30 甘くて甘い時間②
いろいろありつつも菓子を食べていると、ジルが「あ、そうだ」と声を上げた。
「今日の午前中に、呪術研究所から連絡があったんだ」
「ラモンさんから?」
「……。……うん。あのノートの行方を追ってくれているみたいだけど……それについてはまだ進展はないそうだ」
「そっか……」
ラモンには、ノートを媒介にしてセラフィナを呪った者の調査を頼んでいる。被害者であるセラフィナの名前を公表せずに調査をするのは難しい、と事前に聞かされていたように、ほとんど進展はないそうだ。
(ジルも来館者のチェックをしてくれているそうだけど……怪しい人はいないとのことだし)
しゅんとなったセラフィナだが、ジルの続く言葉で少しだけ気分が持ち上がった。
「でも、別方面では成果があったみたいだよ」
「別方面?」
「ラモンさん曰く、呪術を施した魔女とあのノートをここに置いていった犯人は別人だろうということだった。そして……その呪術を施した魔女の特定ができそうらしいんだ」
「えっ、本当に!?」
思わず声を上げると、ジルは微笑んだ。彼は二人きりのときは眼鏡を掛けないようにしているので、灰色の目が優しく細まったのがよく見える。
「呪術を施す魔女は基本的に姿を隠しているけれど、研究所には魔女に関するデータもある。それで、あのノートを呪具にしたと思われる魔女がかなり絞られたそうなんだ」
「そうなのね! でも、特定できたとしてもその魔女が出てこないと犯人を捕まえることはできないわよね?」
「うん。でも魔女の中には研究所に協力してくれる者もいるんだ。彼女らは同業者の気配に敏感だから、この人、と指定できたらどうにかして連れてくることも不可能ではないそうだ」
「そうだったのね……」
確かに、魔女や彼女らが使用する呪術は忌み嫌われるが、自身の能力をきちんと国に報告して全面協力の姿勢を取るのならばむしろ、重宝されるだろう。
だがそんな者の存在が広まれば、その魔女こそ仲間から狙われてしまう。おそらく、協力的な魔女は国がしっかり保護し、有事にだけ動くよう依頼しているのだろう。
(それに、もし犯人が捕まらなくても呪術を掛けた魔女さえ見つかったら、遠距離からノートを壊してくれるかもしれない……)
そうなれば、セラフィナたちが呪いから解き放たれる日も遠くない。
「よかったわ。いくら恋人同士になって合法的にくっつけるようになったといっても、何日も離れられないというのは大変だものね。ラモンさんに感謝しないと」
「……」
「……ジル?」
「……いや」
次にどのクッキーを食べようかと考えていたセラフィナが名を呼ぶと、眉間にしわを寄せて難しい顔をしていたジルはため息をついた。
「……君と両思いになってから、僕は本当に馬鹿になったと思って」
「何言っているの。あなた、とっても頭がいいでしょう」
「そっちじゃなくて……。……ラモンさんは僕たちにとっての恩人なのに、君の口から他の異性の名前が出てくると……それだけでイラッとした」
「……」
「……。……ごめん。今の、重かったよな……」
「……ジル。私がよくおしゃべりをする同僚の名前、知っている?」
「え? ……ええと。確か、ジョランダとクロエ、だったか?」
ジルが挙げたのは、セラフィナがよく話題に出す同僚二人。彼女らは一時セラフィナが嫌がらせを受けていたときにも何かと手を貸してくれたし、体調を崩したときにもお見舞いに来てくれた友人だ。
……だが。
(……ああ。こういう気持ちなのね)
ジルがジョランダとクロエの名前を口にした途端、胃の奥が重たくなるような感じがした。セラフィナの方から言わせたのは承知だが、それでも……好きな男性の口から他の女性の名前が出てくると、気持ちがささくれてしまう。
「……私も今、少しだけそわそわしてしまったわ。嫉妬……というのかしら」
「え、今ので?」
「ジルだって、そうでしょう? 私たち、おあいこよ」
好きな人のことを、独占したい。好きな人が呼ぶ異性の名は――自分だけであってほしい。
そう思うのはジルだけではない。セラフィナだって、もっともっとジルのことを独占したかった。
ジルは目を丸くすると、照れたように微笑んだ。
「……そ、そっか。……分かった。君がそう言うのなら、僕は一生女性の名前は口にしない」
「や、そこまでしなくていいから」
「大丈夫。君のためならこれくらい苦でもないし、そもそも僕が女性の名前を呼ぶことはそうそうない。僕、ほとんど友だちがいないし」
それはそれでどうかと思うが、彼の日常生活に支障があってはならないのでその誓いは撤回させておいた。




