが彼はグリセルダが近づくだけで青い顔で逃げるし――しかもしょっちゅう、雇い主の娘であるセラフィナと親密そうに話をしている。


 グリセルダは、トリスタンは密かにセラフィナに恋をしているのだろうと思った。そうして彼女はちまちまとした嫌がらせをセラフィナに仕掛けていたのだが、ついに魔女に依頼して呪具を作らせてしまった。


 媒体として選んだのは、ノート。ジルの名前入りのあれをセラフィナとジルしかいない第二書庫のテーブルに置いておけば、それを手にしたセラフィナがジルのものだと思い、彼に手渡すはず。


 ……二人が直接ノートに触れることによって、呪いが発動する。これにより、ジルがセラフィナの匂いに執着するようになる。そうすればセラフィナは冴えない司書に襲われて、肉体的に穢される。トリスタンは穢されたセラフィナを見限り、自分のことを見てくれるはず……というのが、グリセルダの狙いだった。


 だがノートは、ジルからセラフィナに渡されてしまった。これにより呪いが逆に発動し、セラフィナの方がジルの匂いに執着するようになった。


 ひとまずグリセルダはノートを回収させ、様子を見ることにした。結果としてセラフィナとジルが交際することになったので、これでトリスタンも彼女のことを諦めるはずだと一安心した。ノートも、手元に置いたままだった。


 だが――つい先日、保管していたはずのノートが消えてしまったそうだ。


 グリセルダは焦り、セラフィナを襲って問い詰めるように手の者たちに命じた。そうして彼らはちょうどジルが不在になることを聞き、第二書庫周辺を張っていてセラフィナが夜に一人で訪れたところを襲撃したそうだ。


「でも、私もジルもノートを取り返していない……というか、犯人がグリセルダ・レベール様だったことすら知らなかったのですよ」

「……それに関して、ちょうどうちの部下が魔女から得た情報があるんだ」


 呪術研究所を訪問したセラフィナとジルを接待していたラモンが、硬い表情で告げた。


「残念ながら、呪具を制作した本人である魔女は既に亡くなっていた。老衰だったようだね」

「……ご高齢の魔女だったのですね」


 セラフィナがつぶやくと、ラモンは「魔女も、年には勝てないからね」とどこか寂しそうに言った。


「でも、その魔女は今回のノートの呪具に関するメモを残していたんだ。その記述と、我々に協力する魔女の説明を照らし合わせた結果――犯人の魔女にも、ちょっとした思惑があったことが分かった」

「思惑?」


 ラモン曰く。


 自分の死期を悟り森の奥で静かに暮らしていた魔女のもとに、グリセルダの使いがやってきた。あまりにもしつこい彼らを追い返すために魔女は呪具制作の依頼を受けたが――それにある「工夫」をした。


 グリセルダの依頼は、「最初に呪具に触れた者の匂いを記憶し、次にそれに触れた者がその匂いを長時間嗅がなければ死に至るものを作れ」というものだった。


 グリセルダは「愛する人の気を引くため」のようなもっともらしい言い訳をしたそうだが、どうせ悪用しかしないだろう、それならばこの面倒くさい客をぎゃふんと言わせてやろうと思った魔女はその呪いで、「ただし、両者が両思いでなければ効果が発動しない」というおまけをつけた。


(……ん?)


 真面目にラモンの話を聞いたセラフィナは、ゆっくりと隣を見た。ジルの方は完全に硬直しており、眼鏡越しでもその灰色の目が見開かれているのだろうことが推測できた。


「……ええと、ラモンさん。それって、つまり……」

「君たちの間に愛情がないのなら……もっと細かく言うとお互いがお互いのことを好いていないのなら、呪いは発動しなかった。魔女は、この呪具によって無関係の者たちが巻き込まれることを避けようと思ったんだろうね」

「……で、ですが、実際にセラフィナは苦しみました!」

「もちろん、いくらおまけの条件があったとしても魔女の罪が軽くなるわけではない。……でも彼女はさらにもう一つ、条件を付けた」


 それは――「両者の想いが完全なものになるのならば、呪いは解ける」というものだった。


 セラフィナとジルは呪いをごまかすために交際を始めたが、最終的に二人は真に心を通わせるようになった。……役目を終えたノートは自然に消滅して同時に呪いの効果も解け、今に至るそうだ。


(え、そんなことってあるの? というかそれなら、私の呪いはちょっと前には解けていたってこと!?)


 だがジルが不在のあの夜、セラフィナは司書室にあるジルのコートの匂いを嗅いでいつものように安心したではないか。


(あのときにはもう、呪いは解けていて……わ、私は呪いとは関係なしに、ジルの匂いに惹かれていたってこと……!?)


 セラフィナは、きゅっと口をつぐんだ。

 このことは、ジルにはばれていないはず。墓場まで持って行こう、と心に決めた。


 念のためにラモンや助手たちが検査してくれたが、「呪術の痕跡全くなし」とのことだった。ノートは消滅し、呪いは完全に消え去っていた。


 その後、グリセルダや魔女のことなどは研究所と騎士団に任せることにした。呪具の作成を依頼した以上、グリセルダはもう日の当たる場所は歩けまい、とのことだった。そしてレベール家にはセラフィナの医療費やその他の慰謝料なども諸々請求してくれるとのことなので、セラフィナたちは一安心した。


 今後のことはラモンの方から報告をしてくれるそうなので、セラフィナたちは研究所を後にした。

 研究所を揃って出てから……二人はほぼ同時に、大きなため息をついた。


「なんだか、一気に疲れてしまったわ……」

「そうだな。……ここ数日ほど、バタバタしっぱなしだったな」


 ジルの言うとおり、第二書庫で襲撃されてから今日まで、セラフィナもジルも精神的に、肉体的に疲れていた。


 あの日、ジルは「出張」に行っていた。調べ物をする予定だったそうだがどうやら調べ物自体がガセネタだったと現地に着いて分かったようで、急いで戻ってきたようだ。そして第二書庫周辺の異様な雰囲気に気づき、非常通路を使って司書室に入ったという。


 あの後二人とも当然仕事は休み、ラモンたちの調査の結果を待つ日々だった。病気とかではないのだが悩ましいことが多すぎて、心は疲れるし……。


「……あの、ジル。あの夜のことについて聞きたくて……」

「……。……そのことだけど」


 セラフィナが切り出すとジルは足を止めて、視線を向けてきた。


 ……どくん、と心臓が鳴る。


「……今が、『そのとき』だと思うんだ。だから、今から……僕の部屋に、来てくれないか?」

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