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35 どんなあなたでも②

 慌てて会話を長続きさせようと思った直後、ガン、と音がしてセラフィナのすぐ脇の柱にナイフが刺さった。


 ――今、セラフィナはとっさに体をよじって攻撃を避けた。今の偶然がなければ……喉を掻き切られていた。


「ひっ……!?」

「……予想はしていたが、収穫はほぼなし、だ。なしならなしで、仕方がない。……もうおまえに用はない」

「やっ……!」


(……い、嫌だ! 死にたくないっ……ジル!)


 とっさに後退して司書室の方に逃げるが、再び男の刃が迫ってくる。だが、セラフィナが動いた拍子に立てかけていた箒のうち片方が倒れ、それがつっかえ棒のようになって男の侵入を一瞬だけ阻んだ。


「……ッチ! 逃げるな、小娘――」


 箒を蹴飛ばした男が再び迫ってきて、床に倒れ込んだセラフィナが這うようにしてデスクの方に逃げる――そのとき。


「……人の恋人を『小娘』なんて呼ばないでくれるかな?」


 尻餅をついたセラフィナの肩を誰かが抱き寄せ、ギン、と鈍い音が響く。


 その、声は

 セラフィナを抱き寄せる、この腕は。

 この、心の底から安堵できるような匂いを纏う人は。


「ジ……ル?」

「うん。ちょっと早いけれど……ただいま、セラフィナ」


 セラフィナがおそるおそる顔を上げた先に、分厚い眼鏡があった。その人は先ほど蹴飛ばされた箒を右手に持ち、その柄の部分で男の刃を受け止めていた。


 ジル――というより箒によってナイフを阻まれた男が、じりっと後退する。


「き、貴様、どこから出てきた!?」

「……この書庫は昔、王族の避難場所だった。だから司書室にも、いくつもの隠し通路があるんだ」


 セラフィナも知らなかったことをさらりと言ったジルは立ち上がり、セラフィナがもう一本の箒を持っていることに気づき「おっ」と声を上げた。


「それ、持っていてくれて助かったよ。貸してくれる?」

「え? あ、あの、ジル、でも、ナイフが、危険で……」

「うん、分かっている」


 ジルは妙に落ち着いた所作でセラフィナから箒を受け取ると、それの穂先の根元を掴んで――すぽん、と抜いた。


「えっ?」

「念のために置いておいて、本当によかったよ」


 そう言いながら彼はもう片方の箒の穂先も外してから眼鏡を取って、セラフィナに渡した。


「まずは、ここにいるやつらを蹴散らさないとな」

「な、何を言っているの!? 私、助けを呼んでくるからっ……」

「大丈夫。……セラフィナ。今、僕の前方にいるのは……全員、敵だよね?」


 ジルの背中が、静かに問うてくる。見慣れた恋人のその姿が――なぜか、知らない男性のそれのように思われてセラフィナはどきっとしつつ、うなずいた。


「え、ええ。でも、ジル――」

「絶対に、そこから離れないで」


 そう言うなり、ジルは箒の柄をそれぞれの手に持ち直した。それを武器にして戦うのか、と思ったセラフィナだが、ジルが妙な形に箒の柄を握っていることに気づいた。

 今の彼の持ち方は――いわゆる、逆手というやつだ。


 ジルはぐっと両膝を折って低く身構え――そして、とんっと跳躍した。


 まずは、目の前にいた一人目。セラフィナを襲撃した男は急ぎナイフを構えるがジルは右手の棒であっさりそれをはじき、左手の棒で男の腹部を思いっきり突いた。


「ぐっ……!?」


 さらによろめいた男の背中を踏み台にして司書室を出て、カウンター前に迫っていた敵を次々に打ちのめしていく。右手、左手、と手にした棒が踊り、そのたびに襲撃者たちが悲鳴を上げて倒れていく。


 カウンター前の敵がいなくなると、ジルは右手に持っていた棒をくわえて跳躍し、腰ほどの高さのカウンターに右手のひらを突いて宙返りしながらひとっ飛びでフロアに降り立った。

 そしてまごついていた敵たちを同じように打ちのめし、蹴り、肘打ちを食らわせ――最後に彼は左手に持っていた棒を投げてフロアの隅に潜んでいた者の額に命中させて昏倒させると、ふうっと息を吐き出した。


「……書庫ではお静かに」


 小さくつぶやいた彼は振り返り、司書室の入り口でぽかんとしていたセラフィナの方を見た。


 開け放たれたままの出入り口から、星明かりが差し込んでいる。

 いつも適当にまとめている赤みの強い金髪は、今は銀色に輝いて見える。灰色の目は漆黒に染まっており――セラフィナの知らない男が、そこにいた。


(……ううん。彼は……ジルだわ)


 壁に手を突いて立ち上がり、ジルを見つめる。


「……ジル。あなたは――」

「後で、ちゃんと言うよ。それより――今からこいつらをちょっとシメるから、セラフィナは奥にいて。司書室のドアを閉めてできればデスクの下に潜って、目を閉じて耳も塞いでいて」

「……」

「……お願い」


 ジルが、悲しそうに……懇願するように言う。


 気になることはたくさんあるが、セラフィナはゆっくりうなずいてきびすを返し、ジルの言ったとおりにした。

 デスクの下に入り、耳を塞ぐ。音はほとんど遮断されているが――それでも、何かがぶつかるような鈍い音が聞こえてくる。


(ジル……)


 先ほどの、鬼神のごとき動きを見せたジル。てっきり彼は運動嫌いだと思っていたのに、その動きは普段の緩慢な所作からは想像できないほどなめらかだった。


 もしかすると。

 今ジルが見せた顔は――以前彼が言いかけた、彼の「秘密」に関わるものなのかもしれない。


(もしジルが秘密を明かしてくれるのなら……私はそれを、きちんと受け入れるわ)


 耳を塞ぐ手にぎゅっと力を入れ、セラフィナはジルを想う。


(あなたが何者でも、どんな秘密を持っていても……私はその言葉を最後まで聞いて、ジルの気持ちを受け止めたい)


 そういったことを全て覚悟した上で、セラフィナはジルと恋人同士になったのだから。


 どれほどの間じっとしていたのかは分からないが、カチャ、と司書室のドアが開く音でセラフィナは振り返った。そこにジルがいたため、ほっとして手を下ろす。


「お待たせ。……情報は吐き出せた。すぐにラモンさんに報告して、調査を依頼しよう」

「え、ええ。……あの、ジル」

「……」

「……おかえりなさい。それから……助けてくれて、ありがとう」


 本当は、もっと言いたいことがある。聞きたいことがある。……ジルもきっと、セラフィナが何を言うのかと身構えていただろう。


 だがあえてセラフィナはそう言って、手を貸してデスクの下から引っ張り上げてくれたジルに微笑みかけた。ジルは目を丸くして――そして、今にも泣きそうにくしゃりと顔をゆがめてからセラフィナの体をかき抱いた。


 その体は、細いけれどしっかり引き締まっている。日陰のもやしではない――戦う人の体をしていたのだと、セラフィナは今知った。


「……うん。君を助けられて……よかった」


 ジルの声が、少しだけ震えている。いつもやたら余裕たっぷりで堂々としているジルが――泣きそうな声を上げている。


 彼の心をここまで乱せるのは、セラフィナだけ。

 そんなことを胸に、セラフィナは恋人の背中に腕を回してそのぬくもりを享受していた。

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